『(500) Days of Summer』を観る。本筋とは関係ないのだが、US iTunes Storeの充実ぶりをみるにつけ、本邦のソフトウェアビジネスの後進ぶりにはがっくりくる。電子書籍でも同じ轍を踏むであろうというあたりが歯がゆい。
それはともかく、今をときめくゾーイ=デシャネルに『BRICK‐ブリック‐』のジョセフ・ゴードン=レヴィットを組み合わせたロマンスである。キャスティングの趣味の良さからして只者ではないという感じだが、予想通りこの配役はシャレたストーリーにぴたりと馴染む印象で、そればかりではなく脇役の柔らかさも心地よくて、キャストの設計はこの映画の成功の大きな部分を占めている。
ゾーイ=デシャネルは、いつもの不思議ちゃんに近いキャラクタ設定で(そこがまぁ、いいのだが)一方、ヒロインであることを拒否する役回りかと思えば微妙に「普通」の枠組みに押し込まれる展開なので、このあたりはあくまで男性中心の脚本ながら、全体としてはビターであるはずの風味を巧く演出してよく出来ている。
ジョセフ・ゴードン=レヴィットが演じるのは、個性的だけど平凡な、彼にとっては自家薬籠中のものといってもよい役柄である。『第七の封印』を観るような今時めずらしい趣味人なのだけれど、幼少期に映画『卒業』で恋愛観を植え付けられ(従って柔和な性格ながら、おそらく本質的にはmisogynyの土台に立つ価値観を有しており)もともと建築を志すも今は「本来の自分ではない」境遇にあるというあたりは典型的にハリウッドが好むキャラクタ像だ。
したがって、ちょいとおしゃれな草食系男子の話とはいえ、構造的には伝統的な「女性嫌悪映画」であるには違いない。内容自体もよくある恋愛話で、劇的な展開ではなく、時間軸を往還する対照の妙で観客の興味を引っ張る手法に新味があって、これが結果としては「誰にでも憶えがある」けれどドラマチックという全体の効果を生んでいる。
タイトルの500がカッコで括ってあるのは、回想という意味でマイナスを表しているのかと思ったら、出会いが(1)ということになっていて、論理的にはちょっと合わない。ありゃりゃ。