『フローズン・リバー』を観る。舞台はニューヨーク州の最北端の町であり、これもまた伝統的なノーザンカントリーものである。貧困の中に孤立している白人女性と居留地に住むモホーク族の女性が密入国の仕事に手を染め、やっかいな目に遭うという話で、貯めたカネをもって夫が逐電したというあたりから始まる話はもちろん景気のよいところなどまるでない。タイトルのフローズン・リバーは言葉通りの凍った河で、同時にその上を通って密入国の手助けをする二人の女の危うい道行きを象徴している。話はシンプルだが、エピソードがきちんと関係して仕舞いに閉じる作りになっており、破綻がないので憂鬱な内容であるにもかかわらず案外、気持ちよく観られる。
たとえば、最後に挿入された謝罪の場面はとってつけたようにみえて重要だと思うのである。天網恢恢疎にして漏らさずという顛末が事後の更正を予感させ、暗い話を暗いだけにしておかない。さらに「一人口は食えぬが二人口は食える」という言葉を連想させる結末は、貧困からの脱出に向けた具体的な解を提示するもので、これもまた共同体の再興をテーマとしているのだと考えれば、ただの物憂い話ではない。