マイネーム・イズ・ハーン

summer『マイネーム・イズ・ハーン』を観る。サンフランシスコ国際空港におけるサスペンス調のやりとりから開幕するこの物語は、一見そうとはみえないのだけれどインド映画なのである。したがって、といっていいのかはわからないが尺は160分。優れたインド映画が常にそうであるように、だがしかし、これを長いと感じさせない。一方で、歌って踊るというあたりは最低限のつくりでハリウッド産であると言われれば信じるだろう。
これがまたしてもアスペルガー症候群の人物が主人公の映画である。そしてどうやら『フォレスト・ガンプ』に似ているという印象が拭えないが、その『フォレスト・ガンプ』にしてからが『ドン・キホーテ』に連なる物語だと考えれば、これもその類型に属している。
主な舞台は9.11を跨いだ時間軸にあり、アメリカ国内におけるイスラム教徒排斥に対する強烈な異議申し立てをテーマとしている。ここにある問題意識はインドから眺めて提起されるものではあり得ず、実際にアメリカに住んでいる人間の感じている息苦しさであろう。
“My name is Khan and I am not a terrorist.”
という主張の結果として、ハーンは現代のアメリカにおいて獄に投じられ、ファンタジックな印象すらある拷問を受けることになるのだが、その様子はサラ=パレツキーが『沈黙の時代に書くということ』で言及している官憲のありさまそのままであり、映画的な誇張ではなく、おそらくこれは現実の写しなのだということに思い至って慄然とする。そしていうまでもなく、ここに描かれている不寛容は現代のアメリカ社会に固有のものではないことを我々は知っている。