犬王

『犬王』を観る。湯浅政明監督、野木亜紀子脚本、キャラクター原案は松本大洋という構えであれば、もちろん秀逸であるには違いない。原作は古川日出男の『平家物語 犬王の巻』だが、地の文で「この物語は、走る、疾る。」というその小説のスピードを表現して、動きのいいアニメーションとなっている。

平家が壇ノ浦で滅び、これを滅ぼした鎌倉の幕府も滅亡した南北朝の世の中。壇ノ浦の遺物さえ、既にあらかた失われた時代に平家の譚を拾って独自の平曲を語る犬王と、その犬王を語る友魚がやがて、平家物語の正本を覚一検校に定めさせ当世の清盛とならんとした足利義満によって異譚を禁じられる。

重層の構造をもち、時間を往還する込み入った話だけれど、脚本は無理なくこれを語って何となく腑に落ちる話になっている。『重盛』『腕塚』『鯨』『竜中将』と四つもの演目をロックミュージカル風に表現し切ったのは演出的にも偉業というべきだが、壇ノ浦で勝利を占った話を題材にした『鯨』をイルカではなく大型の鯨として表現しなければならなかったのは、ちょっと面白い。当世に鯨といえばクジラであるのは仕方がないというものだろう。

キングダム2 遥かなる大地へ

『キングダム2 遥かなる大地へ』を観る。佐藤信介監督による2019年の『キングダム』の続編。前作には長澤まさみが出演していて、それなりにいろいろある物語でわりあい楽しめた記憶がある。大沢たかおの王騎将軍とあわせて、本郷奏多の悪役ぶりがよかったけれど、この続編については何だか見どころが少ない感じ。平原での戦いが主な話なのだけれど、その通り起伏に乏しく、ただ顔を出しているだけのレギュラー陣もちょっと間が抜けて見える。トウこと山本千尋が清野菜名の回想のなかに出演しているけれど、アクションはなし。なんだか、全体に勿体ない感じなのである。体裁としては『キングダム3』に続く話の展開だけれど、楽しみは大沢たかおの「ンフッ」くらいといえば心細い。

ケイコ 目を澄ませて

『ケイコ 目を澄ませて』を観る。2022年の収穫との呼び声高く、岸井ゆきのが多くの映画賞を受賞した映画。耳は聴こえないけれどプロボクサーとなった小笠原恵子選手の自伝に着想を得ているという話だけれど、三宅唱監督は16mmフィルムを使って撮影を行い、映画の歴史を遡るような画面を作っており、まず映像に見応えがある。時に無声映画のようであり、時には字幕を使い、ある場面は手話にあえて字幕をつけず、音とセリフがあることが前提ではない物語が進行する。アナログ撮影の難しさはあったはずだが、であればこそ画面は美しく味わいがある。

マスクによっていろいろなことが断絶された2020年12月の状況と、主人公が聾者であるという設定をうまく使って、社会や他者との関わりを考えることになるエピソードが幾重にも織り込まれている。ボクシングは主要な題材ではあるけれど、生じている関係性を前面に描く映画で、その手並みは素晴らしい。主人公に職務質問をしてきた警察官が、耳が聴こえないことを知ると試合で顔を腫らしているのも見て見ぬふりで歩み去る河川敷のシーンには、思わず驚きの声が出たものである。これは間違いなく、今の時代の映画だ。

冒頭近くから、岸井ゆきのがコンビネーション練習をする場面が何回かあるけれど、この小河ケイコがボクサーにしか見えず、三浦友和が会長を務める荒川拳闘会が失われていく場所にしか見えず、終盤にかけての感情曲線の描き方も実に立派な仕事になっている。人生は深く長い川という言葉を視覚化したようなエンドロールのラスト、微かに被せた縄跳びの音に至るまで、これはよく出来ているというほかない。

