クラウド

クラウド型のサービスのスピードは、今やそこそこ長い歴史を経てあらゆるものが速くなっており、不満を感じることも少ない。NotionにAPIで1万個近いドキュメントをインポートする作業も意外にスムーズで、やはりコンテンツは全てクラウドサーバーに集約されていくのかと思ったのだけれど、実際の使用感にはビューの切り替えひとつに重さを感じざるを得ず、その不満を抱えながら運用すること自体にあまり意味がないので、ちょっと考えている。

おそらく、ひとつのデータベースのコンテナページに、全てのデータを持たせている構造自体があまり想定されていないのだけれど、それ以外に構成できないケースはあるし、そもそも2万行までは持てることになっているのだ。いや、実際のところ相当、頑張ってパフォーマンスを出していると思うのだけれど、ローカルでの運用と体感を比較する以上は、やはり十全という訳にはいかないのである。当たり前のことではあるけれど。

それはおくとして、1億人を超えたというNotionのユーザーの利用度がどのように分布しているのかには興味がある。企業ユーザーが膨大なドキュメントを持ち込んだとして、満足するパフォーマンスは出ているのだろうか。そう考えると近ごろ同社のCTOにGoogleでスプレッドシートを開発していた人物が採用されたという話はずいぶん、腑に落ちて、依然としてスピードを追求するということが至上命題であるには違いないのであろう。

猟官

この日、下院議員選挙でも共和党が多数を制する見通しが確実となる。新政権の人事は忠臣や価値観を共有するエキセントリックな有名人が名を連ね、大国の斜陽はいよいよあからさまなかたちとなって現れてきた。どんな帝国も滅びるものであれば、今その様子を目のあたりにしてるとしてもおかしくない。一部の地域では空前の経済的繁栄を目にしながら、同時的に自由が窒息する状況を歴史は繰り返し再現していて、第一次世界大戦前の雰囲気というのは、ちょうどこんな感じだったのではあるまいか。

NotionのAPIを使ってマークダウンのテキストファイルをインポートするスクリプトを試している。最近では生成AIの指導を受けながらスクリプトを書けば、Pythonを使って大抵のことはできるようになっている気がする。いうまでもなくAIの波をいちばん大きく受けているのはソフトウェア業界であろう。

GOOD NIGHT OPPY

Amazon Primeで『GOOD NIGHT OPPY』を観る。『宙わたる教室』の第3話も触れられていた火星探査ローバー、双子のオポチュニティとスピリットを題材にしたドキュメンタリー。90日間の活動限界と想定されていながら、2000日以上もの月日を活動したスピリットと、それをも越え、15年にもわたって火星を探査したオポチュニティの苦闘を題材として、科学的な内容はほぼないのだけれど、JPLが挑戦したロマンそのものをきっちり描いていて泣ける。藤竹先生が言っていたように、オポチュニティの探検はそれを支えたチームの旅でもあったのだ。

ローバーの開発では、デザインに人間らしい特徴を持たせることにしたということなのだが、カメラの解像度は人間の正常視力と同等、全高160センチの機体は作中でもCGによって再現されていて、出来はなかなかいい。地球よりも40分長い火星の1日をSOL 1として、スピリットはSOL 2196の火星の冬に沈黙し、オポチュニティはSOL 5262もの間、満身創痍となりながら長い長い旅をして、その苦闘と孤独の物語は、それ自体がやがて意味をもつほどのものだったのである。オポチュニティが撮った、自身のつけた長い轍の写真やSOL 5000を記念した合成の自撮り画像は写真史上の記念碑のひとつであるに違いない。

JPLセンターはオペレーション再開にあたってウェイクアップソングを流すことを伝統にしていて、その選曲のセンスが抜群なので感心する。通信が途絶した緊迫の場面でABAのS.O.S.が流れたのは苦笑するほかないとして。

宙わたる教室

『宙わたる教室』を観る。原作の小説は未読。NHKの夜ドラマの質の高さは約束されているようなものだけれど、窪田正孝のクールなキャラクターが際立つ話はどれもいいし、やや苦味の残る感じも悪くない。これもまた多様性の話である。本当に理解したいのであれば、まずは手を動かすという先生の教えは全くその通り。

海に眠るダイヤモンド

『海に眠るダイヤモンド』は第3話。冷蔵庫、電気釜、テレビが売れる端島の春、屋上にアンテナの乱立するコンクリ団地を描くゴールドラッシュの様子は、エピソードの面白さで目が離せない。この1950年代は真新しいのに嘘臭さがない。言ってしまえば、ありがちな詐欺師の話だけれど、これが物語のディテールの力というものではなかろうか。いや、面白い。

ぎっくり

冷えというのはあるのだろうけれど朝方、ふとした拍子に背中に痛みが走り、そのまま微妙な筋肉の強張りを抱えて、ぎっくり症状をしのいでいる。経験からして安静にしつつ、症状の緩和を待つコースで、あまり打つ手もなく時々、痛がって日中を過ごす。いいたかないが、運動不足なのである。

地区の役回りも最終コーナーに差しかかって、総会の資料やあれこれを作る。さきの年末はどうなることかと思ったものだが、もちろん淡々とこなせば、どんなことにも終わりはくるのである。

欧州もウクライナも言いたいことを飲み込みつつ嵐の到来を予感する時間帯。中東はもはや、何も期待しないだろう。トランプとマスクが早速、徒党を組んでオラオラという感じになっているニュースをみると、迫り来る荒波の大きさを予感せざるを得ないわけである。実際のところ、不愉快極まりない。文化には相当な刺激を与えるだろう。圧政にあって自由の価値を希求するのが人間の本性というものである。

いろいろ片付いていっているはずなのだが、これまた渡世の事情で朝からパソコンに張りついて仕事。やれやれ。