そして、バトンは渡された

『そして、バトンは渡された』を観る。原作の小説は未読。家父長的な家族の物語ではないとして、話そのものは意外な展開を重ねて観客を泣かせようという意図で作られていることがヒシヒシと伝わってきて、それでいて予定的な調和を強く感じさせるので、今ひとつ感心できない。なんだか不思議なストーリーなのである。永野芽郁の演じる主人公にどうしてそうなるの、と問うセリフがあって、「せやな」と思ったものである。

県内は連日2,000人を超える新規感染が確認されていて、病床使用率は医療緊急事態宣言の目安とされている50%を超える。この現実を見ることなく、やり過ごそうという雰囲気があるのだけれど、いやそういうわけにはいかんでしょ。取り立てて対策をとらず、一方でワクチンの効果は経時的に低下するので、結局のところ医療現場は崩壊し、医療弱者にしわ寄せがいくというのが今、見えている景色だが、国家レベルで認知的不協和に陥りつつある今では、避けがたい状況であるように思える。

エージェントなお仕事

Netflixで配信の始まった『エージェントなお仕事』を観る。STUDIO DRAGONの新作なので、もちろんクオリティは折り紙つきというところだが、このスタジオの作品は最近、品がよくなってアクのようなものが薄れてきたような気がしなくもない。登場人物がiPhoneを使う韓国ドラマというのに慣れていない。『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』で親友のトン=グラミを演じたチュ=ヒョニョンが全く異なる雰囲気で出演していて、もとは喜劇役者だというこの人の奥行きを感じる。

この日、法務大臣は死刑にハンコを捺すだけの地味な役回りなどと愚にもつかないことを言って顰蹙を買った閣僚が更迭される。『エルピス -希望、あるいは災い-』が直接的に扱う死刑制度をめぐり、ここまで醜悪な共感性の欠如を見せつけられると、現実はドラマより出来が悪いと思わざるを得ない。そして優れたドラマが時代に呼ばれるのを、またも目の当たりにしてるのである。

エノーラ・ホームズの事件簿2

Netflixで『エノーラ・ホームズの事件簿2』を観る。原作の小説は未読。前作をそのまま引き継いで、母親役のヘレナ=ボナム・カーターも活躍する素直な第2作となっている。家父長制への強烈な異議申し立てを背骨として歴史上、女性初のストライキを主導した実在のサラ=チャップマンを題材にしているあたりの一貫性は好ましい。オリジナルのヤングアダルト小説にも、きっと筋の通った姿勢があるのではないかと思うのである。登場人物が観客に向かって語りかける、Breaking The Fourth Wallをうまく使った映画でもあるけれど、ミリー=ボビー・ブラウンは実に達者にこの特権を演じて違和感がない。順当な続編である。

引き続きTwitterは大揺れで、本国どころか日本の法人でも従業員がいきなり解雇という事態になっているみたい。雇用関係の常識的なプロトコルを無視した横紙破りを当たり前にされては万国の労働者が迷惑するというものなので、ここはきっちり闘争していただきたいものである。

アースストーム

Netflixのドキュメンタリー『アースストーム 牙をむく大自然 火山』を観る。火山の話が好きである。火山のほか竜巻、地震、ハリケーンを題材として4話で構成されているドキュメントシリーズだけれど、この四天王では火山が最強であろう。爆発指数1から噴火規模の拡大をおって事例が紹介されるのだけれど、爆発指数8ともなれば上限がなく、その噴火は宇宙速度に到達するだろう。そう考えるとこの文明は、破局的な噴火を記憶するほどの時間も経ていない、ほんの一瞬を謳歌しているに過ぎないのである。

この日、折りからミサイルの発射を繰り返している北朝鮮から、180もの軍用機が飛来して韓国空軍は80機ほどを緊急発進させる。ウクライナのザポリッジャ原発では4回目の外部電源喪失が起きる。かつてでは考えられない事態が既に起き、深刻度は日々増しているのだが、引き返し不能地点がどこなのかを知る人間はどこにもいない。

値打ち

引き続き『すべて忘れてしまうから』を観ている。Fの視点から話がすすんだ前回に続き、緩く物語を駆動してきたFの失踪の一部始終にカタがついて、次回予告も何となく終点を予感させる第8話。しかし全10話というからには、まだ語るべきことが残っているということだろう。宮藤官九郎が演じるフクオが、青い鳥みたいに目の前にいた猫のナベシマを見つけ出す流れから、その嘘には値打ちがあるというあたり、ただ緩い話ではないのである。やや強めの狙いを感じるところがあるとして、この雰囲気は既に結構、好き。

FRBはさらに0.75ポイントの利上げを決める。以降は効果の見極めをしながら、小幅な利上げの動きになるのではないかという見方が優勢だけれど、いくら何でも効果が出てくるだろうというのがその根拠で、一方これまでの指標は特に傾向の変化を示唆していないとわけだから、依然、未来は誰にとっても不可知の領域にある。

君の名は。

Netflixで『君の名は。』が配信されていたので、ついこれを観てしまう。前回観たのが2018年のことらしいので、トリッキーな展開もそれなりに新鮮な気持ちで楽しむことができたのである。クライマックスの盛り上げ方はやはり格別。2016年は傑作の多かった年なのだが、いい感じに記憶も遠ざかっているので、再読の愉しみも多いというものである。

『鎌倉殿の13人』第41回は和田合戦の顛末が語られる。和田義盛の立ち往生を壮絶な見せ場として、大江広元の立ち回りが挿入されている遊びには笑う。いや、笑うような流れではないのだけれど。実朝が政について朝廷を頼ろうと決意して、またも不穏の種が蒔かれる。来る最終回では、源三代を殺めたのは結局のところ北条義時であったことが明かされるのではなかろうか。

西部戦線異状なし

Netflixで配信の始まった『西部戦線異状なし』を観る。言わずと知れたレマルクの小説を原作とした2022年の映画。映像化としては1930年のリュー=エアーズが主演した映画が有名で、すでに一世紀近い年月が流れて何故、今さら再映像化なのかと問えば、それなりの時代的背景がある気さえする昨今。全編、ドイツ語の本作は、無論のこと近年の映像技術によってリアルに振った質感で、死も克明に描かれる。

冒頭、森の中で命を育む狐の親子と戦場の死者たちの対比に始まり、スケールを感じさせる光景と自然に属するものごとは美しく描かれるけれど、人間をすり潰していくシステムは、戦場の後方から前線に向かい、無関心か、嘘や煽動によって機能する。このあたりがいちばんの見どころかもしれず、1930年版であればラストシーンにあたるような無常感は全体に配置されている。映画としての文法は近年のもので、主人公パウルの死さえ、ある意味で特権的に描かれるのである。劇中、半世紀、戦争がなかったというセリフがあるけれど、この映画を作った世代は戦争というものを知らないのだということを強く感じさせるのは、実はこの劇的なラストのシークエンスかもしれない。