出張から戻った週末のこの日も休日出勤して仕事。基本的に土日は完全オフというポリシーを運用してきたはずなのだが、この数ヶ月は異常な状態に落ち込んでいる。このうえ地域の活動もあって、文化的自己研鑽が滞っている。
台風10号はそろそろ温帯低気圧になるのかと思っていたのだが、引き続き遅い速度で迷走というべき動きを見せ、当地でも時おり、強く雨が降る。
出張から戻った週末のこの日も休日出勤して仕事。基本的に土日は完全オフというポリシーを運用してきたはずなのだが、この数ヶ月は異常な状態に落ち込んでいる。このうえ地域の活動もあって、文化的自己研鑽が滞っている。
台風10号はそろそろ温帯低気圧になるのかと思っていたのだが、引き続き遅い速度で迷走というべき動きを見せ、当地でも時おり、強く雨が降る。
この前夜、台風の本体は遠く九州にあって、しかしその大きな回転は海上から水分を多く含んだ大気を本州沿岸に吹きつける。日本各地で大雨が降り、道路は冠水して、鉄道は雨量の増加にともない至るところで止まる。
そういうこともあろうかと、出張移動を早めていた当方が都内のホテルで安眠を貪っていた頃、中央本線は夕方から東京都から山梨にかかるあたりの雨が規制値を超え、走行中の特急は途中の駅で立ち往生となる。この遅延は300分を越え、目的地の新宿に着いたのは午前4時近くとなったそうである。車中では早速、車掌に喰ってかかる乗客が出現し、人は食料に群がったということだが、なるほどそうした民度であれば、小惑星衝突によって文明崩壊が迫るくらいの天変地異では世紀末的な荒んだ世界が俄かに現出するシナリオにも説得力がある。
太平洋と大陸の高気圧に挟まれた台風10号は九州上陸後も遅々とした動きで、やや勢力を弱めつつも日本各地に大雨を降らせる。この日は結局、東京出張もキャンセルとならず、もともと泊まりの予定だったのだけれど中央本線は大月付近の大雨の影響で運休となっているみたい。困るのだけれど、平常運転といえばその通り。
台風10号はゆっくりとした動きで、いよいよ九州に向かっている。上陸前ではあるものの、鹿児島には特別警報が出され、四国にかけて1000ミリを超える降水量が予想される場所もあるというのだが、そうなればもちろん大きな災害を引き起こすに違いないのである。秒速40メートルを超える風と大雨に、ほとんど一日晒された土地にどのような被害が生じるか、観測された例はあるのだろうか。
『0.5の男』では、じゃがりことモンスターエナジーが韓流ドラマのプロダクトプレイスメントもかくやというくらいにフィーチャーさえていたわけだが、自動販売機にモンスターエナジーがあったのでつい買ってしまう。いわゆる単純接触効果というのは、かくも効き目があるということだ。毒々しい砂糖の味がした。
中央道で路線を規制しての工事が上下線で再開していて、朝は早く通過するのでいいのだが、帰りはそれなりの渋滞に巻き込まれるのが日常となっている。だいたい20分は余分にかかる勘定で、工事自体は11月まで続くというのが辛い。
台風10号は大きく西へ迂回し、黒潮の海水温からエネルギーを吸収して940hpaの非常に強い勢力となる。熊本あたりから列島を西進する予想だが、これもどうなるか。
『0.5の男』を観る。松田龍平が引きこもっている家を2.5世帯住宅に改築された40男の役回り。設定ほど深刻な雰囲気なく展開する話は、しかし物語の進行に応じてそれなりの葛藤を垣間見せる。ユーモアとペーソスの微妙なバランスで何となく観られてしまう5話完結のシリーズなのだが、うち3話で沖田修一が監督を務め、脚本にも入っているので、なるほどという感じ。この温度の引きこもりというのは実際には案外あるのではないかという気がしなくもなく、しかし無論のこと、人生は続く。
この日、台風10号の進路予想はずいぶんと西寄りに修正され、これに応じて列島に与える影響の時間軸もやや長くなったみたい。今のところ当地は日本海に抜けた台風の影響を受けるかどうかという様子だけれど、もちろんこれからどうなるかは予断を許さない。
『マダム・ウェブ』を観る。MCUに関係しつつ、しかしこれはソニーズ・スパイダーマン・ユニバースと称するソニーのオリジナルユニバースの第一弾なのだそうである。確か封切りのときには興行の記録もパッとせず、批評家の評判も散々で、何より主演のダコダ=ジョンソンが制作そのものを批判した記事を読んでいたので、あらかじめ期待はしていなかったのだけれど、確かに感心するようなところはなくて、主人公が持つ直近の未来を予知する能力が、映像演出全体を混乱させているようなところがある。端的に言って、設定が演出家の力量を超えているのではなかろうか。加えてストーリー全体は不思議な平たさとご都合主義の合成とみえ、わかりやすさと難解さが同居している。どうしたらこんな雰囲気になるのだろうかと思ったのだけれど、脚本を生成AIでりライトしたと言われても驚かない。むしろ、本当にそうしたことをやっているのではないだろうかという気がしていて、だとすれば観客がそれを見抜いたという点で意味がある作品となっている。