例の感じです
『宮本武蔵 双剣に馳せた夢』を観る。プロダクションI.G製作とはいえ、ちょっと風変わりなこのアニメを何故、観るかといえば、原案と脚本がともに押井守だからであり、その内容は期待通り、蘊蓄と講釈に満ちたものであって『ミニパト』を彷彿とさせる。
宮本武蔵が単に剣豪を志したのではなく、兵法者であり武将たらんとしたことは知られているとして、なぜ二刀流であったかというあたりを切り口に、その必然性から宮本武蔵自身の人となりを解き明かしていく手捌きは、まさにその必然性を重視する演出家としての押井守一流のものであって、なかなか楽しい。好きな向きにはオススメできる。
見せしめとしての丸刈り
AKB48については未だに個別識別が十分にできない程度の傍観者であるから、誰がどんな騒ぎを起こそうが知ったことではないのだけれど、巷間に流れている丸刈りの謝罪画像を目にして何処かで見たことがあると思ったのである。
その光景は、マーケット・ガーデン作戦の限られた成果のなかで、オランダのアイントフォーフェンが解放されたあとに、ナチスドイツの将兵に通じていた女達がリンチを受け髪を刈られたという話を想起させ、既視感自体は『バンド・オブ・ブラザーズ』あたりで描かれたワンシーンに起因するものであろう。
そういう文脈で考えた場合、丸刈りということ自体、野球部員が試合に負けてする類の断髪に非ず、売春婦の謗りとともに行われる見せしめとしかとれない。である以上、そこに本人ではない何者かの暗い使嗾があったとしても全く不思議とは思われないのだけれど、謝罪というよりは見せしめ、世間一般の印象というのもそのあたりではないのだろうか。