ホワイト・ノイズ

Netflixで『ホワイト・ノイズ』を観る。昨年末は『ドント・ルックアップ』を楽しんだ記憶があって、惹句には化学物質の流出事故を扱っているとあるから、これもやや高尚なパニック映画の類かと勝手に思って、実のところ少し楽しみにしていたのである。

だがしかし、そんなものでは全くなく、舞台は1980年代のアメリカで、ドン=デリーロのポストモダニズム小説を原作とした、かなり忠実な映像化ということみたい。諸君、ポストモダンだ。アダム=ドライバーが主人公というあたりで、ピンときてもよかったはずなのだが、見込み違いのぶんを割り引いても、これはちょっと疲れる。高い文学的素養を要求されているのだろうと思うのだが、適切に映像化されているのかも実を言ってよくわからない。いやはや。いや、何であれ、こちらの勝手な期待が悪いとして。

そんな感じで2022年も終わる。良いお年を。

Edition Critique

さて、2022年も高田大介の『図書館の魔女』の続編は出ることなく過ぎる。とはいえ、紙魚の手帖で『記憶の対位法』の連載があり、別冊文藝春秋ではエッセイに加えて連作の『Edition Critique』の掲載が始まっているので、進捗が何もないというわけではないのである。この年末はその『Edition Critique』を第1話、第2話とゆっくり読んでいる。何しろ「文献学というのはテクストを可能な限りゆっくり読むことだ」という言葉が引かれていて、文献そのものの探究を題材とした話であるからには。この伝でいくと、文献学にかかわる創作が可能な限りゆっくりであっても不思議はない。それはともかく、こうした素材をよく面白い小説にするものである。

年の暮れ、ニュースでは防衛産業の生産ラインの国有化を可能にする法案が国会に提出されるというリーク情報が伝えられる。これがNHKのニュースになるのはもちろん意図にもとづくもので、兵器輸出にかかわる基金の創設といった剣呑な話まで添えられると、一気呵成にことを推し進めようという強い意志を感じざるを得ない。松本清張が言うように、2.26事件のあと、軍部と軍需産業は手を組んで「大股に」戦争に向かうのだが、その共謀の内実を国民が知るのは戦後になってからで、利害にもとづいた同じような策謀があったとしても全く驚かない。

2022年に観た映画のこと

パンデミックからこっち笑い飛ばすべき現実は一層、深刻となって、結局のところ『DEATH TO 2022』は配信されることなく2022年は終わる。人間界での扱いはどうあれ感染拡大の影響はその社会に澱のようにとどまり、地球温暖化は、酷暑と極寒をもたらす大規模な気候変動としてあらかじめ予想された通りに現実化し、残り時間が少ないことを知らせる。前世紀に立ち戻ったかのようなヨーロッパでの戦争が終結する気配もないまま、これから先の2023年は深刻な景気後退に陥ることがほぼ確実という時間帯にある。

この年の5月、かねて楽しみにしていた『シン・ウルトラマン』を観るために2年ぶりに映画館まで出かけ、日常が徐々に正常化に向かう気運が垣間見えたこともあったのだが。

シン・ウルトラマン

『シン・ゴジラ』と『真田丸』と『逃げるは恥だが役に立つ』はいずれも2016年の作品で、『シン・ウルトラマン』と『鎌倉殿の13人』と『エルピス -希望、あるいは災い-』によって2022年は奇跡のようなその年の再来がなったとみえなくもない。そうであれば、MVPは3作を制覇した長澤まさみ、2作において重要な役割を果たした山本耕史ということになるだろう。

空想特撮映画との銘打たれた冒頭の90秒、「禍特対」設立の経緯を『ウルトラQ』になぞらえて語る本作は「外星人」が政治的手法で浸透しようというあたりに物語上の眼目があって、しかしプーチンが昔ながらの侵略戦争をおっ始める現実に置き去りにされた感があるけれど、山本耕史のメフィラス星人という異次元の説得力によってこれは成立していたと思うのである。

ハケンアニメ!

『ハケンアニメ!』も劇場に観に行き、ここでは吉岡里帆のよさに開眼したわけである。この映画は全体にキャスティングが優れていて、特に柄本佑は原作のイメージを上書きして、これを上回る魅力を表現していたと思う。

「覇権アニメ」なるコンセプトはバトルものとしての体裁をとるための空想的な設定に過ぎないが、これを消化するための全体のリアリティが、ネットと風刺的な現実、制作現場という三つレイヤーを重ねることで立ち上がってくる映画の構造には感心した。

グレイマン

配信のオリジナル作品としてはマーク=グリーニーの小説を映画化した『グレイマン』が傑出したスケールを実現して見応えがあった。話の筋は『暗殺者グレイマン』から借りてきているところが(僅かに)あるとしても、ライアン=ゴズリングは原作のジェントリーとは全く異なるキャラクターを確立し、新たな通り名となったシックスはもしかしてジェイソン=ボーンの正系といえるのではなかろうか。

