デリバリーお姉さん

『デリバリーお姉さん』を観る。2016年の単発ドラマで、NEOのつく連続ドラマ版よりも強い場末感が漂う。冒頭のエピソードのサブタイトルが「STANISLAVSKI SYSTEM」であれば劇団風にアクも強いのである。これがオンエアされてこそのTVK、そして岩井堂聖子と木竜麻生のよさ。

抑止

『窓際のスパイ』の第4話を観る。Apple TV+のオリジナルコンテンツはアップルらしくひと味違う感じの作品が揃っていていいのだけれど、ブラウザでの視聴にやや使い勝手の悪さがあり、かといって純正のクライアントも今ひとつ完成度が高くないという悩みを抱えている。macOSがつい最近、アップデートしてVentura 13.1になったあと、なんとなく動作が変わったような気がしたのだけれど、気の迷いだったみたい。ううむ。

Twitterの騒動は続いていて、この日はイーロン=マスクが自身に関わる情報をTweetするアカウントをバンしたことを批判的に報じたジャーナリストが次々とアカウントをサスペンドされたことが伝えられる。これがマスク流のフリースピーチであれば、やはりこのサービスも先は長くないであろう。この経営を正当化するロジックが思い浮かばないのだが、またぞろエクストリームな擁護論は湧いているのであろうか。

この日、敵基地攻撃能力を明記した安保3文書が閣議決定されたと伝えられる。記された国家安全保障戦略は、ほぼ米軍の想定する時間軸に従い中国を仮想敵とする具体的な戦争行為を前提としたもので、またひとつ箍が外れたことになる。戦争をよりリアルに煽ることで、緊急事態条項の導入を目指す過程にあるとして、このような歴史的転換が閣議で行われるのであれば独裁は既に始まっている。

国民の責任

増税に言及しての件の発言が大いに反発を招いているをみるや、国民を我々と修正した話が伝えられるが、こうした政治家に力を与えているのは、言葉通り国民であり我々の責任であるがゆえ、この顛末は長く記憶されなければならない。

日本を戦争ができる国に作り変えようとするのは、その題目によって到底、受け容れられないはずのことを押し通すことができると学んだからで、同じ人間が原発の再稼働を推し進めている以上は、本当に戦争をやろうとは考えていないだろうという指摘は全くその通り。しかし専守防衛の思想をなし崩しに放擲したそのことは、攻撃抑止の可能性を自主的にゼロにしたと査定しておくべきで、自ら内憂外患を求める愚かさによって国は滅ぶ。

旅するサンドイッチ

『旅するサンドイッチ』を観る。もとはテレビ東京と高崎市のタイアップ企画によるテレビドラマみたい。劇中に高崎市長が登場して挨拶する微妙な生臭さもあるのだけれど、伊藤万理華と富田望生がキッチンカーで旅をするサンドイッチ屋でこれに寺島進と宮崎美子が演じる農家の夫婦が絡んでくる話で、まずそれなりのキャストが組まれている。伊藤万理華はいつもの感じだったとして、そこがいい。家族間のいざこざを、流れもののサンドイッチ屋が解決して去っていくという、懐かしい風来坊もののフォーマットを久しぶりにみた気がする。

この12月、戦後を貫いてきた自衛隊の専守防衛や防衛費のシーリングといった重要な原則が事実上、勝手に塗り替えられるという恐るべき事態の進展をみている。これとセットにした増税や復興財源の借りパクまで開き直ってすすめようというのは、党内右派の声を丹念に聞くことによる求心力の維持を、自身の財政規律派としてのアイデンティティを保ちながら実現しようというある意味で整合的な帰結のだろうが、大平正芳元首相のいう「楕円の理論」のバランスが崩れた結果、その回転の軌道は均衡を失って暴走しているようにしか見えない。そして何もできないはずのレイムダックが、これまでの全てを薙ぎ倒すのを、NHKは既成事実であるかのように伝えている。

エルピス 第8話

『エルピス -希望、あるいは災い-』の第8話を観る。格好つけと自己評価しつつ、逃げるわけにはいかないと言い切る岸本琢朗の格好よさよ。もはや、眞栄田郷敦のファンであることを認めるにやぶさかではない。自己評価が高止まりしたまま、特に下がる必要を認めていなかったこの人物の変貌こそ、物語の醍醐味というものだと思うのである。

退社の日、会社の廊下を歩いていた岸本に駆け寄る武田信玄、岸本その人が紛れもなく一流のジャーナリストであることを認める桂木新太郎の登場にはちょっと泣く。第1話冒頭、自覚のないディレクターだった岸本に説教した男の再登場によって、物語はいよいよ終盤に傾れ込むということであろう。

そして物語の始めで、対話なく世代の異なる桂木を評価し見切ったつもりになっていた岸本が、世界の訳のわからなさと失われた浅川の「簡単さ」に涙するこのシークエンスは、全編のテーマを窺わせる重要な一節とみえる。「簡単さ」を諦めて訳のわからなさを受け容れていく眞栄田郷敦がまた、いいという他ないくらいいいのだが、渡辺あやの脚本の凄みもまた、ここに結晶している。

漢字

その年を象徴する漢字というと一気に年の瀬という気がして、しっかり風物としても定着している気がするけれど、今年は戦ということになったそうである。万人を説得する文脈があることを否定はしないけれど、もうひとつの有力候補である「壺」が選ばれることは決してないであろうがゆえに、これを推したい。だって戦争の方は終わりの見通しが立たないではないかと思ったのだが、考えてみれば壺の方だって、まるで決着などついていないのである。いろいろに見通しの立たないまま、2022年は暮れる。

パンデミックのほうも3年ぶりのあれこれが再開した挙句、淡々と死者の数は積み上がり、この年はこれまでと水準の異なる死亡者を記録して、しかし経済再開の代償としてこれに目を瞑ろうというのが今のモードである。1割から2割に後遺症が残る状況で、このゲームが持続可能なのかという点については実は結論が出ていない時間帯にある。

第47回

『鎌倉殿の13人』の第47回を観る。次週、第48回が最終話であるということを知って愕然としている。承久の乱は未だ序盤、尼将軍となった政子が御家人たちに演説を行うのをクライマックスとして次回、刮目して待てというところだが、大江広元がちゃっかり開眼しているのには笑う。これ、どういう設定。

今回、再登場となった矢柴俊博が上皇の使者、押松というのもうれしい。京に送り返され、上皇に鎌倉からの宣戦布告を告げる楽しい役回りが残っているはずである。

週明けは強い寒気が南下して日本海側と山間部には積雪の予報。