組織論

何処に出しても間違いのない非体育会人間と言えば自分であるというのは万人の認める事実だが、何故か子供たちは運動部に入っていて、これまで見聞きすることのなかった集団活動の実際を間近で見る機会が増え、保護者の集まりでも面白い議論があったりするので何かと刺激になる。
本日はレギュラーになれない子の親からの問題提起だが、この論は部活といえども勝利を目指すべき、スポーツである以上、レギュラー争いは当然という多数意見にあって旗色が悪い。とはいえ、こうした実力主義は下手をするとチームの雰囲気を悪くする傾向があって、部活動による教育効果を損耗しかねないという意見もまた説得力を持つ。
人が言い争っているとつい参入したくなるというのは度し難い習性であって、レギュラーも非レギュラーもない一年生の父兄でありながら話に割って入って演説をぶってしまう。
皆の意見はよく判る。子を想う親の気持ち、これは尊いものである。他面、子供たちが話し合って強いチームを作る、勝ちを目指すというのも当然に思える。我々がこの問題を考えるにあたり、特に考えなければならないのは何故、強いチームはあれほどに規律が確立され、いわゆる体育会系の上下関係がしっかりしているのかということではあるまいか。実力による下克上が集団内で許容されるのは、それが全体秩序を脅かさないという前提があってこそである。つまり、非レギュラーであっても先輩は尊いという原理が共有されていなければ、そのチームは結局のところ自壊に至るであろう。したがって、強いチームを作るという原理を導入することと、礼節の強化は不即不離のものである。年長を敬い、礼を尊ぶということを教えるのは、まず部活動のなかだけで出来ることとは思えない。それは家庭生活のなかで重ね教え諭すことであり、従ってここでの議論を持ち帰り、まずは実践するべきと考えるのである。
何というか、馬齢を重ねたという気がしたものである。