『007 スカイフォール』を観る。
ダニエル=クレイグの007をサム=メンデスの監督で観ることがあろうとは、予想だにしなかったけれど、冒頭からの凝った絵作りは期待を全く裏切らない。だがしかし、巨匠を起用した結果、ダニエル=クレイグ版ジェームス・ボンドで構築してきたこれまでの世界観はあっさりと塗り替えられて、『カジノ・ロワイヤル』でようよう00エージェントとなったはずのボンドが、はやくもどことなくロートルの雰囲気を漂わせ、ナショナル・ギャラリーのターナー作「解体のため錨泊地に向かう戦艦テメレール号」の絵の前で、若造となったQに嫌味を言われ旧世代扱いされたりする。
いやはや、もったいない。
どちらかというと本作は、英国の没落と復活というメッセージに特化した独立のエピソードであり、サム=メンデス一流の絵画的な映像表現で豪勢に盛り付けられ同時に過去の諸作とは異質な、その象徴主義的な傾向によって特別編であることが明示されている、ジェームス・ボンド50周年記念映画という性格が強いのではあるまいか。この続編をサム=メンデスが撮り続けることはあるまいと思われるし、そうであるとすれば、はやいところ前作の路線に回帰していただきたいと思う次第である。いったい謎の組織はどこへ行ってしまったのか。
そのことばかりにあらず、全体としてサム=メンデスの美意識のために話の辻褄が若干、犠牲になっているようなところがあるにして、そもそもかの監督のハイテク描写は数少ない欠点であると思われるところはあるのだけれど、画面にはもちろん破綻もなく、緩急は自在にして色調は美しく、アストンマーチンDB5がタムマシンとなってスコットランドを目指す神話的なクライマックスまでダレ場はなく、細かな遊びが散りばめられている上にエンターテイメントとしてはあくまで今風であって、143分があっという間であることは違いない。堪能した。