『メランコリア』を観る。惑星との衝突によって世界が終わりを迎えるという話であれば、もちろんパニック映画としての建て付けをとることも可能なのだが、何しろトリアー監督である以上、惑星はいわば観念上の危機として到来する。まぁ、そもそもタイトルが「憂鬱」である。
冒頭、キルステン=ダンストの陰鬱なクローズアップから始まるわけである。ファンとしてはその容貌が大魔神に見えるなどとは思っても口に出さず、しかしこれに連なるヴォーグ誌風の絵作りはもしかしたらこの映画で一番の見どころかも知れず、なかなか見応えがある。このオバーチュアはひとつひとつが死の抽象であって全体のトーンを方向付けている。続く結婚パーティーはドキュメンタリっぽい群衆劇で、わずかに翳る非日常の絶望と圧倒的な日常の絶望がいい具合に混在しているのだけれど、正直、前置きにシュルレアリスムの表現がなければただのリアリティテレビなので、構成としてはそれなりによく考えられているといわなければならない。
もちろん、個人的にはディザスター主体に描かれた映画の方が好みだし、上流社会の屈託と陰険なやりとりが長過ぎるという気はするのだけれど、そもそも惑星は物理の法則に従って飛来するというよりは運命に従って現れるのであり、絵柄は全く異なるのだけれど、伊藤潤二の『地獄星レミナ』を思い出したことである。