いやはや

同性婚を否定した首相答弁がいかにも自民党らしい体質を改めて示したことが騒ぎになっているけれど、与党内多数意見がこうした今様の右派カルト的見解で占められていることを疑う余地はあるまい。秘書官の更迭にしたところで、政権の価値観と相容れないという大嘘には呆れ返る。筋目を通すなら、そもそも先に放擲されるべき人材は十指に余る。

多様性の欠如という点では、G7どころかG20まで範囲を広げてもダントツであることが俄かに意識されて、政府からは泥縄とさえ言えないお粗末なお気持ち表明が続いているが、まさか今さら糊塗できると考えているわけでもあるまい。一事が万事、そうしたレベルで、いったい何を考えているかわからないというのが、この政権の特徴だと思うのである。COVID-19の5類への変更やマスク義務の解除はサミットを意識していたという話があるが、世界標準をいうのであれば、もちろん先に気にすべきはこちらであって、しかしまぁ、取り繕いようもない。

気球

アメリカ上空で発見された気球が軍事的な意図をもって中国によって運用されているとの発表がされ、結局のところ東海岸上空で撃墜された顛末は、やはりどうしたって、太平洋戦争当時の風船爆弾を思い出させる。無誘導の牧歌的な雰囲気とは裏腹に、偏西風を使った本土直接攻撃の結果としてオレゴン州でピクニック中の民間人の死者を出し、大陸間で初めて使用された兵器と認識されているくらいだから、この領空侵犯をたかが気球で片付ける気配がないのにも不思議はない。風船爆弾の場合には1万個近くが日本から放たれ、数百のオーダーでアメリカに到達したようだけれど、中国が気象観測用というこの気球が、どのような運用の結果としてアメリカまで到達したかは興味がある。ひょっとしたら制御装置もあったかも知れないが、どこから上げられたものなのかは大いに追求されるであろう。かつて、本邦でも目撃されたことがあるようだから、完全に風任せ、成り行き任せというわけでもないのではなかろうか。

そしてこの後しばらく、あらゆる気球や風船が、厳しく通報の対象となるのは間違いない。何だかよくわからない、字義通りの未確認飛行物体がぼんやり上空を漂うことが許されない時間帯にこの世界はある。

本人

『舞妓さんちのまかないさん』を第9話まで完走する。途中、第6話には坂東彌十郎が本人役で登場し、なぜかそれに三谷幸喜がついてくる話がある。2022年現在の話なので、セリフには『鎌倉殿』まで登場し、三谷幸喜がひたすらいい加減な脚本家を演じているあたりが見どころ。いや、こういうのは嫌いじゃないし、よくわからんけど祇園っぽい。全9話で1年を通した成長譚になっていて、この調子なら何シーズンでも作れそうな感じ。

『どうする家康』は前年とは全く異なる色調の大河ドラマだと承知しているけれど、本田正信が服部半蔵を起用した瀬名の奪還作戦を立案する。何だか懐かしい少年漫画のような展開で、まぁ、これはこれであり。

舞妓さんちのまかないさん

Netflixで『舞妓さんちのまかないさん』を観る。同名の漫画の実写化で、是枝裕和が監督をつとめ、脚本にも入っている。いわゆる置屋を舞台として、舞妓の修行をする仕込みから、家事を取り仕切るまなかいに転向した少女に森七菜。もちろん京都を舞台とした物語なので、興味はあったのだけれど題材としては微妙だと思っていたのである。事件というほどの事件はなく、つまり京都版『深夜食堂』のような温度の物語ではあるけれど、基本的に避け難い搾取構造の扱いに腐心している様子はあって、まず置屋ではなく屋形という言葉が使われる。蒔田彩珠が演じる涼子はドラマ版オリジナルのキャラクターのようだけれど、共同生活をする娘たちとは異なる視点から、その伝統こそが搾取を内包しているのだと疑義を呈する役回りを振られ、これはまぁ、必要な手続きであったろう。劇中、舞妓の芸を伝統芸能としていきたいという希望が語られるが、それほどシンプルな話ではないと思うのである。

とはいえ、京都の静かな日常の雰囲気は美しく切り取られ、食べ物はあくまで美味しそうなので、映画レベルのクオリティの映像を深く考えずに眺めるには十分、堪能できる話になっている。森七菜の演じる主人公キヨの佇まいもいいし、全体に説明を避けた脚本は、しかし工夫があってよく考えられたものだと思うのである。橋本愛が姉さんの役回りときては月日の流れる速さを感じざるを得ないが、ざっと10頭身という感じなのでたまげる。

On Record

首相秘書官がオフレコと称して差別発言を行い、毎日新聞がこれを報道する。もちろん、オフレコは都合の悪いことを報道させないための一方的な宣言であってはならない。首相周辺の看過できない暴言は、同性婚の検討を頑なに拒否するこの政党の全体的な気分を表しているのだろうが、他にも記者がいたはずの取材で、これを報じたのが毎日新聞だけというのは一体どういうことなのか。日本のジャーナリズムの基本的な体質がこのようなものだとすれば、この国の腐敗がここまで極まったのも共謀共同正犯の存在があってのことだろう。他社は何故、オフレコが成立していると考えたのか、せめて見解を示すべきではないか。

世襲

政治団体を引き継ぐなら相続税がかからないというTipsがあるそうだけれど、政治団体の内容はともかく、現在の政治が世襲化を大きな問題としているのは、小さく、時間の経過によってしか顕在化しない腐敗が堆積した結果なのだということを改めて思う。多くの政治体制が暴力的に刷新されなければならないのは、この重量ゆえであろう。政治の世襲と、法の精神を蔑ろにする閣議決定による専制は、新たな戦後の教科書において戦前政治を破局に向かわせた要因として説明されるに違いない。

あるいは

1月は速やかに終了して2023年2月。毎年のことながら、年始の立ち上がりの速さは異常。それなりの尺があったようにも思えるとして、過ぎてしまえば一層短く、凍てつくような寒さの2月である。2月1日にNetflixで配信開始予定だった『エルピス』だけは楽しみにしていたところがあって、こちらはまずエピソード一覧を眺めて楽しんでいる。並列の「と」で結ばれるエピソードタイトルが、最終話だけ「あるいは」となっている形の良さは素晴らしい。黒も白もない世界で、しかし観客自身に選択を促がす物語そのものと調和している。