マリグナント

サイコホラージャンルの演出の方法をトリックに使い、これをフィジカルに上書きして観客を驚かせようという『マリグナント』だが、原案のジェームズ=ワンの目論見通り、あっと驚いたものである。ネタが勝負という雰囲気はあるとして、警察署を舞台にしたクライマックスには十分に舞台的な盛り上がりもあって、映画としての語り口はよく出来ていたと思うのである。

Mr. ノーバディ

ジャンル映画としては『Mr. ノーバディ』が正しい作法を示していたと思う。デレク=コルスタッドは『ジョン・ウィック』の脚本家でもあって、このところの流行りであるオールディーズをBGMに使うアクションを、最も効果的に使っている作品のひとつであろう。この続編の脚本が書かれているということだが、それは悪い癖だと思わなくもない。

その瞳に映るのは

ナチス支配下のデンマークで起きた寄宿学校への誤爆を題材にした『その瞳に映るのは』を観たのは、ウクライナのルガンスク州で学校が爆撃を受けたというニュースのすぐ後で、その共時性に震撼したのだが、偶然の一致というより、あまりにもありふれた人間の愚かさが同じ悲劇を幾たびも繰り返すに過ぎないということであろう。いうまでもなく。映画そのものは、緩急ある構成で世界の複雑さを感じさせて、たいへん見応えがある。オーソドックスだが優れた映画表現をもっていると思うのである。

窓際のスパイ

ドラマシリーズとしては、Apple TV+の『窓際のスパイ』が非常によい出来で、これまでにも何度か言及している通り、原作であるミック=ヘロンの『SLOW HORSES』と比べてもエスピオナージュとして好ましい雰囲気が漂っていると思うのである。オープニングタイトルに流れるミック=ジャガーの『Strange Game』もこれを補強する。

ウ・ヨンウ弁護士は天才肌

昨年末からの『その年、私たちは』に熱中して『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』を観た以降、韓国ドラマに満足してしまったようなところがあって、このところ遠ざかっている。『ウ・ヨンウ弁護士』に匹敵する面白さがあるものというのは、いかに韓国ドラマとはいえ、やはりそうそう存在しないということなのである。続編の話もあったけれど、2024年となるようなので、かなり気長に待つ必要がある。

石子と羽男

弁護士もののドラマでは、本邦にもよい出来のものがあって、塚原組の『石子と羽男』は負けていない。ジャンルものとしての定型はあるとして、キャラが立ち、エンタメと弱者を捨て置かない生真面目さをともに内包しているあたり塚原あゆ子のドラマという感じが滲んで、作家性すら感じたものである。そして『ハケンアニメ!』と本作によって、中村倫也のよさに気づいたようなところがある。

平家物語

アニメでは『チェーンソーマン』のシーズン1も面白かったけれど、やはり『平家物語』だろう。美しく、アニメーションに期待したい演出的な企みがあり、平曲を使った場面の劇的な効果にはこの表現でしか実現できない高い格調があって、なお面白い。

『鎌倉殿の13人』と重なる時間軸を扱っていたことで物語の立体感はいや増し、パンデミックによって続く閉塞の状況で、この年の時空感覚を豊かにしてくれた創作の一角にあって大変、ありがたいものだったのである。そして羊文学による主題歌『光るとき』を繰り返し聴いた。

鎌倉殿の13人

毎週を楽しみにした時代ものの大河ドラマというのは『おんな城主 直虎』以来ではなかろうか。あれはあれで、ほとんど主役交代みたいな構成もあって展開のわからない話に面白味があったけれど、比較的に史料の豊富な北条の勃興を家族の物語として扱い、鎌倉幕府という行政システムの成立過程を通じて、第1回に登場したあの若者が、最終回で辿る末路に不自然さを感じないグラデーションで描き切ったのは、やはり大した仕事だったと思うのである。

封建制の実態がほとんど出てこない物語ながら、坂東彌十郎と片岡愛之助による家父長制が変容していくことで、ある種の歴史パターンを認識できるという仕掛けには感心したし、何しろ坂東彌十郎の時政は良かった。

そして新垣結衣の八重である。『真田丸』と『逃げ恥』を生んだ奇跡の2016年の記憶を煮詰めたようなドラマでもあって、今際の際の義時のセリフに我が意を得たりと思ったことである。

エルピス -希望、あるいは災い-

『エルピス -希望、あるいは災い-』では通常のテレビドラマでは使わない機材を投入して画面のクオリティを格段に向上させるという努力が投じられているそうである。この撮影の質は、世界標準で戦える作品とはどういうものかということを教えてくれたという点でメルクマールとなるのではなかろうか。

報道と政治、司法の腐敗に取り組もうという脚本の志はまず、いうまでもなく高く、この時代に惑う人間が、どうしたらよいのかということをさまざまに読み取ることができるドラマなのである。わからないことを肯定的に捉え、善か悪かではなく、どうありたいかを考えるということは、2023年を生きる我々にとっての指針となり得る。

