終戦の日に放送されたNHKの『新日本風土記』を観る。『夏の祈り』と付けられた副題が指しているのは、終戦から78年、敗色が見え始めてから80年になろうという戦争の戦禍の記憶と慰霊の営みのことであり、四国、信州、秋田、東京、大分と日本各地にカメラを転じて戦時の出来事が語られる。秋田では、中国から徴用工として連れてこられた人々が凄惨な虐待の末、蜂起逃亡し、鎮圧の後も多くの人が命を落とした花岡事件と、現在も続く自治体による慰霊の活動が紹介される。東京都では、朝鮮人虐殺の歴史と向き合おうとしない知事の頑なさが報じられたばかりで、その対照を考えざるを得ない。
花岡事件の一方の当事者である鹿島建設は2002年を最後に慰霊式典に出席していないということだが、それこそ記憶の風化がもたらした文脈の断絶であり、そうした人と組織は、機会があれば同じ過ちを繰り返すに違いない。まず、間違いなく。