スティーブ・ジョブズ

『スティーブ・ジョブズ』を観る。アシュトン=カッチャーが主演したやつではなく、2015年のダニー=ボイル版。MacintoshとNeXTとiMacのそれぞれの製品発表会の開幕前の數十分を三幕構成でつなげた舞台劇のようなつくりで、ダニー=ボイルが撮るからには伝記的内容といえどもこうなるのかとちょっと感心した。わざわざスティーブ=ジョブズその人を題材にした映画を観ようという人間ならどこかで聞いたことがあるだろう話を繰り出しながら、演劇としての次元で緊迫感を醸し出す構造はよく考えられたもので、ある種の史劇に仕立てようという、これはアイディアの勝利というべきではないか。ただのバックステージものとして、ひどくつまらない内容になる可能性もあったはずである。
そういうわけなので脚本はもちろん虚構的に作り込まれたものとなり、iMacの発表会に臨むジョブズも当時はまだ確立していなかったはずの後年のスタイルで演出されていたりする。三宅一生の黒いタートルネックとジーンズという人々の記憶に残っているスタイルは、それから数年後、iPodの発表会あたりのイメージが流用されているけれど、ボンダイブルーのiMacを発表したジョブズは往時の長髪で、ジャケットすら着込んでおり、後の印象とはだいぶ違う。かくして歴史は再構成されていく。
全体が舞台志向であるからには役者の仕事もなかなかのもので、マイケル=ファスベンダーのスティーブ=ジョブズもさることながら、ケイト=ウィンスレットは物語を牽引しているといってもよく、セス=ローゲンのウォズニアックというキャスティングも面白い。

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