ノエルの日記

コンテンツ重視というよりは、つらつらと書き連ねた文章だけが中身のこのサイトなので最近、いわゆる静的サイトジェネレーターで運用するのも一案ではないかと考えていて、第一段階として、まずはWordPressのエクスポートファイルをマークダウン形式のテキストファイルに変換してみる。その種の仕事にはもちろん、先人の偉大な積み重ねがあり、Node.jsを導入しwordpress-export-to-markdownという有難いスクリプトを走らせるだけで、30MBを超えるxmlファイルを9,000個以上のファイルに分割しフォルダに仕分けまでしてくれるので感動している。とりあえず、GitHubのレポジトリにpushして履歴管理を始めてみたり。

Netflixで『ノエルの日記』を観る。人気作家が弁護士に伝えられた母親の死を契機に帰郷し、そこで知り合った女性と彼女の母親を探す旅に出て父親と和解する。もちろん二人は恋に落ちるという話で、予想を外れる内容は何もないけれど、それなりに整った話にはなっている。現実にはまずない設定だが映画ではよくみるストーリーで、ただゴミ屋敷となった実家の描写には妙なリアリティがあって、そのあたりには関係者の実体験が反映されている気がする。帰郷ものと呼ぶべき典型的なジャンル映画で、100分ほどなのでぼんやり観るにはいい感じ。

君の瞳が問いかけている

『君の瞳が問いかけている』を観る。チャップリンの『街の灯』をモチーフにした韓国映画の吉高由里子、横浜流星の主演による日本語版リメイクという出自である以上は、どこかで聞いたようなストーリーだし、ご都合主義といわれても仕方のない展開ではあるものの、まず、吉高由里子は視覚に障害のある様子を違和感なく演じ、横浜流星は優れたキックボクサーのオーラを纏ってこれも違和感がない。冒頭、吉高の問いかけるような視線からのタイトルバックが期待させる映画的な高まりは概ね、お約束通りに展開するけれど、これはこれでいいのではなかろうか。犬が登場するのはいいとしてその世話がどうなっているのかとか、海岸の場所をどのように記憶していたのかとかいう疑問はあるとして。

macOSの最新のメジャーアップグレードは全体に順調だと思っていたのだけれど、ときどき内部的な不具合が垣間見えるような気がしなくもない。 iCloudの同期がかなり頻繁に滞るのは、Venturaの不具合ではなかろうかと思いながら、13.1のリリースを心待ちにしている。

窓際のスパイ シーズン2

Apple TV+で配信の始まった『窓際のスパイ』の第2シーズンを観る。ミック=ジャガーの『Strange Game』も変わらず、全シーズンから地続きの設定で話は始まる。面接でジャクソン=ラムのことを聞かれたカートライトの表情が秀逸。相変わらず脚本の出来はいいし、演技の基本的な素養の高い役者が揃っていると思うのである。第1話からゲイリー=オールドマンの出番が多いのもいい。

トロール

Netflixで配信の始まった『トロール』を観る。北欧伝承のトロールは実在するという話では『トロール・ハンター』というのがあって、POVも使った現代風が醸すギャップ萌えがポイントになっていたけれど、本作もファンタジーではなく、今どきのパニック映画の体裁を借りていて『シン・トロール』的なところがなかなかいい。異変の偵察にF35が出動するあたり、無駄に金がかかっているのである。北欧風のシックなウォールームも雰囲気がよくて、司令室好きはそれだけでも楽しめる。なんであれ、怪獣映画的なところは悪くない。

ここ暫く、県内の新規感染確認は3,000人を超えることがたびたびで、各地域の医療警戒レベルも真っ赤となって落ち着く見通しがない。そもそも人流のまばらな木曽地域さえ陥落し、学校は間欠的に学級閉鎖と学校閉鎖を繰り返しているようである。いわゆる第8波は不可視化されているので、日本のアドバンテージであった「自粛」を喚起することなくこのまま水位は上がり続けるという最悪のシナリオを辿りつつあるのだが、どうやら何もしないという決意だけは強固のようである。足元でワクチンはさほど期待できないという傍証だけが積み重なっているにも関わらず。

