変化

渡世の事情で東京出張。さきに京都まで出かけた記憶はあるけれど、仕事で東京に出かけたのはパンデミック以来の気がしなくもない。まだまだ新しい高層のオフィスビルに、ソーシャル系サービスの会社が入っていたのだが、とうに移転済みで働き方のスタイルは日本においてもだいぶ変わっているのだろうと思うのである。新宿においても人の距離はかつての記憶ほど、稠密ではないような気もするし、パンデミックの記憶は確実に行動様式を変化させ、すべて元通りとなることはないだろう。

It’s over

COVID-19の感染拡大が終わったと言い募ったところで、疫病は消えてなくなるわけではないことは自明だが、これをなかったことにしたいというのはどこの国でも同じようで、正常性バイアスに積極的に同調しようとする人々に警告する海外の啓蒙目的の短い動画をみる。見て見ぬふりをしたところで、足元から火の手は上がるというわかりやすい表現だが、まぁ、実際にもそれと大差ない状況が現出することになる。1万からの人間が超過的に死亡する状況が継続して特に改善の見通しがないという経験は、近年の日本の社会にとってもあまり経験のないことである。そして一巡、二巡して罹患群の特徴が変わっていくにつれ、どのような変異が起きるかはもちろん何人にも予想がつかない。

関ヶ原

『関ヶ原』を観る。原田眞人監督・脚本、岡田准一主演の一連の作品を、これで全て抑えたということになるけれど、わりあい好みであろう話が後回しになっていたのは2時間半の長尺によるところで、もちろん観れば面白いのである。これも司馬遼太郎の小説を原作にした映画化で、伊賀者の暗躍が本線に組み込まれ島左近が治部の少輔に寄り添う、ややエンタメ寄りのトーンだが、筋書き自体は変えようもない結末に向かっていくのだから、こういう味付けもありだろう。滝藤賢一の秀吉がなかなかいい。

役所広司の徳川家康から松潤というのも落差が大きいのだが、BS4Kの『どうする家康』で、岡田准一と吉原光夫ばかりみているこの数日に駄目をおす。有村架純がまたもや辛い目にあっていたり、いろいろが混ざり合う日曜日の夕。

燃えよ剣

『燃えよ剣』を観る。もちろん司馬遼太郎の小説の、原田眞人監督・脚本による映画化。『ヘルドックス』の役者と被っているところが多いので嬉しくなってしまう。原田眞人監督の脚本は長大な話を2時間半の尺で端正に語り、ロケをうまく使って実はあまり金をかけずに雰囲気のある画面を作っている様子で、職業監督としての手際に感心することが多いのだが、俳優の揃え方にも同じ合理性を感じる。であればこそ、立て続けに大作を世に出すことができるのであろう。大したものである。岡田准一の土方歳三はもちろん期待通り。中世の流儀を生きる男が実にハマっている。

NHKで始まった『探偵ロマンス』を観る。若き江戸川乱歩、平井太郎の物語の第1話。ちょっと予想外の内容ではあったけれど、この雰囲気はNHKのドラマでなければ醸せない。

ヘルドックス

『ヘルドックス』を観る。原田眞人監督による深町秋生の小説の映画化。岡田准一主演のアクションで、坂口健太郎がイカれたバディというからにはキャラクターの立ちだけでも楽しみというものだが、これが面白い。冒頭、熱帯アジアの辺境を思わせる日本の片田舎、養鶏場に現れた追跡者が命のやり取りの果て、フレーザーの金枝篇から「静かなる鏡のごとき湖が眠れるアリチアの森」と口ずさむのである。その違和感にフックがあって、これがそのまま「王殺し」の予告となっているのだから、まぁ、面白くならないはずがない。ロケーションもいちいち凝っていて、最終盤の舞台となる廃ホテルにはThe Golden Boughという看板が残っている。主人公の兼高がたびたび「闇の奥」というのは、もちろん『地獄の黙示録』の原作となったコンラッドの小説を引いているのだが、カーツ大佐の愛読書が『金枝篇』ということでモチーフは円環をなし、この物語が狂気の王国の遡行であることを暗示する。深町の原作は三部作なのだが、この調子で映画もトリロジーにしてもらえないだろうか。最高。

原田眞人監督は岡田准一主演で『関ヶ原』と『燃えよ剣』を撮っているのだが、どうしてか未見なので、これは観るつもり。

ベヨネース列岩

この日、東京都最果ての島、青ヶ島南南東65キロにあるベヨネース列岩付近の海水が変色していることが伝えられ、噴火警報が発せられる。明神礁とも呼ばれる付近の海底はカルデラ火山の円環が明確な地形で、今回のような変色水はたびたび観察されて都度、警戒が発せられているようである。一方で、1952年には観測中の海上保安庁の船が噴火に巻き込まれて31人の乗組員全員が亡くなるという痛ましい事件が起きているということは初めて知った。今回の異変が噴火にまでつながるかはわからないけれど、海底でのカルデラ火山の噴火は水蒸気爆発をともなう非常に激しいものになるだろう。噴火の恐ろしさは規模の上限がないというところだけれど、日本列島はるか南海はプレートの大規模構造が押し寄せる力の溜まり場であるのだなという感嘆しきり。個人的にはベヨネース列岩をはじめとする固有名詞に大映映画的ニュアンスを感じるのだが、迫り来る巨大なスケールの影そのものに対する畏怖でもあると思うのである。

90秒

世界終末時計は10秒分、終局に近づいて残り90秒となる。これまでとは桁が違うということで、質的変化を表現しようということだと思うのだが、次に10秒を切るまでのアポカリプス的事象には事欠かない気がするから、90秒としたことにはある種の願望が込められているに違いない。破局へのカウントダウンは加速度的に速くなるものだろうが、Doomsday Clockは終末に近づくにつれ、時間が引き延ばされる性質をもっているとみえるのである。その気持ちはわかる。

記録的な低温となったこの日、一週間前に予告されたこの地での-16度は予言的に成就する。この極端な変化があらかじめ見通せるということに感心したのだけれど、科学的な手法に基づくモデルは大きな構造であれば、かなりの精度を出すことができるまでになっているということだろう。

同じ日、日本の少子化についての予測は7年前倒しで現実が先行しているというニュースがあって、いや日本ばかりでなく、人類が自らのことを見通すことができることは、ついにないに違いない。

この日、ドイツとヨーロッパからはレオパルト2、アメリカからエイブラムスがウクライナに供与されることが決まって、情勢は激化の方向に進展する。