ザ・マザー

『ザ・マザー』を観る。ジェニファー=ロペスが生き別れの娘を守るために戦う暗殺者の役回りで、かつて裏切った組織と戦う。ジョセフ=ファインズとガエル=ガルシア・ベルナルが敵役というあたりで頑張っているけれど、筋書きはほとんど予想通りに展開する典型的なジャンル映画。冒頭、FBIのセーフハウスが襲撃されるくだりはちょっといいけれど、全体としては今ひとつ。

このところのトカラ列島近海での地震に続き、この日は八丈島近海でマグニチュード5.9の地震が続けて起きる。プレートのあらゆる境界で地震が起きている印象で、列島の地質的特異性を感じざるを得ない。

355

『355』を観る。南米の麻薬カルテルが開発した、あらゆるものをハッキングできるというデバイスという冒頭から感じる嫌な予感は、続く10分で確信に変わることになる。

ジェシカ=チャステインが今さら、どうしてこのような陳腐な設定の映画に出るのかと思えば、企画そのものが彼女のアイディアだという話である。冒頭から迂闊にも荷物を奪われた挙句に銃を振り回すエージェントが、まともなスパイスリラーの主役をはれる気がしないし、そんな調子で第3次世界大戦を語るというのはどうなのか。

かつて『スピード2』という映画があったけれど、主演俳優が作品そのものに口を出すとロクなことにならないという新たな事例のようである。徹頭徹尾、やたらと銃をぶっ放す安い脚本で、撮影もテレビシリーズみたい。このキャスティングを実現しながら、全てを無駄に使うとは。本来なら80分の内容だが、122分の尺というのも罪作りなことである。

奈落のマイホーム

『奈落のマイホーム』を観る。2021年の韓国製のパニック映画で、本国ではそれなりにヒットしたらしい。念願のマイホームを購入し、真新しいマンションに引っ越した直後の家族が施工不良の疑念を抱くのも束の間、突然にマンションは直下の大きな穴の中に沈み込む。それが沈下というようなものでなく、500メートルを垂直方向に落下するという話だから、よく考えるまでもなく荒唐無稽な話なのである。なんだこれ。

後半は韓国映画に一ジャンルを形成する典型的なサバイバルものの展開で、つまりもともとそういう映画だから、文句をつけるようなものでもないとして。主人公の家族と因縁をもつ得体の知れない男をチャ=スンウォンが演じていて、このあたりの設定がコメディ要素に効いて、考証はともかく脚本の出来はそれほど悪くない感じ。

ゴールデンウィーク中盤のこの日、日もそろそろ暮れようかというタイミングで携帯の緊急速報が山火事の発生による避難指示を伝える。霧ヶ峰で起きた下草火災が延焼して、付近の別荘地にも危険が迫っているという話のようである。10年前にも山焼きが燃え広がり大きな火災になっているのだが、ほとんど同じ様子で夜の闇の中、山頂付近に広がる炎の円環が見える。

エンパイア・オブ・ライト

『エンパイア・オブ・ライト』を観る。個人的には超絶技巧の映画職人というイメージのあるサム=メンデス監督が『1917』に続き、自ら脚本を書いた作品で、1980年代初頭、サッチャー政権の成立と時期を同じくして人種差別が激化したイギリスを舞台として、海辺の映画館エンパイア劇場で働くヒラリーと、職場に新たに加わった黒人の青年スティーヴンの人生の交錯が描かれる。

サム=メンデスの精密なレイアウトと、ロジャー=ディーキンスの撮影による画面は、光と影が構成する絵画のような美しさで、ほぼ全編にわたり破綻なく続く。この映像の完成度と、映画的に意図の明快な演出、主演のオリヴィア=コールマンの演技によって、さすがサム=メンデスという完成度の映画になっている。一方、あまりにも明快なメッセージは誤読の余地さえ排除したものとみえ、好みは別れるのではなかろうか。何しろ開巻、エンパイア劇場のホールの銘には「FIND WHERE LIGHT IN DARKNESS LIES」とあって、その時点で何だかいろいろ了解されるのである。