あまりにも感心したので、脚本の渡辺あや、プロデューサーの佐野亜裕美、監督大根仁のインタビューも仔細に読んだのだが、宛て書きであって不思議はないほどに馴染んでいた眞栄田郷敦のキャスティングは、目力のある俳優を探し求めた末の成果であったことを知って膝を打つ。ドラマの初回で強烈に印象に残ったのは、しょうもない男の圧倒的な目力を押し出した、ふざけた存在感で、この役者を知ったことは2022年の大きな収穫のひとつだと思っているのである。

支離滅裂

冷静に考えて国内のCOVID-19感染は猖獗を極めるという状況で、救急医療の体制も破綻しかけているということだと思うのである。死者は日次ベースで400人を超えてこれまでの最多を記録し、累積の死者はそのように勘定されている以上であろうことは、いわゆる超過死亡として統計的に現れている。

その状況にありながら、この疫病を5類扱いにしようという動きはいよいよ本格化しているのだが、ゼロコロナ政策を180度転換した中国からの入国には水際対策を強化しようというのである。いったい何をやりたいのか。中国の窮状は伝えるのに、国内で起きていることに目を瞑る報道の様子はこのところ著しく、久しぶりに行動規制のない年末年始だと明るいニュースのように伝えるのだが、その実、前述の有り様ではいったい何に忖度しているのかという疑問しか出てこない。この二重基準は、必ず報道への信頼を揺るがすであろう。

エルピス 最終話

『エルピス -希望、あるいは災い-』の最終話を観る。第9話に重たい新事件を持ち込んできた脚本が、どのように物語的な結末を用意するのかとわくわくしていたのだけれど、2020年10月、コロナ禍にマスクを着用しつつ、どんな夢をみればわからないといいながら、やけに明るい雰囲気で未来に向かって開かれたエンディングは期待を上回って着地する。つづくPremiere Proの編集画面そのままのエンドクレジットは、差し入れのリリー・フランキーまで網羅して制作へのリスペクトを表し、同時に物語のメタ構造を示して我々にこれからを問いかける。2022年は『エルピス』と『鎌倉殿の13人』が放送された年として記憶されるだろう。

源範頼もとい秘書の大門亨が消された事件の結末をみないとしても、記者の笹岡が終わっていないと叫ぶ通り、終わったこととしないことこそが重要であればドラマとしてはよく出来た展開ではなかろうか。正しいことも悪いこともない世界で、象徴的に白をまとう浅川が黒の斎藤と手打ちの握手をする物語である。

劇中のニュース8が扱うトピックにオールブラックスが言及されるのは、オリンピックの黒幕である森元首相がラグビー推しであることと無関係ではないだろう。結局はこのスタンスの明確さこそ、物語の奥行きをきちんとパースしてこのドラマを真っ当な仕事にしたのである。

包囲戦

読んでいた本にレニングラード包囲戦が言及されていたので、久しぶりに『卵をめぐる祖父の戦争』が読みたくなってこれを買い求める。以前読んだ時はアマンダ=ピートの夫で脚本家というのが著者のデイヴィット=ベニオフのステータスだった訳だが、2010年代は『ゲーム・オブ・スローンズ』の共同プロデューサーにまで上り詰めたらしい。へぇ。Netflixで『三体』を作るというのもこの人である。何しろ父親はかつてのゴールドマンサックスの社長、セールスフォースのマーク=ベニオフが親戚だというから、もともとのセレブ体質はあるとして、小説を読めばこれが面白いので創作の才能があるのは確かなのである。

導入の数ページ、言及されるミュータントのスーパーヒーローものの脚本はどうやら『ウルヴァリン』だし、女優の彼女についての会話もあるので、ひょっとしたら本当のやり取りかと思わせて、堂々とフィクションであることも宣言する語り口のうまさには唸る。以前も巻を措く能わずとなった記憶があるけれど、とにかく読ませる。

正常性バイアス

ABCのニュースをみていると、北米のホリデーストームはえらいことになっている。着陸で風に煽られる旅客機の映像をみるにつけ運良く搭乗できたところで目的地までの道のりは果てしなく遠く、なにしろ雪の影響は積算的に大きくなって帰路の見通しも立たないのであれば解散というのが妥当な結論だと思うのだが、空港の長蛇の列に正常性バイアスの恐ろしさを確認する。

しかも、その人流はCOVID-19とインフルエンザ、RSVの三重流行に並行しているのだが、目前の嵐以外を伝えるニュースは少なく最も大きな刺激に反応するというバイアスの見本にもなっている。

そして本邦でも首都圏の医療がこれまでのピークと同じ水準にまで逼迫し、救急医療は麻痺の状態となり、全国のCOVID-19による死者も過去最高を直近に更新している状況なのだけれど、それが報じられることはまずなく、訂正のインプットがない以上はこれまでの行動様式が訂正されるはずもなく、大きな波はピークを記録するまでにあれこれを呑み込んでいくだろう。それ以上に統制的な情報管理にほとんど積極的に加担している報道機関とは何なのか。