ザ・ファブル 殺さない殺し屋

『ザ・ファブル 殺さない殺し屋』を観る。岡田准一が主人公のファブルを演じる実写劇場版の2作目なのだけれど、前作が『ザ・ファブル』で本作が『ザ・ファブル 殺さない殺し屋』という分かりにくいことになっているのは何故なのだろうか。それはともかく、岡田准一にしか表現しえない個性のあるアクションが好きである。団地に組まれた足場を使ったアクションはスケールがあってその立体感に感動する。その抗争のなかで、誰も死んでいないとは俄には信じられないとして。

江口カン監督の演出と編集意図はわかりやすい。青年誌特有のミソジニーっぽい臭気が気になるが、これは原作もそうなのであろう。

あの家に暮らす四人の女

『あの家に暮らす四人の女』を観る。三浦しをんの小説を原作とするドラマ。あの家に暮らす女四人が中谷美紀、吉岡里帆、永作博美、宮本信子という分厚いキャストで時折、不穏な空気がありながら事件にはならない安心感があっていい。河童の川太郎という異様なお題でこの物語を駆動しようという発想が一体どこから来たのかという謎はあるとして、女優たちの仕事ぶりがほのぼのとした空気をつくっているあたりも、やや類型の感はあるとして悪くない。

『鎌倉殿の13人』は第21話にして新垣結衣演じる八重は千鶴丸と同じ水難に遭う。正直言って、ごく序盤だけの出演だとばかり思っていたのだけれど、前半の重要人物で、恐らくは今後の義時の行動に重要な動機を与えることになるのであろう。それにしたって、この欠落をどのように埋めればよいのか。

シン・ウルトラマン

久しぶりに映画館まで出かけて『シン・ウルトラマン』を観る。パンデミックで遠ざかってはしまったけれど、いうまでもなく、映画館での鑑賞体験はいいものである。空想特撮映画とのタイトルとともにはじまる本編は、冒頭の90秒で「禍特対」設立の経緯を語る情報量の多いもので、思わず居住まいを正す。ゴメス、マンモスフラワー、ペギラ、ラルゲユウス、カイゲル、パゴスと六体もの敵性大型生物を撃退する流れは、さしずめ『ウルトラQ』に相当する世界の構築でなかなか凝っているのである。

科特隊ならぬ通称「禍特対」にはオレンジ色のジャケットも検討されていたそうだけれど、スーツ着用でリアリティ側に倒したのは『シン・ゴジラ』の成功を解釈した結果といえ評価出来る。官僚システムが駆動する様子はないとして、「外星人」がやってきて政治的手法で浸透しようというアイディアには盛り上がる。本邦が米国の属国であるというセリフを差し挟んで何らフォローなしという世界観は、B-2の本土爆撃のシークエンスとともに正しく『シン・ゴジラ』と通底している。

カラータイマーのないウルトラマンのデザインは、成田亨画伯の作品をそのまま想起させるものではあるけれど、こちらとしては同時に小林泰三の『AΩ』を思い起こしていたのである。その作者も、存命であれば本作を大いに喜んだに違いないのだが。

本編ではメフィラス星人に巨大化させられるメンバーという頓狂な流れも再現されていたけれど、そこを膨らませるのかという意想外の文脈が縦横に広げられていくあたりは楽しい。そして、例の「シン・ジャパン・ヒーローズ・ユニバース」というコンセプトも、エヴァンゲリオンを同列に置くのはさすがに無理があるのではないかと思っていたけれど、ゼットンの造形をみるとその違和感さえ薄れてくるから空想の力というのは素晴らしいものである。

ステーション・イレブン

『ステーション・イレブン』を観る。エミリー=セントジョン・マンデルの小説のドラマ化で、第1話はインフルエンザに似た疫病が瞬く間に広がり、文明が終わるその前夜の出来事と8ヶ月後、ほとんど無人となった世界に足を踏み出すまで。そして、それよりかなり後の世界について。

COVID-19を経験した後の世界で、グルジア風邪と名付けられた死病を題材にした本作のタイミングはよいのか悪いのか。しかし、この映像化はかなり前に読んだ原作をほとんど忠実に画面に定着した印象で、雰囲気は全然悪くない。そのパンデミックのさなか、舞台となるシカゴの人々はノーマスクで苦しそうに咳をしているわけだが、さすがにマスクを着けるくらいの適応はするだろうとは思うとして。

