『すべて忘れてしまうから』の第4話を観る。物語の筋があるのかないのか、よくわからないエピソードの積み重ねに実は因縁があることが判明する流れが、どこか村上春樹の小説を感じさせるのだけれど、阿部寛の間合いは固有のもので、しみじみ面白い。ゲストアーチストはミツメで、制作はやはりインディー志向なのだが、その雰囲気がいい感じ。
この日、本邦の首相が自身の息子を公設の首相秘書官に起用するという話が聞こえてくる。非常にわかりやすい縁故主義の表れであり、わかりにくい「新しい資本主義」は結局のところ縁故資本主義の新たなかたちであったかと腑に落ちる。財閥を中心とした資本の蓄積というより、民主主義の制度どころかカルトまで利用した世襲と人的なつながりによって国家の蓄積を喰いものにしようというのがこの Crony Capitalism の実相で、語義本来のイメージで、徒党による経済支配は既に完成しているのではなかろうか。
効率的な資源配分を阻害し、経済格差を助長するという特徴は現在の日本の姿と矛盾せず、分断が崩壊をもたらさないのであれば、国民は長く苦しむことになるだろう。ひょっとするとさして取り柄のない財閥の再形成に向かおうというのが、この国の現在地ということになる。