Netflixで配信の始まった『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』を観る。このところ韓国ドラマから遠ざかっていたのだけれど、『ムーヴ・トゥ・ヘヴン』と同じく自閉症スペクトラムという設定の主人公を据えた本作はそのこと自体に賛否が生じそうだとして、法廷ものとしてもなかなか良くできたドラマとなっており面白い。主人公のウ=ヨンウを演じるパク=ウンビンの仕事ぶりも悪くなく、ただそれだけで観られる感じ。まず、何かと分かりやすい演出なのである。
この日、2022年の折り返し。いやはや。
Netflixで配信の始まった『ウ・ヨンウ弁護士は天才肌』を観る。このところ韓国ドラマから遠ざかっていたのだけれど、『ムーヴ・トゥ・ヘヴン』と同じく自閉症スペクトラムという設定の主人公を据えた本作はそのこと自体に賛否が生じそうだとして、法廷ものとしてもなかなか良くできたドラマとなっており面白い。主人公のウ=ヨンウを演じるパク=ウンビンの仕事ぶりも悪くなく、ただそれだけで観られる感じ。まず、何かと分かりやすい演出なのである。
この日、2022年の折り返し。いやはや。
『シンクロニック』を観る。ニューオリンズを舞台にしたある種のタイムトラベルものだが、シンクロニックと呼ばれる合成麻薬を服用することで時間を遡ることができるという、ちょっと斬新な人間原理にもとづいてことがすすむので、わかったようなわからないような話が展開する。カルロ=ロヴェッリの『時間は存在しない』を思い出したけれど、あの本だってもちろんこういうことを言っているわけではないと思うのである。冒頭からサイケデリックな雰囲気でそれなりに複雑な展開の物語を、そこそこわかりやすく見せているところは評価できる。
『鎌倉殿の13人』は第25話、年の折り返しで源頼朝が退場する。大河ドラマはこの数年、全50話に届かず、前年の『青天を衝け』に至っては41話という忙しさだったけれど、この様子では後半もじっくり描いてくれるのではなかろうか。
それはそうと、来年の『どうする家康』の脚本が古沢良太だということを最近知って、これはこれでちょっと楽しみになっている。
『夏への扉』を観る。ハインラインの小説の本邦での映画化。山﨑賢人を主人公、清原果耶をヒロインとして日本に舞台を移した翻案。監督は三木孝浩で、ハードルの高い映像化ではあるけれど、設定にはコールドスリープやタイムトラベルの違和感を和らげる工夫があって案外、悪くない。1950年代SF小説的な人物像の奥行きまで再現されているようだけれど、物語がそうなのであって、映画の責任ではないだろう。
夏といえばこの日、6月だというのに群馬県の伊勢崎では40度を越える暑さとなり各所で猛暑日を記録する。じき、梅雨明けという話もあるのだが、当地では夜に豪雨が襲来することもたびたびで、これがピークでないなら8月には一体どういうことになるのか。
NETFLIXで配信の始まった『スプリガン』を観る。はるか昔、『少年サンデー』で連載を読んだ覚えがあるが、その時は朝日ソノラマで出ていた菊地秀行のトレジャーハンターシリーズの影響を強く感じていたことも思い出す。八頭大は高校生の設定だったが、こちらの主人公は16歳の設定だそうである。この厨二設定は今の時代にかえって新鮮ということであろうか。
『鎌倉殿の13人』は源頼朝の退場を予感させる第24話。もはや任侠映画と選ぶところがない展開に加えて、『極道の妻たち』までなぞる脚本は確信犯の仕事であるに違いない。一介の坂東武者だったあの頃はよかったというセリフが沁みる大河の折り返し付近。範頼の最期に善児が登場し、ホラーのような修羅場で次週刮目せよという流れだが、善児の後継者が自身の手によって育てられるという展開があるそうだから、その女児は両親を殺されたあの子供だろうか。いやはや。予告で大泉洋に「死ぬかと思った」というセリフを吐かせているところまでが今週のハイライトで、もちろん来週を楽しみにしないわけにはいかない。
『ある用務員』を観る。高校の用務員として働く男が、実はヤクザだった父を殺され殺し屋として育てられた経歴をもっていて、組織の跡目争いをめぐる殺し合いに巻き込まれるという福士誠治主演のアクション映画。『ひらいて』の芋生悠が出演していて、前野朋哉がラスボスというあたりが見どころ。
ストーリーはあるとして、高校を舞台にした異常者揃いの暗殺者集団との無情な殺し合いを撮りたかっただけなのではないかという気がするし、まぁ、それだけといえばそれだけ。主人公の福士誠治はほぼ作業服姿なのだけれど、新品のそれが馴染んでいないあたりに本作の印象が集約されている。ラストのくだりは不自然なほどに長いのだが、ことに芋生悠が歩み去る遠景は違和感が大きすぎて、演出としてはいろいろダメなのではなかろうか。
『フリー・ガイ』を観る。ライアン=レイノルズが主演のSFコメディ。オープンワールドのゲーム世界を舞台にして、そこに生きるNPCの視点から世界を構築していく手つきが楽しい。『レディ・プレイヤー1』とウィル=フェレルの『主人公は僕だった』の幸福な融合といったストーリー。特に後者は好きな映画なので、本作のアイディアも楽しめたのである。現実パートの資本と強者の横暴に重ねて、ゲーム内のモブキャラが世界の枠組みに異議申し立てをする展開は強いメッセージを感じさせるもので、ただ楽しいだけでもない。このあたりが評価されて2021年の収穫に挙げられることも多い作品だが、それもディズニー配給というところに本当の絶望はあるとして。
この地域も梅雨に入ったようだが、夜半にかけて集中豪雨に近いイメージの雨が降るようになって、これも気候変動の一様態ではないかと疑っている。もとから山間の気象ではあるが、こういう降り方はなかったと思うのである。
『マークスマン』を観る。リーアム=ニーソンが主人公のロードムービーで、射撃の的中率100%の男が麻薬カルテルと戦うというのが日本向けの惹句なのだけれど、確かにリーアム=ニーソンが狙いを外すシーンはないとして、そもそも飛び交う弾の数は数えるほどである。監督が『人生の特等席』でデビューしたロバート=ローレンツだけあって、クリント=イーストウッドの『グラン・トリノ』に、『刑事ジョン・ブック 目撃者』ともしかしたら『マイ・ボディガード』の風味が少し入っている感じ。
アメリカの価値観を強くアピールする内容で、物語はメキシコからの密入国が日常となっている国境の牧場から始まり、元海兵隊でベトナムにも2回派遣された男が国境でのトラブルに巻き込まれ、託された子供をシカゴに送り届けることになる。このロードムービーは西ではなく、アメリカの心臓に向かう旅なのである。色褪せたアメリカの国章のイラストを背景に、メキシコ人の子供に銃の撃ち方を教えるシーンがあって、いろいろどうかと思うのだけれど、本国の一定の層には刺さるのであろう。その点ではアクション映画に仕立てようとしている日本の宣伝の気持ちもわかる気がするが、誰にとっても不幸でしかない売り方はやめたほうがいいと思うのである。
この日、日銀の黒田総裁が、家計が値上げを許容しているという自身の発言を誤解を受けたといって訂正する。もとの発言は前後の文脈を含めて誤解の余地なく言葉通りのことを言っているのである。中央銀行が言葉をごまかすようになるとは、いよいよ本邦もやばくなってきたと思わざるを得ない。