2012年に評判のよかった韓国映画
『サニー 永遠の仲間たち』を観る。物質的には申し分のない生活を送っている主婦が、見舞いに訪れた病院で旧友に偶然、出会い、余命2ヶ月のこの友人のために、かつての仲間たちの消息を訪ね歩きながら往時を振り返る。きっとまた会おうという、遂に果たされることのない約束には誰しも覚えがあって、当時のヒットナンバーを手掛かりに想い起す当時のエピソードもどこかに既視感のあるストーリーではあるのだけれど、非凡なのは時間軸を往還する場面の繋ぎ方で映像には面白味があり、セリフとしても呼応するようになっていて、脚本は相当に練り込まれている。テクニックばかりではなく、風俗をよく映した内容で、民主化直前の世相も書き込んであるし、ときおり編み込まれた笑いも気が利いており面白い。
幸せの行方
基本的には絆を取り戻すという話であり、したがって多少の苦味はあってもいわゆるハッピーエンドに向かって物語は進むのだけれど、世相風俗をよく描いているだけに価値観は韓国社会そのもののそれを反映しているように思え、平たくいうと生臭いほど即物的で、そこばかりはちょっとバランスが悪いのではないかと思ったことである。しかし、このようによく作られた虚構が描くのであればその歪みこそ社会の実情ではあるまいかとみえ、この国の社会がグローバル資本主義に相当に毒されているという意見も全くゆえなしとは思われない。