『オットーという男』を観る。トム=ハンクスが偏屈な独居高齢者の役回り。もちろんトム=ハンクスの仕事は揺らぎなく見応えがあって、であるがゆえに独居老人と表現するにはやや違和感がある。とはいえ、その年齢を調べてみれば68だというから、設定通りと言ってもいい歳なのである。そういえば『ウルフズ』のジョージ=クルーニーもブラピも既に還暦を過ぎているのだから、まぁ、そういうことだ。監督のマーク=フォスターは好きな監督のうちのひとりだけれど、この映画も悪くない。猫のパートは、何かを暗示しているのかと思うくらいにひどいとして。
映画
ウフルズ
Apple TV+で『ウルフズ』を観る。ジョージ=クルーニーとブラッド=ピットが共演している贅沢なクライムコメディで、日本での公開が急に中止になった経緯もあってApple TV+としては今年の注目作ということになる。一匹狼のフィクサーが、心ならずもコンビを組んで事態の収拾にあたることになる一夜の物語。原題がwolvesでなく『Wolfs』なのはローンウルフであることに由来するのであろう。カコイイ。
二人の掛け合いは特に珍しいものではないけれど、やはり波長が合っているという感じ。アクションや銃撃戦ではなく、やはりそこを楽しむ映画ということになる。ジョン=ワッツ監督の手になる脚本そのものは、どこか手際が悪い感じがして、らしくない気がするけれど、見せ場はきっちり作ってあって既に続編の製作も決まっているらしい。十分、楽しめる。
窓際のスパイ
『窓際のスパイ』のシーズン4も第5話となって、いよいよ佳境。過去の経緯が明らかとなって、カートライトは拉致され、嫌われ者のロビーは微妙な表現の動きで役者の仕事の奥行きを示してみせる。ドラマの格が違って見えるのは、ストーリーラインよりも演技の質によるところが大きいように思う。引き続き面白い。
ダンダダン
アニメの放送が始まった『ダンダダン』の第1話を観て、これは最高だとなっている。手際の良い話の展開は原作の手柄によるところが大きいとしても、アニメーションでしかなし得ないこの表現の面白さは、クリエーターに賞賛を送るほかない。あらゆる表象の変化を経て、なお同じキャラクターと同定することができる認識の不思議と、隠された名前が物語の構造を解き明かす。生成AIが最後まで理解しないことのひとつは、このような世界の捉え方であろう。
Creepy Nutsの新曲にのせたオープニングからエンディングまで終始、感心していたのである。もちろん無茶苦茶、面白い。
損するのは嫌だから
『損するのは嫌だから』を観る。いかにもシン=ミナらしい王道のラブコメで、今やあまりにもありふれた設定となった偽装結婚もの。このジャンルはそろそろ体系的に総括されてもいいのではなかろうか。それはともかく、ジャンルドラマとしては安定の展開と演出で、するすると観られてしまう。高度に完成された様式美というものが存在する。
この日もイスラエルはレバノンへの空爆を続け、ヒズボラの最高指導者を爆殺したことが伝えられる。イスラエルにとっては当面の最大目標を達成したということになるのかもしれないが、結局のところイランとの争いということであれば出口などあってないようなものと見えるし、無数に撒かれた憎しみの種子はやがてさらに大きな衝突を引き起こすことになる。
マイ・スイート・ハニー
『マイ・スイート・ハニー』を観る。韓国でヒットしたロマンスコメディという触れ込みで、どちらかといえば韓流ラブコメが好きなので、あまり予備知識もなく観たのだけれど、『主人公は僕だった』みたいな始まり方なので期待が高まったのも束の間、『寅さん』みたいな人情劇に転じて物語はどこにも転がっていかない。本国でヒットしたという話は本当なのだろうか。
この日、大陸に到達してから東進という珍しい進路で迷走していた台風14号は朝鮮半島付近で温帯低気圧となり、しかし、その影響もあって発生した線状降水帯が日本海側に大雨を降らせる。1月に大地震のあった能登半島で観測開始以来の降水量を相次いで記録し、河川の氾濫が相次ぐ。地盤沈下により堰が降下した部分から水が溢れたという説明もある。一部では仮設住宅への浸水も発生する。
クワイエット・プレイス Day 1
『クワイエット・プレイス Day 1』を観る。ジョン=クラシンスキーが制作に回って語られる『クワイエット・プレイス』の前日譚。シリーズ化されるほどの人気が何に由来するのか、今ひとつピンと来ていない世界観の話なのだけれど、本作は余命いくばくもない主人公が滅びゆくニューヨークで実家に帰るというストーリーそのものが、ちょっといい。人生の最後で誰かに猫を託すことができれば、その生は全うされたと看做すべきなのである。
例によって音響効果は念入りに作り込まれ、やや暗い画面を補完している。終末のイメージに目新しい感じはないけれど、よく出来ているのは間違いない。マイノリティたる主人公とこれを助ける異邦人の男が声を出すことを許されない世界というのは象徴的で、これをハチワレ猫が導く構造は意図して構築されたものであろう。その猫は、よく考えるとだいぶ酷い目に遭っている。