スーパーで買い込んだ食料を、連結したカートで運ぶシーンがあって、そのあたりは以前、小説で読んだ通りのイメージだったので驚いている。ことによったら遡及的に記憶が形成されたのかもしれないが、原作の世界観そのものが大事にされているのは確かだと思うのである。

モンタナの目撃者

『モンタナの目撃者』を観る。アンジェリーナ=ジョリーが任務での経験からトラウマを抱える森林消防隊員の役で、事件の目撃者となった少年を助けて殺し屋と戦うことになる。そのまま『刑事ジョン・ブック』みたいなプロットなのだけれど、いかにも、90年代のハリウッド映画を想起させるわかりやすいサスペンスで99分にきちんと設計された物語が詰められている。隠しようのないマチズモが露呈する序盤はどういう話かと思ったけれど、そのあたりを全部潰しにくるあたりはアンジーっぽくて、いっそ気持ちがいい。山火事とか落雷とか、壮大すぎるモンタナの自然で作るスペクタルが話を地味にしていない。実はSmokejumperが登場する脈絡もないのだけれど、そこはそれ、画としては映えているのである。

『鎌倉殿の13人』は第20話にして義経の末路が語られる。わかっていることだけれど、この先も乱と変ばかりであれば、我々もこれに慣れる必要がある。

みをつくし料理帖

『みをつくし料理帖』を観る。原作の小説はこれまで何回か映像化されていると思うけれど、松本穂香主演で角川春樹が監督した2020年の映画版。以前、NHKでは主人公の澪を黒木華が演じたドラマをやっていて、楽しみにしていたものである。この映画も全10巻の原作の前半、ドラマとほとんど同じ時間軸を扱っていて、しかし映画の尺であるからにはダイジェストのような印象は拭えない。一方が黒木華であれば、比べられる松本穂香も気の毒というものだし、終盤は連載打ち切りの漫画のように強引な帰着にならざるを得ないところもあって、どうしてこの映画を撮ろうと思ったのかちょっと腑に落ちない。何なら前後編の二部構成にしてもいいところだが、そこまで腹を括っている様子もないのである。

この日、COVID-19による日本での死者が3万人を超えたことが伝えられる。1万人から2万人への増加に290日程度かかったが、そこから3万人には3ヶ月というスピードで、オミクロン株も弱毒化などしていないというのが現在の結論なのである。この深刻な感染症の扱いは、事実に反するかたちで矮小化され希望的なエンデミック化が進行しつつあるが、ワクチンの効果の剥離とともに目を逸らすことができない被害が積み上がっていくことになる。

スクリーム(2022)

『スクリーム』を観る。シリーズの映画としては第5作目、第4作の直接の続編だけれど、2015年に亡くなったウェス=クレイヴンが監督していない初めての作品となる。ワインスタイン・カンパニーの閉鎖のあとも生き残った企画としては原点回帰を売りにしたい様子で、第1作への強い執着に特徴のある脚本になっている。初代は1996年の作品だから、ほとんど四半世紀経って本作は日本での劇場公開もなかったし、もとの映画を観ていないと面白さはまったくわからないだろうから、ほとんど中高年向けの作品だろうけど、若い世代とネーヴ=キャンベルらのレガシー世代が共演しているのでファンにはうれしい。劇中の映画『スタブ』に自己言及するのが流儀になっているけれど、Netflixで配信中のフランチャイズシリーズに対する敵意がほの見えるやりとりもあって、映画こそ本家本元の矜持はあるみたい。

冒頭のシーンには当然のように固定電話が鳴り響くのだけれど、今どきの話であれば固定電話がかかってくること自体が薄気味の悪い話といえ、時代の移り変わりはそこにも現れる。シドニーとデューイ、ゲイブは中盤からの登場で、この人たちももう50歳前後というところだろうから、相応にくたびれている。映画とスラッシャー映画のルールについて登場人物に語らせるフォーマットは健在で、自己言及がジャンルの衰退を意味するのであれば、この分野もかれこれ25年衰退し続けていることになるが、まずまず面白い。どうやら第6作までは制作が決まっているらしいのだが、とはいえ、さすがにそのあたりで打ち止めということになるのではなかろうか。