朝から劇場に出かけて『3月のライオン 後編』を観る。前編は宗谷名人と島田九段の対局で終わり、後編は同じ獅子王戦を目指して闘う2年目の物語としてすすむ。今回は川本家の三姉妹がより前景化して、ひなたのイジメ問題や姉妹の父、妻子捨男のエピソードが語られるけれど、映画のオリジナル部分が増えている印象で、限られた尺に思い入れを詰め込み、映画は独自の結末に向かっていく。
そのなかで幸田の家族と後藤九段は特に存在感を強くしていて、冒頭近く、両者の絡む病院のシーンは蛍光灯の点滅が以降の不穏を暗示する転換点にもなっていて巧い。和装の仕立ての場面も、原作にあってもおかしくない感じ。一方で、140分といえどもさすがにイジメと家族の問題を語り切るのは難しく、たとえば原作では厚みのあるキャラクターだった学年主任がチョイ役になっているのは残念といえ、つまり観客は須らく原作を確認すべきであろう。そのくだり、イジメの首謀者である高城は数カットであるものの、まるであてがきしたような存在感で演じられていて、大友監督の変わらないこだわりには感心した。
家族の問題における桐山零の立ち位置はわずかに外輪にあって原作とはひと味違う感じだけれど、これはいわば確信犯で映画で語られる濃度にあった配置にみえる。島田九段や二階堂の出番こそ少ないものの、もちろん対局自体は常に辿り着く場所として語られ、「重い足で泥濘む道を来た」という歌詞に始まる「春の歌」が挿入歌に使われているのも深い。クライマックスの獅子王戦は天空に近い山寺の高みで行われ、階段をのぼる上昇運動を丁寧に描いてこれまた巧い。桐山零が病院のエスカレーターを下るあたりから物語は動き始めるので、これにて回収される流れであり、映画なりの持ち味が考えられていると思うのである。