ランボー ラスト・ブラッド

『ランボー ラスト・ブラッド』を観る。前作に『最後の戦場』という副題がついていたくらいだし、その原題の『Rambo』にもある種の潔さがあって、三部作から20年後の登場だとしてもシリーズの掉尾を飾るには悪くない作品だと思っていたのである。それがさらに10年経って、第1作『First Blood』を閉じる『Last Blood』だと言われれば何だか余分な話になるのではないかという予感は禁じ得ない。

その予感はちょっと斜めな感じに的中し、やはり蛇足だったという以上に怪作というべき内容に仕上がっている。社会から爪弾きにされた主人公は晩年をメキシコに程近い農場で過ごしていたのだが、我が子同然という娘が巻き込まれたトラブルをきっかけにメキシカンカルテルと命の遣り取りをすることになる。父親の農場の地下に、迷宮のような地下通路を作り続けているジョン=ランボーはベトナム戦争のトラウマで精神の均衡を崩しているというあたりの説明でいいとしても、全体のクライマックスはアクションというより、ホラーのテイストの演出に終始して、いつの間にかジャンルが遷移していて何だかびっくりする。Netflixの本作紹介に「身の毛のよだつような」というタグがついているのは、作品本位の評価だと感心したものである。本当のところ。

偽りの杯

『窓際のスパイ』を観る。シーズン2の第3話、シーズン1からSlow Horsesの一員だったミン=ハーパーが退場して、事態はじりじりと緊迫の度を深める。二つのオペレーションが並行し、どこに向かうか判然としない時間帯に、ラムだけがロシアのオーケストレーションを見抜く。リヴァー=カートライトにはやや手に余る事態が突如、出来する次回へのヒキは相変わらずうまい。

この日、イーロン=マスクがTwitterで休眠状態にある15億のアカウントを削除すると発表して、Twitter社自身による故人のアカウントの保護についてのかつての表明との整合を問われる。もちろん、亡くなってしまった人のアカウントが件の15億に含まれていることは間違いなく、それを見分けることはどんな会社にとっても不可能であろう。やむを得ない事情によって突然、中断された文脈を切り捨てる決断をすることは、いよいよサービスそのものの本質的な部分が大きく変えられていくということを意味する。

ノエルの日記

コンテンツ重視というよりは、つらつらと書き連ねた文章だけが中身のこのサイトなので最近、いわゆる静的サイトジェネレーターで運用するのも一案ではないかと考えていて、第一段階として、まずはWordPressのエクスポートファイルをマークダウン形式のテキストファイルに変換してみる。その種の仕事にはもちろん、先人の偉大な積み重ねがあり、Node.jsを導入しwordpress-export-to-markdownという有難いスクリプトを走らせるだけで、30MBを超えるxmlファイルを9,000個以上のファイルに分割しフォルダに仕分けまでしてくれるので感動している。とりあえず、GitHubのレポジトリにpushして履歴管理を始めてみたり。

Netflixで『ノエルの日記』を観る。人気作家が弁護士に伝えられた母親の死を契機に帰郷し、そこで知り合った女性と彼女の母親を探す旅に出て父親と和解する。もちろん二人は恋に落ちるという話で、予想を外れる内容は何もないけれど、それなりに整った話にはなっている。現実にはまずない設定だが映画ではよくみるストーリーで、ただゴミ屋敷となった実家の描写には妙なリアリティがあって、そのあたりには関係者の実体験が反映されている気がする。帰郷ものと呼ぶべき典型的なジャンル映画で、100分ほどなのでぼんやり観るにはいい感じ。

転覆

この日、ドイツで第二帝国復活を目論む「帝国市民」なる集団25名が議事堂襲撃を画策した国家転覆の容疑で捕縛される。一部にロシアとの繋がりが取り沙汰される様子もあるのだが、「ハインリヒ侯子」を連邦首班とするクーデター計画には戦前回帰というより、『銀河英雄伝説』的な妄想世界の雰囲気が強く、その喜劇性そのものが『銀河英雄伝説』の一エピソードのようである。しかし、つまり、茶番だと切って捨てること自体が民主主義を危うくする考え方という種類の話であろう。

まことストーリーには世界を滅ぼす魔力がある。ひとりひとりがこれに加わることになった経緯を詳しく知りたいと思うのだが、帝国市民事件として詳細が伝えられる日は来るだろうか。これが歴史の一幕であれば、その後の大乱の予兆として語られる種類の話であり、もたらされる混乱の大きさから速やかに埋もれてしまうことになるのが常なのだが。

エルピス 第7話

『エルピス -希望、あるいは災い-』の観る。開かずの扉が思いがけず開いたように見え、しかしボケてるふりして考えることから逃げることを許さない第7話。岡部たかし演じる村井が左遷されてからもちょくちょく顔を出すのがうれしいのだが、もとの悪役ぶりからするとこの振れ幅を成立させている脚本は大したものではないか。そして、聞かない、考えない、話さない、開けちゃいけないパンドラの箱というセリフを投じてくるのが、もう二度と出てこないのではないかと考えていた所轄の刑事 平川である。毒の回った頭で走り続ける死に損ないの息を、早く止めてやってくださいよというやりとりは、息を呑むような今回の見どころで、毎度こういう会話が入ってくるのがすごい。いくつもの実際の冤罪事件を下敷きにしたドラマであることを想い出せば、なおさら。

サッカーで大騒ぎをしている陰で、専守防衛の言葉は骨抜きにされ、航空自衛隊のF-15がフィリピンまで飛んで着々とレッドラインを後退させる。2022年は戦後の大転換が行われた年として、ことによったら戦前、その後の方向が決まった年として記憶されることになるだろう。

Audible

朗読を聞くという体験は、いわゆる読書とは明らかに異なるものだけれど、たまに好ましいと思うタイミングがあって、Audibleを利用したり休止したりを繰り返している。ちょっと前に聴き放題がメインのプランになってから、ビジネスとしてどうなのかは知らないが、コンテンツはやや充実の方向にあるみたい。少し速度を早めても標準的な長編なら10時間を超えることになるから習慣を継続するのが大変なのだけれど、聴いたり読んだりのハイブリッドを試してみたり。デジタルなら横断的な定額プランも設計できそうな気がするけれど、問題は誰にとっても時間が有限資源だということみたい。

ごめんね青春!

Netflixで配信の始まった『ごめんね青春!』を観ている。宮藤官九郎脚本特有の面白さと、のちに活躍することになる若い役者陣の豪華さで見どころが詰まっている感じ。伊豆箱根鉄道、通称「いずっぱこ」といえば『逃げるは恥だが役に立つ』の第6話にも登場していたのだけれど、ハートの吊り革も物語的な原典ともいえるこのドラマを今まで観たことがなかったのである。そういえば、このところ錦戸亮のドラマをほぼ見ない気がするのだけれど、これは業界の暗い事情というものなのだろうか。

週末からまた少し気温が下がり、いよいよ年末の雰囲気が出てきて、こちらも大詰めとなる『鎌倉殿の13人』第46回を観る。実衣の処遇をめぐって政子が自ら尼将軍を名乗るようになり、後世の評価との整合がとられる。三寅こと、のちの九条頼経が下向してきて、あと1年くらい、ドロドロの執権政治に材をとって大河ドラマが作れそうだけれど、残すところ2回ということである。