さかなのこ

『さかなのこ』を観る。さかなクンの半生を題材にした沖田修一の監督・脚本作品。さかなクンをのんが演じて高い評価を得た映画だけれど、昭和の小学生がおそろしく緻密に描かれていて、この細部の稠密さにまずは感心する。その時代性は沖田監督にしか描けないのではないかと思ったものである。そしてもちろん、この役を宛て書きされたのんは素晴らしく、139分の長尺をぐいぐい牽引していく。能年玲奈とさかなクンという、かつて『あまちゃん』で共演した二人が、このような映画で再会しようとは。

柳楽優弥、夏帆、磯村勇斗、岡山天音という助演の分厚さにも目を見張る。ビーバップ的高校生活を描きたくなるのも納得の布陣で、このパートはやたらと面白い。

インターステラー

クリストファー=ノーラン監督の作品はどれも好きだけれど、順番をつけるとすれば『インターステラー』次いで『TENET』となるか。『インターステラー』が2014年なので、10年近く経っているけれど、あの長い物語はたまに観返して、なお飽きない。オールタイムベストの一角には入る映画である。

印象的なロボットのTARSやCASEをみているうちChatGPTを連想したのだが、現代のAIも、この映画のプロットに精通しているばかりでなく、ロボットたちの振る舞いも理解していて語り合えるレベル。聞くと、地図の座標をモールス信号に変換するくらいわけないと言うので、実際のところCASEまでもうすぐという感じ。

雇用統計

この日、アメリカの雇用統計が更新される。市場の関心はインフレの行方にあるわけだが、失業率は事前の予想にほぼ違わない水準にあって堅調に推移している様子が確認され、したがって利上げの観測がやや勢いを取り戻す。

労働参加率自体はやや改善基調にあるということらしいけれど、いろいろ考えると金融引き締めの手を緩めるということはないのではなかろうか。必然的にまず需要と金融システムが影響を受けることになるが、はじめからわかっていることなのである。

海からきたチフス

この日、畑正憲が亡くなったというニュースが流れる。北杜夫から入って、この人のエッセイも子供の頃に読んだけれど、何より記憶に残っているのは角川文庫にあったジュブナイルSFの『海からきたチフス』で、小学生の夏休みのひととき、あまりの面白さに衝撃を受けたものである。

生物に不可欠なアデノシン三リン酸、ATPというものを、この小説を通じて知った。そして思えば、いつまで経っても侵略ものが好きなのにも、この小説の影響があるような気がする。三つ子の魂百まで。

不作為

国民を何度となくCOVID-19に罹患させようというスタイルに舵を切り、結果として2022年の超過死亡は前年の5万人を大きく上回って17万人くらいになったようである。コロナに直接関連づけられる死者としては、そもそも感染者の多い大阪、札幌などで死亡率が高い傾向にあることがわかっている。

結局のところ、医療サービスに辿り着けるかどうかが死亡率そのものを決めることになるが、5類への移行によってその可能性は劇的に狭まり、人口あたりの死者はほとんどアメリカと同じ状況が現出する。かの国にしたところで何もしないということはないのだが、積極的に何もしないというのがこの国で、見て見ぬふりという伝統的な所作をまたしても発動しようというわけである。

仕様変更

この日、予期されたことではあるけれど、Twitter APIの仕様変更によってWordPress投稿のTwitter連携機能が停止する。コンテンツのフローあってのSNSであれば、Twitterの発展を支えたエコシステムを自ら破壊するのは不可解としか言いようがない。

そう思ってTwitterのホームを開けば、見慣れた青い鳥のアイコンに代わってドージコインの柴犬がタイムラインを横にしてそっぽを向いている。エイプリルフールから3日、どうやらある種の狂人のすることだから、まぁ、いろいろ言っても仕方ないという感じでそっとページを閉じる。もしかしたら、そこまで計算されているとしてもだ。

予兆

この日は、ひときわ多く花粉が飛散したらしく、朝のオンラインミーティングではイヤホンから鼻詰まり気味の声が多く聞こえる。次々と鼻声の音声が入ってくるので、機器の異常を疑ったほどだが、対面で会う人が花粉症による不調を訴えるので納得した次第。デジタルで仕事はすすむものだが、リアルによる情報の取得もそれなりに大事という意見には説得力がある。

幸い、当方の花粉症は酷いものではなくて、ときどき目の周りに痒みを感じるくらい。しかし加齢とともに身体の支障は出てくるもので、このところ腰のあたりにいわゆるぎっくり腰の予兆を感じることがあって戦々恐々としてる。背筋の衰え、姿勢の悪さがおそらくその原因で、気をつけてはいるのだが、ある日、たぶん物を拾い上げるタイミングか何かで、そのまま動けなくなるだろう予感がある。