これまで辻村深月という人の小説を読んだことがなかったので、いつかトライしてみようと思っていて、このたび『スロウハイツの神様』という上下分冊を手に取ってみた。入門として適切な作品であるかは知らない。
講談社ノベルズなのでサラサラと読めるのだが、最初の数十ページを読んだあたりで、おそらくは誤読に基づく妄想に囚われてしまったので記してみる。
少女マンガに同居モノというような一分野があると思うのだけれど、これは神話類型としてはマレビトの概念に連なるのであろうと永らく思っていた。他界から来訪する同居人、つまり実家を追い出されたとか家族が海外に転勤してしまったとか家賃が払えなくなったとかいう、やむを得ない事情により我が家に棲みつくことになった異人が同居上の曲折を経て富をもたらすという構造である。
本作は当初から非常にマンガ的な予感を伴って展開する物語なので、てっきり同じような話であろうと予想していたのだが、舞台となるのは才能ある脚本家が家主であるアパートで(家主が玄関脇の101号室ではなく天井裏となる3階に居を構えているのは何やら示唆的である)入居にはこの女性の厳しい審査があるらしい。つまりヨソモノが紛れ込めるような集落ではなくて、その入り口は固く閉ざされている。
入居審査のシーンが印象的である。「一体何が気に食わなかったのか分からないけれど、環は彼の不合格を決めている」
同席する仲間には理由が分からないのだが、決めたということだけは「分かる」。なるほど、これが「空気を読め」ということかと、やけに腑に落ちるエピソードだ。見知った文脈に照らせば単に家主が偏狭、という話になるところ、来訪者の「個性」が「ちょっとね」と断じられるあたりが実にゼロ年代的。コミュニティがこのように形成されるという刷り込みが物語を通じて行われているのであれば、「空気を読めないことを恐れる若者が増えている」という一般論にさえ、うかうかと同意してしまうかも知れない。
話を元に戻せば、これはマレビトの話ではなく、楽園創造の物語なのだった。タイトルには『スロウハイツの神様』と明記してあるではないか。家主が天上に住み、アパートの住人が全て「クリエイター」という属性を与えられているのも象徴的である。八百万の神による、極めて日本的な楽園の創造という話であれば、もちろん孤立した集落を創ることから始められなければならない。作者は序盤、この手順を極めて律儀に踏んでそれに成功している。
で、この先の展開である。楽園の創造があるとすれば、当然のことながら失楽が描かれなければならない。恐らくは主要な登場人物の巣立ちが語られるのであろう。惜しむらくは、たぶん追放というよりは、単純に前向きな成長の物語として。