『しあわせの隠れ場所』を観る。サンドラ=ブロックがアカデミー賞の主演女優賞を贈られている作品だが、人種と貧困の問題を扱っているだけにいろいろと議論がありそうだ。エンドロールでは実話のほうの「家族」の写真が使われているのだが、演出上は免罪符的な結びであるにもかかわらず、写真から立ち上る雰囲気には南部独特のそれがあって、苦いような後味さえ感じたものである。内容にしたところで、他国の人間であるこちらが『キング・コング』を想起するくらいだから、スパイク=リーが観たら憤死するような話ではあるものの、実のところ問題は映画の外にあると思われる。現実にはマイケル=オアーはアメフトでそれなりの実績を出した後にテューイ家に引き取られているのだが、映画では何もない状態で「拾われた」ことになっており、そのことが、なぜそもそも私立学校に入学できたのかという根本的な疑問を生み、NCAAによる調査をいかにも不自然なものに見せ、それから生じるオアーの疑心そのものを不可解なものとし、映画の成り立ち自体に大きな影をおとしている。行為自体は善きサマリア人の行いそのものであり、現実においても偽善の誹りを受けるような話ではないというのが立場であり、映画自体が良心のアリバイ作りに使われようが構わないと思うのだが、このあたりのつくりの甘さはちょっと気になるのである。
サンドラ=ブロックは『ウルトラ I LOVE YOU!』との対照でみると、役者としての技量が更に際立って見えよう。結局のところアカデミー賞とラジー賞の境界というのは政治的な正しさのレイヤーにしかないのではあるまいか。