蜩ノ記

『蜩ノ記』を観る。直木賞を受賞した葉室麟の同名小説の映画化。岡田准一が檀野庄三郎を演じているけれど、どちらかといえば狂言回しの役回りで、役所広司の戸田秋谷が主人公であろう。同じ葉室麟原作の『散り椿』はそれなりの殺陣がつけられていたけれど、本作は命の遣り取りが10年前に済んでいるという話なので、残念ながら岡田准一の居合も見せ場がほとんどない。一方、背景となる藩政と重税の経緯もあまり説明がないので、考えてみると全体にずいぶんと地味な話である。ではあるものの、物語の起伏はあって、この結末がやりたかったのだろうというあたりもよくわかる。

県内のCOVID-19新規感染は勤労感謝の祝日のこの日、4,000人を超えて過去最高を記録する。実際には数が数えられているだけマシということなのだろうが、それでも検査陽性率は50%を超え時々、驚くような数の死者が報告される状況にある。

エルピス 第5話

『エルピス -希望、あるいは災い-』を観る。第一部のクライマックスも近いという展開回で、眞栄田郷敦の活躍回でもある大満足の第5話。冒頭近く、壊れてしまったチェリーさんの凄みよ。ものを食べることができなくなり、寝不足であることにも気付かない岸本が、生まれて初めて、真実を自分の力でつかもうとする話に交差して、警察を動かす副総理の存在がいよいよ意識される流れだけれど、事件にかかわる偽証にかかわっているらしい謎の会社が「アサベショウジ」であるのも、アソウとアベ的なものの表出に違いないのである。いや、これはそういう話だ。

Shut Down

BLACKPINKの新しいアルバムを聴く。わけても『Shut Down』がよくて、すっかり気に入ってしまう。ベースのメロディはパガニーニの『ラ・カンパネラ』の引用だけれど、エミネムの雰囲気にデイヴィット=ギャレットみたいな旋律の合わせ技で全体に世界観が面白い。このエキゾチックな感じは好き。

帰宅の時間帯に中央道では、車線を逆走する軽トラとこれを避けようとした車の事故などで区間通行止めとなり、流出の車列によってそこかしこが大渋滞となる。

COVID-19の感染拡大で、県内ではこれまでと桁が違う32人の死者が伝えられる。医療機関や高齢者施設では連日、集団感染が報告されており、現場はひょっとすると大変なことになっているのである。いずれも基礎疾患があったという情報が添えられているのだが、であれば複数回のワクチン接種がされていたに違いない状況で何が起きているのか。このところ感染拡大についての情報は万事、大雑把になっており、ひょっとすると当局もよくわかっていない可能性すらある。

審判の日

『鎌倉殿の13人』第44回のサブタイトルは「審判の日」で、物語はいよいよ黙示の色合いを濃くする。全編としても、この大階段での出来事がクライマックスとなる時間帯だが、12月には承久の乱が語られることになるだろうから、さらにひと波乱あることになる。平六が心にないことをいう時に襟を触る癖を、義時は看破っていたけれど、八重が川で溺れたその日、ことの次第を報告するこの男が、同じように襟を触っていたのを彼は知らない。

Twitterではマスクがドナルド=トランプのアカウントを復活する。劇場型の経営もここに極まれりということだが、要するにそれがやりたかったのだろうと見透かされている状況。既に大手が出稿を見合わせているところに早速、広告のボイコットが呼びかけられたりしているので、プラットフォームとしての行方はいよいよわからなくなってきた。

DAWN

少し前にMoondropのインイヤーモニターを導入したのだけれど、なかなかよいものなので、これとあわせて使うスティク型のポータブルDAC DAWNを買ってみる。漢字名は暁だそうである。必要かと問われれば、気の迷い程度の効果だったとして、少なくともイヤホンジャックをUSB-Cに変換する機能は明確で時々、iPadに挿して使ったりもする。

MoondropのKatoはもともと評判のよいIEMだけれど、音を余さず再現する印象があって細かいところまでつい聴き込む感じで没頭できる。実はリケーブルにまで手を出して、浅めの沼にきっちりハマっているところ。どうせならいい音で音楽を聴きたいというのは自然な欲求としてあると思うが、沼からそう申告する人は多い。

Twitterはロックダウンのさなか、マスクがエンジニアを呼び出してサービスダイアグラムを理解するためのミーティングをやったそうである。当事者の気分は高揚しているようだけれど、Tweetの内容は今さらこれなのかという印象で、このパフォーマンスは逆効果でなかろうか。

DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン

Amazon Primeで『DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン』を観る。庵野秀明のキービジュアルを観たことがあるくらいで、どんな話かも知らなかったけれど、処女作にはクリエーターの全てがあるという言葉の通り、ひたすらカッコよさを追求したレイアウトとカメラワークには、後のヒット作に通じる作家性があって、いや、なるほどと思ったことである。もちろん、30年前の自主制作フィルムなりの荒い画面には違いないのだけれど、そのカッコよさの認識は、画面の精細やミニチュアの精緻によってもたらされているものではないという点が明らかで、人間の認知の仕組みを考える上でも興味深い。

Twitterをめぐる騒動はもちろん続いていて、ハードコアな労働を求めるマスクの通牒に応じて多数のエンジニアが辞めた結果、事務手続きさえ滞って、そろそろサービスが終了するのではないかという話になっている。イーロン=マスクのやることに深謀遠慮を確信している人が一定数いることが観察されるのが不思議だけれど、成功するまで続ければ成功するということを信じているだけのようにみえる。もちろん、大きく失敗したって不思議はない。問題は何を成功とするかだが。

Rebirth

この日、ガメラの新作『GAMERA-Rebirth-』のティーザー広告が流れる。Netflixの世界同時配信ということだけれど、現在のビジュアルだけだとアニメであってもおかしくない雰囲気なので、どうなるかはよくわからない。『ゴジラ S.P』という例があるので、それがアニメでも傑作は誕生し得ることを我々は知っている。1965年から30年後の平成ガメラ、そこからもさらに30年近くの時が流れていることを改めて認識して、いやまじかと思ったものだが、いずれにしても楽しみという他ない。