俺の家の話

『タイガー&ドラゴン』からの流れで『俺の家の話』を観ている。落語だけでなく能という題材で大家を演じ、全く茶番にしない西田敏行の芸は大したものだ。そしてそういえば、これはコロナ禍の物語であって、パンデミックのあの時期、死と生と共同体を、ひょっとしたら誰もがもっと考えていたと思うのである。あの最終回からこっちの未来が、あらゆることを見て見ぬふりの、こんな有り様になっていようとは。

Bulletin of the Atomic Scientistsのニュースレターによると、Doomsday Clockの2023年のアナウンスメントは1月23日になるそうである。真夜中まで100秒というのが現在のステータスで、ここ暫くは様子をみる感じが続いていたけれど、今年はどうしたって破滅に近づいているという評価になるのではなかろうか。それをどのような文脈で語るかが見識の見せどころということになる。

ゾッキ

『ゾッキ』を観る。舞台となる蒲郡市出身の大橋裕之の漫画が原作。竹中直人、山田孝之、斎藤工が監督を務め、ほとんど友情出演かという役回りもあるとして豪華なキャスティングがされている。吉岡里帆は開巻、牛乳を吹き出すために登場したのかと疑ったがエンディングにも一応、貢献しているといった具合。個人的には『書けないッ!?』で空くんを演じた潤浩が出ているのがうれしい。

全体に、思わせぶりに登場させた要素を物語の後段で回収するドラマの動作を面白味としたような話で、エピソードで分けられた共同監督作品としての狙いでもあるだろう。監督3人はこの映画の制作をドキュメンタリーした『裏ゾッキ』という別作品に出てくるという仕掛けだが、途中からは新型コロナウィルスの感染拡大によって被った影響が記録されているということであれば、こちらも観てみようかという気分になっている。

ガンパウダー・ミルクシェイク

『ガンパウダー・ミルクシェイク』を観る。『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』のネビュラことカレン=ギランが主人公の殺し屋を演じているアクション映画で、銃器持ち込み不可のダイナーとか武器を融通してくれる図書館とか『ジョン・ウィック』にちょっと似た世界観が構築されている。理不尽な世界に抗い、粗暴な男どもをぶち殺そうという趣向の話。敵対組織のボスの血縁を殺してしまい、大部隊の襲撃を受けてこれを返り討ちにするストーリーはもはや定食化されているという他ないが、主人公を助ける女優陣がとにかく格好いいので目論見は概ね達成されているのではなかろうか。悪くない。

『どうする家康』を観る。初回で瀬名と結婚という早送りの展開には驚いた。『鎌倉殿の13人』とは明らかに異なる演出方針は、しかし古沢良太の脚本のトーンには合致しているということであろう。CGを多用した画面は新たな試みでもあるのだろうけれど、伝統的な大河ファンはびっくりしているのではなかろうか。

NOPE

『NOPE / ノープ』を観る。ジョーダン=ピール監督の三作目で『ゲット・アウト』と同じくダニエル=カルーヤが主演している。例によってM=ナイト・シャマランっぽい不可思議を扱った映画だけれど、構造的な支配や抑圧とその可視化を強くイメージさせる内容になっている。この災厄は「見ない」ことによって当面をやり過ごすことができるのだが、これをどうにかして撮影しようとするあれこれがストーリーの主軸にある以上は、見るなの禁忌の話というのとも少し違う。監督がコロナ禍に起きた事件に着想を得たという通り、ジョージ=フロイド事件の状況が撮影されたことがBLM運動拡大の契機となったことを念頭に置いているのであろう。あの事件の映像自体、システムとして組み込まれた差別を可視化したという点でImpossible Shotだったのである。

付け加えるならば、ジュープを演じるのがアジア系のスティーヴン=ユァンであるというというのにも意図を読み取らざるを得ない。

全体に通底する構造差別への批判的な眼差しを読み解くのも興味深いのだが、冒頭近く、「靴が立つ」という偶然を切り取ったカットの構図の妙は、全体的にレイアウトが優秀なこの映画でも白眉と言えるだろう。これをある種の啓示だと考えてしまった劇中のジュープの誤読に納得できるくらい、異様さの際立つシーンだったと思うのである。そしてバイクでのスライディングブレーキという『AKIRA』へのオマージュシーンもほぼ完璧な構図で、ジョーダン=ピールと撮影のホイテ=ヴァン・ホイテマの仕事のレベルの高さには唸る。

