Outage

この日、Microsoft WindowsのBlue Screen of Deathが死病のように広がり、空港会社や小売、放送などあらゆる業種で影響が広がる。この話の原因は、エンドポイントセキュリティ製品のバグのようで、この世界の複雑性が新たな脆弱性を生み出し続ける構造がまたひとつ浮き彫りになる。クラウドストライクという名称に含まれる多重の意味は、なかなか味わい深い。

コロナの影響による臭覚障害は続いている。概ね3週間程度は回復にかかるらしいけれど、ようやく遠くに匂いがあるかもということが感じられる程度。

撤退

バイデン大統領がコロナに感染したという話には、弱り目に祟り目という気しかしないが、伝えられる映像も、ヨロヨロというかヨボヨボというか、これから大統領選を戦い切るという雰囲気はなくて、根強い撤退論はにわかに現実味を増している。一方、どこかアクの抜けた顔つきになったトランプだが、別に中身が変わったわけではないのである。副大統領候補も決まり、自身の演説を控えている時間軸だけれど、相変わらず事実でなく、聴衆が聞きたいことをいうに違いない。

無臭世界

体の調子は概ね戻ってきているが、匂いの感じられない状態は続いている。他の後遺症として、有名なところではブレインフォグというのもあるけれど、頭に不明瞭なところがあるかと言われればそうかも知れず、それはいつも通りと言われれば、それもそうかも知れず、脳の働きについてはよくわからない。長期的な影響については言わずもがなである。体を休めようと意識している部分もあって、睡眠時間はちょっと伸びている。単調で繰り返しの夢が多くなっているような気がしなくもない。シナプスの発火に変化が生じている可能性はある。

中国では三峡ダム下流の洪水がだいぶ大変なことになっているようだけれど、日本のニュースではほぼ報じられていないみたいなので、そのことに驚いている。干渉すべからざる内政問題ということなのだろうか。

解脱

暗殺未遂事件を経て共和党の正式な大統領候補として選出されたトランプは、妙に脂っ気の抜けた顔つきで、神に生かされたと語る。事件の直後、星条旗を上空の背景として拳を突き上げるトランプという絵柄の写真も願っても撮れないようなもので、内部の結束さえ覚束ないバイデンは、運からも決定的に見放されたということではなかろうか。何ということだ。

コロナ罹患からは回復過程にあるのだけれど、実は臭覚がかなりなくなっているということに今日になって気づき、そのこと自体に愕然としている。五感の一角がなくなっても気づくのがこのスピードでは、昨日の記憶がなくなっていることがあっても、何ら違和感なく生きるのではなかろうか。いわゆる後遺症は時間が経つと緩和されるという話だけれど、さてどうなるか。

抗原検査

その必要がなかったから使ったことのなかったCOVID-19の抗原検査キットを、今さら使うことになろうとは、と思いつつ、しかし何もかもがコロナ後という扱いのこの世界で、今まで感染を疑う状況がなかったということの方が僥倖だったのである。封を切って、鼻からサンプルをとって数分待つだけという仕様のこの検査キットがどの程度の精度なのかは知らないが、T線はあまりにもくっきりと現れ、ウィルスの実存を疑う気にはちょっとならない。この数年を逃げ切り、よくわからないタイミングでの罹患である。折しも、感染拡大についての話題がニュースで取り上げられるようなタイミングで、その点はちょっと悔しい。時流に乗らないというのが、当方の方針であるにもかかわらず。

症状そのものはさほど重篤ではない様子で、発熱といっても37度を少し越える程度だし、酸素レベルの低下もないみたい。一番の問題は、どうやら家族にも伝染っているということであろう。

発熱

で、38度くらいの発熱で朝から寝込んでいる。コロナ禍においては、ほとんど体調を崩すことがなかったので、熱が出たのもほとんど記憶にないくらいに久しぶりなのだが、日曜日なので当番医の外来に行ってもこれが何に由来するものなのかは判然としない。溶連菌の検査はシロだし、コロナという感じでもないのである。しかし、理由はある意味では明快で、疲れているということであろう。

この日、演説中のトランプ前大統領が狙撃され右耳の上部を負傷する。1インチ以内の差で、歴史の流れそのものが大きく変わったに違いない出来事である。そしてこのこと自体は、その精度から考えてプロの仕事であるに違いないのである。

甲殻類

昼に海老の天ぷらを食べたのに加え、夕飯のカレーにも海老が入っていて、どうやらアレルギーを発症している気がしなくもない。喉がイガイガする。しかし、昨日のNHKニュースでは久々にコロナの感染拡大を報じており、その線も捨てきれない連休初日。だいたい、最近は妙に忙しい状態になっていて、いわゆる免疫力にも自信が持てないので、何が起きても不思議はないと思うのである。やれやれ。