ザ・プレデター

『ザ・プレデター』を観る。少し前にシリーズの前日譚となる『ザ・プレイ』を観たのだけれど、2018年のこの映画は何となく敬遠していたのである。主人公のスナイパーを演じるボイド=ホルブルックのイメージは、かなり古臭いアクション映画を想起させるではないか。アーノルド=シュワルツェネッガーからダニー=グローヴァーに継いだ流れを受けて何故、正統派の二枚目になってしまうのか。

だがしかし作品のクレジットをみると、初代の『プレデター』にも出演していたシェーン=ブラックが監督で、脚本にも入っているので己が先入観を恥じた次第。何しろシェーン=ブラックといえば『リーサル・ウェポン』の脚本を書いた人で、本作も何かと話がはやく、チープといえばチープな盛り上がりではあるけれど、ジャンル映画としての見せ場が詰め込まれている。107分の尺とはいえ、1987年と1997年のプレデター襲来の経緯まで含めた世界観で語られるし、いかにもB級映画という終わり方にも好感がもてる。

ソウル・バイブス

『ソウル・バイブス』を観る。1980年代、オリンピックを目前にしたソウルで、独裁者として君臨した前大統領の悪行を追及するために走り屋の一団が協力させられる。民主化を決意した韓国が生まれ変わろうとする時代を背景に、捜査協力ものとしての類型をきちんと踏んで、完成度の高いジャンル映画になっている。往時の雰囲気の作り込みは素晴らしい。

そして、独裁者としての全斗煥の後ろ姿を題材にして、「権力を前に民衆は団結する」という映画を作ることができるのが、韓国映画界の背骨の強さであろう。面白い。

サウンドトラック #1

『サウンドトラック #1』を観る。ハン=ソヒとパク=ヒョンシクの主演による2022年のドラマで、切なくもどかしい展開を引っ張るのだけれど、各話は50分弱の長さで4話完結なので許せる。男女の友情云々という題材である以上は、最後は収まるところに収まるとして、ある意味でハン=ソヒの演じるウンスの鈍感さによって物語が成立しているところをみると、『その年、私たちは』の脚本はやはりよく出来ていたと思うのである。この調子でいつもの16話構成であれば、付き合いきれないということになっていたに違いない。

盆休みを経て、COVID-19の新規感染拡大は帰省先で過去最高の人数を記録する事態になっている。この地方も県では3,000人を超える状況で、500人ほどで検査能力の限界かと疑っていた時分が懐かしい。ウイルスにとって行動規制のない初めての夏休みとなったこの盆の結果は、惨憺たるものというべきであろう。

ナイル殺人事件

『ナイル殺人事件』を観る。ケネス=ブラナー監督、主演による2022年の映画。『ナイルに死す』の発表が1937年である。第一次世界大戦や大恐慌の記憶と地続きのこの話をあらためて映画にしようというのも、ある種の異国趣味に過ぎず、端的にはクリスティの作品が好きだからという以外の理由はないのだろうけれど、幾つもの改変はあるとして、しかし何となく書き割り風のエジプトが逆にアガサ=クリスティっぽい雰囲気を醸し、これはこれで悪くないような気もする。『オリエント急行殺人事件』に続く本作だが、同じ陣容で第3作の製作も決まっているそうだから、ちょっとした人気シリーズなのである。ケネス=ブラナーのエルキュール=ポワロはやや強めの押し出しとはいえ、違和感はあまりない。中学から高校にかけて、ハヤカワの赤背表紙を集中的に読んだことを懐かしく思い出す。つまり、そのような需要があるということであろう。

連休の最終日。この近くではこの時期、比較的に大きな花火が方々で打ち上げられて、家の窓からも望むことができるのだけれど、20時過ぎ、急に降り出した雨にもかかわらずやや大きめの音が鳴っているのに気づいて、次々と夜空に広がる様子を眺める。花火は秋の季語である。

ザ・ハント

『ザ・ハント』を観る。ジャンルとしてはデスゲームの類型に属し、つくりは明らかにB級映画のそれでありながら、富裕層とレッドネックと呼ばれる貧困白人層の対立の構図を持ち込むことで、政治的な風刺の意味合いが濃く映る。人間狩りというよりは、富裕層と貧困層の殺し合いの映画で、リベラルエリートの醜さを持ち込んだところが目新しい。ドナルド=トランプはこの映画を指してレイシストが作ったと批判したそうだけれど、その文脈でこそ興味深い映画であろう。トランプが実際には観ていないことは明らかだが、内容はといえば、どちらサイドの人間も愚かという他ない描き方で、まず身も蓋もない。

NHKで『ビルマ 絶望の戦場』を観る。インパール作戦のあとの司令部の逃亡と孤立した部隊が滅亡に至る1年に取材している。イギリス第14軍の指揮官の言葉は、現代にも通じる本邦の宿痾を看破している。

日本人指揮官たちには根本的な欠陥があるように思える。それは道徳的勇気の欠如である。彼らは自分たちが間違いを犯したこと、計画が失敗し練り直しが必要であることを認める勇気がないのだ

スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け

『スター・ウォーズ スカイウォーカーの夜明け』を観る。ながらく課題図書には上がっていたのだけれど、古参としてはハン・ソロがあっさり死んでしまったあたりでひと区切りついてしまったという気がしていたのである。

いわゆるシークエル・トリロジーの登場人物も嫌いではないのだが、物語はインフレ気味に膨張して、その実は反復であったという気がしなくもない。帝国のテクノロジーには必ず急所がが存在するのだが、中央集権的なシステムの弱点のアナロジーだとしても、やや安直ないつものパターンに堕していたみたい。長尺には違いないとして、何しろ話のスケールが大きいので困難も都合よく片付いてしまう傾向が隠せない。『最後のジェダイ』は展開をわざと捻っているようなところがあったけれど、J=J・エイブラムスに監督が戻ったからか、こちらはそのままの展開なのである。

そして最後は、もちろん共和制的な価値観が勝利するのだが、トランプの時代を経た後にかつてと同じ図式を再現しても、ことはそう単純に映らないのではなかろうか。1月6日、連邦議会を占拠した人たちも、自らを抵抗軍になぞらえていたからには。

デイ・シフト

『デイ・シフト』を観る。ジェイミー=フォックスがロスでプールの清掃員をしながら、たつきのためにヴァンパイアハンターをしているという設定の映画。ガトリングガンが登場する派手なドンパチはあるけれど、典型的なジャンル映画のテイで目新しいところはあまりないみたい。スヌープ=ドッグが大物ハンターの役回りで出演しているけれど、その有難みはよくわからない。

東北北部の雨は降り続いている。先日、記録的な大雨となった石川あたりでも再び多くの雨が降って、台風8号は静岡近辺に上陸する。C100が行われている晴海の待機列に襲いかかる猛烈な雨が話題になっている。