20世紀のキミ

『20世紀のキミ』を観る。90年代を懐かしむ趣向の韓国ドラマは今や一大ジャンルを形成していて、これもそのひとつ。最近の作品では『二十五、二十一』があるけれど、IMF危機で大きく社会が変わった経験というのがノスタルジーをことさら刺激するのだろうか。本作は1999年が舞台になっているにもかかわらず経済危機の雰囲気は感じないものの。話は、それこそちょっと古典的な感じの恋愛ドラマで、友情と恋愛の間で葛藤する少女をキム=ユジョンが演じ、ストーリーを陳腐にしない表情の演技が素晴らしいので感心しながら観てしまう。現在時間を別の役者が演じるというのが作法のようになっていて、こちらをハン=ヒョジュが演じているのだけれど、これまた適役で難しい結末を茶番にしていないと思うのである。運命とすれ違う話は時々あるけれど、収まりがつくものは少ない。

Rebuildの今年1回目の配信を聴く。Twitterで行われている蛮行についてのエンジニアリング観点からの感想が興味深いのだが、英語圏のユーザーの離脱が明らかな趨勢として起きており、観測範囲で残存しているのは、日本人8に対してアメリカ人2くらいの比率になっているという話には驚く。メディアとしての価値は既に死に体と言ってよく、このサービスが2023年を乗り切ることはないのではあるまいか。オフィスの賃借料さえ滞っているようだから、日本のローカルSNSとして生き残るのも難しそうである。何よりバランスシートの中身が悪過ぎる。

そのカルフォルニアでは今後、数日繰り返し大雨を降らせるだろう太平洋上のbomb cycloneへの警戒が強まっている。これもあまり聞いたことがなかった気象の動きだけれど、気候変動の振れ幅は一層拡大する、その過程にある。

いちげき

NHKで正月時代劇の『いちげき』を観る。小説『幕末一撃必殺隊』を原案とした漫画『いちげき』をもとに宮藤官九郎が脚本を書いたという話だけれど、いちばん面白味があるのは六代目 神田伯山の語りの部分かもしれない。薩摩藩士による御用盗を成敗する非正規部隊という設定はいいとして、リアリストの勝海舟も赤報隊の相楽総三も今ひとつ話の奥行きに貢献していない感じがあるし、話の運びがぎこちないところもあって、もしかしたら90分の尺では短過ぎたのではなかろうか。一撃必殺隊の訓練期間を強引に短縮するというエピソードが入っているけれど、脚本家の体験が反映されていると見えなくもないのである。

染谷将太と松田龍平、伊藤沙莉といったメインキャストは期待通りの役回り。尾美としのりが出演しているあたりに宮藤官九郎っぽさを感じる一方、仁田忠常もとい高岸宏行が出演しているのは新鮮。全体に原作よりも明るめのトーンとはなっているはずだけど、時おり覗く絶望と理不尽な命の遣り取りの感じは悪くない。

哭悲

『哭悲 THE SADNESS』を観る。新型感染症が蔓延して久しい台湾で、どうやら変異したウイルスが人々を凶暴化させ社会機能は崩壊に向かう。市街地の狂乱をサバイバルするのが物語の眼目ということになるのだけれど、このゾンビが粘着質で、知能を保持しながら主人公を執念深く追いかけてくるあたりが目新しい趣向で、グロテスクなシーンには、ある種の独創性があると見えなくもない。監督はカナダ出身なのでこの残虐性がアジアに根付く何かというわけではないとして、商業的な成立には独自の目盛りが設定されているのであろう。全体としてそれほどお金がかかっているようには見えないけれど、何しろスプラッター描写に手を抜いたところがないので何だか見入ってしまう。そういう訳だから、解決とか勝利とか救出とか、生ぬるいドラマが介在する余地がないもむしろ美点ということになる。もちろんR18+で、新年早々という気分はあるとして。