スヘルデの戦い

『スヘルデの戦い』を観る。ノルマンディー上陸を果たした連合軍が、マーケット・ガーデン作戦で躓いた後のオランダ。ドイツの軛を逃れられるのではないかと喜んだのも束の間、やや持ち直したナチスの支配下にあって、協力者となっている医師とその娘、レジスタンス活動をする弟、グライダーが不時着してカナダ軍に合流することになる英国の兵士、ドイツ軍に身を投じている兵士といった複数の視点で物語は進む。ほとんど遮蔽物のない低地を進軍せざるを得ないカナダ第1軍の死闘を全編のクライマックスとして、それぞれの登場人物の運命が交錯する複雑な話が描かれる。オランダ映画としては史上2番目の制作費という話だけれど、国の転機ともなった激戦を扱おうという志が伝わるスケールで見応えがある。

そして、占領と解放というこの状況は現在、ウクライナで起きていることの写しでもあって、人間の歴史が相似を描くことの不思議とその当然を同時に感じざるを得ない。

『鎌倉殿の13人』は第45回、避けようもなく鶴岡八幡宮の大銀杏の顛末が描かれるけれど、実朝とは因縁浅からぬ歩き巫女の登場とその末路には震える。これまでデリカシーのない男として浮いた雰囲気を漂わせてきた北条朝時の使い方がまた、実に上手いのである。そして義時と平六のやり取りは全編屈指の見せ場でもあって、前回言及された嘘をつくときの癖のエピソードがここでも回収され、物語はいよいよ最終盤に向かう。

蜩ノ記

『蜩ノ記』を観る。直木賞を受賞した葉室麟の同名小説の映画化。岡田准一が檀野庄三郎を演じているけれど、どちらかといえば狂言回しの役回りで、役所広司の戸田秋谷が主人公であろう。同じ葉室麟原作の『散り椿』はそれなりの殺陣がつけられていたけれど、本作は命の遣り取りが10年前に済んでいるという話なので、残念ながら岡田准一の居合も見せ場がほとんどない。一方、背景となる藩政と重税の経緯もあまり説明がないので、考えてみると全体にずいぶんと地味な話である。ではあるものの、物語の起伏はあって、この結末がやりたかったのだろうというあたりもよくわかる。

県内のCOVID-19新規感染は勤労感謝の祝日のこの日、4,000人を超えて過去最高を記録する。実際には数が数えられているだけマシということなのだろうが、それでも検査陽性率は50%を超え時々、驚くような数の死者が報告される状況にある。

DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン

Amazon Primeで『DAICON FILM版 帰ってきたウルトラマン』を観る。庵野秀明のキービジュアルを観たことがあるくらいで、どんな話かも知らなかったけれど、処女作にはクリエーターの全てがあるという言葉の通り、ひたすらカッコよさを追求したレイアウトとカメラワークには、後のヒット作に通じる作家性があって、いや、なるほどと思ったことである。もちろん、30年前の自主制作フィルムなりの荒い画面には違いないのだけれど、そのカッコよさの認識は、画面の精細やミニチュアの精緻によってもたらされているものではないという点が明らかで、人間の認知の仕組みを考える上でも興味深い。

Twitterをめぐる騒動はもちろん続いていて、ハードコアな労働を求めるマスクの通牒に応じて多数のエンジニアが辞めた結果、事務手続きさえ滞って、そろそろサービスが終了するのではないかという話になっている。イーロン=マスクのやることに深謀遠慮を確信している人が一定数いることが観察されるのが不思議だけれど、成功するまで続ければ成功するということを信じているだけのようにみえる。もちろん、大きく失敗したって不思議はない。問題は何を成功とするかだが。