年納め

購入したばかりのドキュメントスキャナーで、朝から気になっていた書類の束を片付け、外付けのSSDの構成を整理しつつアーカイブを更新し、今年の写真から年賀状を作って宛名印刷まで終える。仕事納めは完了しているので、今年のタスクリストはもう済んでいると言っても過言ではないのである。Kindleがセールなので年末年始用にハヤカワの小説をいくつか買い求めて、そういえばクリスマスイブだったかと思い出すくらいだけれど、これくらいが最高の休日というものではなかろうか。

このところAudibleで半藤一利の昭和史講義を聴いているのだけれど、歴史のなかで先行きに惑う人々のストーリーは現代のそれと重なって、こういうのは口伝として聞くのがいいものだという感想をもつ。時間軸を少しずらして理解すると、戦前の流れは今、起きていることとさほど違わないのではないかという気さえするのである。

Winter Storm

本邦にも週末にかけてクリスマス寒波が襲来するという話だが、北米でも大寒波による交通障害がニュースになっていて、Polar Vortexの南下がかつてない気象状況をもたらすとあっては、海洋の熱塩循環システムがかつての恒常性を失っているのではないかと畏れざるを得ない。気候変動という言葉の通り、温暖化は灼熱だけでなく、極寒ももたらして、その振れ幅の大きさに人間は翻弄されることになる。この日、高知で10センチを超える積雪というニュースが伝えられる。

渡世の事情で、このところプライベートの書類が溜まっていたので、研究を兼ねてScanSnapのIX1300を買ってみる。U字の紙送り機構で動作範囲がコンパクトなのが特徴だけれど、かなり複雑な機構をシンプルな動きにまとめてあることには感心する。それほどのヘビーユーザーではないので毎分30枚の処理速度は十分だし、そうはいっても給紙20枚は少ないかと思ったけれど、多少多めにセットしても文句もいわず読み込んでくれるみたい。クライアントソフトは相変わらず癖の強いインターフェースだけれど、今どきのOCRはかなり優秀で、ファイル名にはタイトルを読み取って勝手につけてくれるのだけれど誤字もないので重宝している。

DEATH TO 2022

この日、COVID-19感染拡大のニュースでは、過去2番目に多い339人の死亡が伝えられる。いや、ニュースとしてはほぼ伝えられることなく、グラフにその数値がプロットされただけである。この国は疫病の流行とその犠牲者をどうやら徹底的に無視することにして、ほとんど揺らぎなくそれを実行している。人ごとのように中国の薬不足を報じている場合ではないと思うのである。

Netflixで『DEATH TO 2020』と『DEATH TO 2021』が配信されたのは12月も年末押し迫る27日のことなので、このところ『DEATH TO 2022』の配信を心待ちにしている。しかし、今月の配信予定には、それが存在しないのである。『2021』の段階でさえ、中国の存在が不可視化されていたことを踏まえれば、今年の状況はとても扱えないと断念されていても不思議はないのだが、しかしイギリスのダーク・コメディさえ持て余す現実を、我々は一体どうすればよいのか。

人間であることをやめるな

半藤一利の『人間であることをやめるな』を読む。筆者の感慨から昭和天皇が『日本のいちばん長い日』の映画を観たことを知る。もちろん、原作の書籍も読んだということになる。そこにあった思いは今となっては知る術もないとして。2021年に亡くなった後の刊行で、いくつかの原稿を取りまとめた体裁だけれど、幼い頃、東京大空襲を生き延びた筆者が伝えようとしたことにはブレがない。そして2010年代の後半までに語られた懸念は2022年現在、悪い方向で的中しているとみえる。最後のエピソードは宮崎駿監督の『風立ちぬ』についての一文だが、来年の『君たちはどう生きるか』が戦中世代のほとんど最後のメッセージになるのではないか。

