あずき

選挙で二週間ぶりとなった『どうする家康』は浅井長政の謀反を家康にどのように知らせるかという話になっていて、お市の方が陣中見舞いのあずきで信長に通報したという伝承を踏まえた展開。侍女の阿月がこの任を引き受けて、演じるのは、このところ、よく顔を見る伊東蒼。

さすがに、あずきの入った袋の状態から浅井長政の謀反を察したというのは伝承としても無理のある勘のよさというほかなく、ここに家康とお市の方の関係を組み込んで必然的に翻案されているのだけれど、いろいろなエピソードを踏まえてこれらを消化した脚本はようやく面白くなってきた。

街とその不確かな壁

正直言うと『騎士団長殺し』は積読の状態で、地層の下に埋もれた状態なので読了の目処も立っていないのだけれど、村上春樹の新刊『街とその不確かな壁』はいそいそとこれを買い求める。久しぶりに紙の本で購入したから、一応は気合いも入っているのである。まず、コロナ禍の影響を受けて紡がれた物語自体に興味がある。

村上春樹でいうと、オールタイムベストは『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』という流派なので、佇まいの非常に似た本作が楽しみというのも大きい。1985年の新潮社版は司修の挿画が記憶に残るものだけれど、今度の新刊のタダジュンのカットもよく似た雰囲気を醸して、その趣向もいい。

カオス

Twitter CEOのイーロン=マスクは買収時に8,000人いた従業員は現在1,500人になっていると言ったそうだけれど、どこまで行ったら壊れるかというテストのようなリエンジニアリングの結果、本日現在おすすめで表示されるタイムラインには今さらという他ない陰謀論が次々息を吹き返している印象で、あらゆるデマの拡散とそれを咎める声が渦を巻いている。いつも通りのツイッターランドという見方もできるとして、久しぶりに見るとその混乱の進行は明らかだ。

どうやら、このあたりがコミュニケーションプラットフォームとしてのTwitterの終焉ということではなかろうか。これからしばらく、かつてを増幅したような害悪を撒き散らして、エントロピー増加の果てに朽ち果てていくのではあるまいか。

反動

このところPCの販売は低調という話を聞くけれど、特にAppleが大きく販売を減らしたことが話題となっている。足もとの経済は落ち込む方向にあるから前年同月比での減少に驚きはないし、ソフトウェア業界の人員削減の規模をみれば、十万のオーダーで需要が消失しても不思議はないのである。いやはや。

そして何しろM1からM2への変化はそれほど大きいわけでもないから、こちらにしたところで当面、ラップトップを買い替える必要はないんじゃないかと思っている。あまりにも性能向上が圧倒的だったので、忠実なAppleファンはM1世代で大挙して乗り換え、その大波の後の波形が物理の法則に従って大きく沈み込んだとしても、これまた不思議はない。やや戻したあと、しばらくは横ばいで推移というのが今後のイメージではなかろうか。M3で15インチのMacBook Airが出るという噂があるけれど、それはニッチというものであろう。

New World

5類への移行に向けて極端な緩和策が進行しているけれど、学校でも自宅での療養を5日に短縮する方向という報道があって、もちろんコロナと診断されること自体が極端に少なくなるだろうからどのみち感染は広がるということはあるにしても、これまた特に科学的根拠のない恣意的な政策変更なのである。以後、本邦の防疫はそういう種類のものに成り果てる。

そうして、幾度となく繰り返されるエピデミックは間違いなく免疫の弱い集団と人との接触の多い職種を直撃する。老人やサービス業、ことに不意の稼働率低下を凌ぐことのできない小規模企業は、存続の危機に直面しているということになるが、このところの論調をみれば疫病の淘汰圧を社会的に利用しようという姿勢すら見えるようで、そうした邪悪な意図があったとしても驚かない。陰謀論というなら、これほど陰謀らしい陰謀もないのではないか。

道理

山梨県都留市では市役所で新型コロナウイルスの感染が広がり、職員の四分の一以上が欠勤しているそうである。5月以降、この状況は「風邪」が広がったという風に処理され、例えば家族が発熱しても普通に社会活動が行われることになるので、急速な拡大と自然免疫の広がりによるピークアウトというサイクルを何回か繰り返すだろう。その過程で社会サービスの局所的な機能不全は散発的に起きることになる。もちろん、あらゆる会社でも同様の状況が出来するだろう。

トロイ

統一地方選挙の前半戦は、ほとんど予想通りにロクでもない結果となって、この国の未来にさらにさらに暗い影をさす。公民教育の決定的な荒廃は既に民主主義の基盤を揺るがす段階に来ていて、その崩落は勢いを増していくのではなかろうか。教育なくして市民が自分の権利や他者の権利を理解し尊重することはできないが、その基礎を攻撃しようというのが、この10年か、ことによったらさらに長い年月をかけ政権党によって取り組まれている一大事業なのである。その発想がカルトと同期していることに疑問の余地はないように思われる。

この日、Open AIのサム=アルトマンが来日して、日本市場へのコミットメントを表明する。それが約束ということであれば、いわゆるビックテックはことごとく日本を市場としているのだから、あまり不思議はないけれど、この爆発的に発展途上の領域において最有力のプレイヤーがコミットするということは、つまりAmazonと同じく、自国のプレイヤーを根絶するということであって、喜ぶべきことかはわからない。そういえば、中国だけでなく欧州でも厳しい目を向けられている同社にとって、関与できる市場というのはそもそもあまりないということかもしれない。