調整

この日、東京市場は大きく調整して1,900円を超える下落。新たな内閣では、これまで日銀の独立性を牽制してきた政治の重しが除かれるという思惑が金利の上昇を織り込んできたという説明だが、正常化に向けて不可避な調整であればどこで起きても不思議はないものには違いない。経済に対する政治の役割は、もともと金融政策以外の場所で発揮されるべきだろうし、中央銀行の独立性というフィクションを守ることさえできない政体が、民主主義の擁護などできるはずもないのである。

この日から朝ドラでは『虎に翼』に代わり『おむすび』が始まっているのだけれど、観るかどうかはまだ決めかねている。これまでの予告を見る限り、興味を惹かれる要素がないので。

多様性

この週末で石破新内閣の顔ぶれがだいたい決まったようだけれど、反主流派のイメージがある当人だとして権力基盤の確立のためには主流各派に満遍なく目配りせざるを得ないという雰囲気で、結局のところこれまで見てきたような、政治的功績もわからぬ年寄りの男性ばかりが名を連ねる。これに世襲が加わって、日本の政治体制の絶望を凝縮したような塩梅になっているので、やはり政権交代と制度の刷新に何年か取り組まないことには話にならないということであろう。ひどいものである。

損するのは嫌だから

『損するのは嫌だから』を観る。いかにもシン=ミナらしい王道のラブコメで、今やあまりにもありふれた設定となった偽装結婚もの。このジャンルはそろそろ体系的に総括されてもいいのではなかろうか。それはともかく、ジャンルドラマとしては安定の展開と演出で、するすると観られてしまう。高度に完成された様式美というものが存在する。

この日もイスラエルはレバノンへの空爆を続け、ヒズボラの最高指導者を爆殺したことが伝えられる。イスラエルにとっては当面の最大目標を達成したということになるのかもしれないが、結局のところイランとの争いということであれば出口などあってないようなものと見えるし、無数に撒かれた憎しみの種子はやがてさらに大きな衝突を引き起こすことになる。

虎に翼

『虎に翼』はいよいよ最終回。第1話から毎日欠かさず楽しみにしてきた朝ドラといえば『あまちゃん』『ひよっこ』についで3つめということになる。オープニングのダンスに当世の看護師がいるので、そうなるだろうと考えていた通り、現代に近い時間軸まで話を継いで、誰でもない普通の私たちの物語として全編は完結する。徹頭徹尾、言いたいことがはっきりしている極上のドラマだったと思うものである。

そして我々の社会からは既にだいぶ遊離しているようにしか思えない政界では、自民党の総裁選が決着し、大方の予想の外から石破氏が当選を果たす。どれもダメという消去法のなかで、得票が推薦人の数を下回る候補すらあったのは自己認識の不十分と人徳のなさを露呈しているというもので、何というかみっともない。新たな総裁がどうかといえば、あらゆる地政学的緊張が高まっているこの世界で、安全保障のメッセージがやけに目につくというのも、逆にバランスを欠いているということにはなるまいか。

中東危機

プーチンは核ドクトリンの見直しを表明し、ウクライナによるドローンや長距離ミサイルによる攻撃を強く牽制する。イスラエルとヒズボラの応酬はエスカレートし、イスラエルは地上戦の可能性に言及する。アメリカは中東での全面戦争の危険を認識しつつ自国の大統領選挙を迎える。

こうした状況を通常の資本市場があまり織り込もうとしなくなったのは近年の傾向だと思うのだけれど、情報の流通速度と市場の多様化はリスクのバランス化を機械取引による激烈な調整機能に預け、人間の正常バイアスを助長するように動いているような気がしてならない。生身の人間は慣性の法則に従って、崖上から転落することになるだろう。

おむすび

『虎に翼』もあと数回となって、昭和25年の尊属殺判決を最高裁が覆すヤマ場。憲法14条にこだわり続けてきた本作の締めくくりに相応しく、厳かに桂場長官が判決を読み上げる。半年の時間をかけて積み上げてきた物語なりのカタルシスというものがある。

それはそうと、下期は『おむすび』という現代劇らしいのだけれど、短い予告から窺える物語傾向のあまりの違いに驚いている。この落差をどのように感じるのか、いっそ興味深くもあるのだが。

エスカレーション

イスラエルはこの前日、レバノンの1300箇所に爆撃を行い、500人近い市民が死亡し、負傷者は1600人を数える。死者の数は増えるだろう。イランでの暗殺、ベイルートの空爆、関与を明言していないポケベルの連続爆破と国境を超えた攻撃はエスカレーションする一方で、ヨルダン側西岸のアルジャジーラ支局をイスラエル軍が占拠する様子も伝えられたばかり。実態としては、広汎での戦争状態にあって、この先を見通すことができない時間軸にある。こうした光景は、この半世紀にわたって繰り返されてきた制圧と抵抗の、何度目かの再演だとして、その大義は大きく揺らいでいる。