エルピス 第9話

『エルピス -希望、あるいは災い-』の第9話を観る。ここにきて政界が絡むレイプ事件の揉み消しという話を組み込んできた脚本の登場人物が、権力ってのは瞬殺しかないんだよ、と語るのである。腹が据わっている。2022年の筆頭に挙げるべき作品は、いややはりこちらの方だろうと、内なる評価を改めている。

気がつけば僕はすっかり孤独だ。いつの間にかひとりぼっちで、正義のために孤独に戦っている。今や僕の友達は、真実だけだ

そう独白する岸本拓朗がかつて、自分に言ったのと同じ言葉が、内部告発者の切迫したセリフとしてリフレインする。

自分の罪深さを忘れて生きていくなんて、僕にはできない

饒舌な脚本が企んだこの繰り返しこそ、人を人としてとどめておく最後の言葉で、希望か、あるいは災いとなり得るメッセージであるには違いない。大事なのは種類がたくさんあって、バランスが取れていることとはいえ、あなたは私であるという共感を、本当の言葉として語ることができるかということが結局は彼我に線を引く。村井が激怒したのは、まるきり嘘でしかない言葉に対してである。

第9話は岡部たかし演じる村井の回で、迫真というべき葬儀場シーンでの斎藤との邂逅は全編でも屈指の名場面だろう。捨て台詞のかっこよさと、これに対する鈴木亮平の表情の奥行きには震える。

飛来

今この時、原子力発電所の直上を大型の爆発物を搭載した自爆型ドローンが往来しているかもしれないということである。原発の運営企業はロシアが原発の安全を蔑ろにしていると非難する。起こりうることは起きるという考え方からすると、ついに格納容器が致命的な直撃を受ける可能性は十分にある、その危機の淵に世界はある。

2022年に大きく変わった習慣に、主な端末のキーボードを日本語配列からUS配列に変更したことがある。これはマウスからトラックボールに転向した時くらいの大きな変更で、筋肉メモリがようやく覚えてきたかというくらい時間がかかったけれど、元祖キーボードの配置には細かい合理性があることを納得して、すっかりUS配列派閥に鞍替えしている。この派閥はもちろん一大勢力であって、新興のメーカーも次々に登場し、日本語配列がないから諦めるという発想がないので試したくなる危険が大きいということもまた学ぶ。厄介なことである。

Ten Little Indians

『鎌倉殿の13人』の最終回を観る。承久の乱と後鳥羽上皇の隠岐配流を片付けた15分拡大枠の後半、誰が義時を殺すことになるのかという物語の大詰めは、罪の告白と悲劇と呼ぶに相応しいクライマックスを経て着地に至る。数え上げられた死者は義時を入れずに13人、物語に通底していた『Ten Little Indians』の調べは結局のところ、そして誰もいなくなったことを知らせて静かな幕引きとかぶる。

古沢良太脚本の『どうする家康』と、いつの間にか殺伐となった『鎌倉殿』後半との落差が大き過ぎるという心配は、最終回冒頭の家康登場でなんとなく希釈されて来年も楽しみ。そして2022年の筆頭は『鎌倉殿の13人』次いで『エルピス -希望、あるいは災い-』ということになるような気がする。

ワールドカップの決勝に向けてフランスの選手がインフルエンザのような症状の体調不良に苦しんでいるというニュースを聞いた時は、それはCOVID-19というものではないかと冷笑的に捉えていたのだけれど、この日、この症状がMERSなのではないかという話があることを知る。いよいよ『アンナチュラル』の第1話みたいになってきたが、いや、冗談でなく、現地で取材中のスポーツジャーナリストが直近で3人も急死しているとあっては、何かが起きていると考えるべきであろう。じきワールドカップは閉幕するが、既に数十万人が水際対策の緩和された各国に帰っているわけで、それが疫病をもたらすとあればえらい話だ。何しろMERSの致死率は30%を超え、コロナは風邪と言い募る世間に紛れることになるのである。