ひらいて

『ひらいて』を観る。綿矢りさの同名小説の映画化。山田杏奈主演というところがポイントだけれど、この木村愛は『私をくいとめて』でのんが演じた黒田みつ子に匹敵するハマリ役ではないだろうか。表情と視線の演技が素晴らしいし、それを追うカメラの仕事ぶりも見事。撮影は『街の上』や『サマーフィルムにのって』も手がけている岩永洋。

主人公が今さら見たくもない高校時代のあやうさを晒す話というのは、実を言って敬遠したいところだけれど、小説の会話を持ち込んだダイアログは演劇的な独特のバランスがあって観られる。キャラクターに固有の核があればこそ、話は落ち着くべきところに落ち着くからである。綿矢りさの小説が好んで映画化されるのも、わかる気がする。そして、山田杏奈はこの俳優にしか出来ない仕事をしていて、美雪役の芋生悠もそれに見合う存在感を示している。日本映画ではこのあたりの役者が主軸になっていくのではないだろうか。

本編とは関係のないことだが、2021年の映画にもかかわらず、この映画の公式サイトがhttpsに対応していない様子で、このパブリシティのレベルではせっかくの良作がもったいないと思うのである。そんなことがあるのかというレベルだが、いったい、どうしたのか。

光を追いかけて

『光を追いかけて』を観る。1991年に秋田県内の広い地域で正体不明の光る物体が目撃され、翌朝にはミステリーサークルも発見される騒動があったということを知った上で、観たほうがいいような気がする。

CMディレクターである成田洋一が監督を務めた本作は、何よりキャスティングのよさが際立っており、自身も秋田県出身というだけある美しい田園の光景の撮り方と相俟って、そのままポカリスエットの長尺CMを観ているような感じ。中島セナが大人になりきる前に同年代を演じた映画として、そのうえに長澤樹という個性を見出した映画として評価されることになるだろう。

いい写真を撮影する心得に光に向かうというのがあるけれど、その通りファインダーはやや低めに太陽の光線を捉えて、収穫時期の田圃の黄金を映しとる。撮影は念の入ったもので、画面の美しさには力がある。

とはいえ、この作品のよさは映画というより映像作品のそれではなかろうか。キャラクターはどこまでも類型的であり、ストーリーそのものはあまりに凡庸で、おそらくセリフなしでも理解できるくらいの話だし、最後に花卉栽培で産業復興というレベルでは、ばかにするなという向きもあるに違いない。そこにUFOの話が馴染んでいるわけではないので、なぜミステリーサークルが描れるのかという疑問は当然生じて、しかもそれは観客の読解力の不足によるものではないのである。その出自が現実の騒動だったからといって、理解が深まるわけではないのだが。

ブロードウェイとバスタブ

『ブロードウェイとバスタブ』を観る。アメリカの高度成長期、企業が競うように制作したけれど一般にはあまり知られていない企業ミュージカルを題材としたドキュメンタリー。華やかなブロードウェイの舞台と背中合わせに実在したショービジネスを紹介して、発見の驚きばかりでなく、そこに働いた人たちの人生にまで光をあてて奥行きのある話になっている。よく出来ているのである。

有名なコメディアンのデイヴィッド=レターマンのもとでスタッフライターを務めるコメディ作家のスティーブ=ヤングは、無趣味で仕事抜きの友人関係もない人間だったけれど、1960年代にさまざまな企業が制作したミュージカルのレコードに興味を持ち、その蒐集を始める。

かつてアメリカの大企業では、ブロードウェイのミュージカルを模したショーを制作する潮流が存在した。それは劇場で公演されるものではなく、営業部門の年次総会などで演じられ、存在が公表されることもなく、チケットや公演はもちろんなし。一方で『マイ・フェア・レディ』の制作費が45万ドルの時代に300万ドルもの予算が充当され、業界の人たちにとってはいわゆる美味しいビジネスでもあり、一流のスタッフもそこに名を連ねて、役者たちにとっては得難い勉強の機会にもなっていた。華やかな成長の時代、大企業がブロードウェイの才能の事実上のパトロンとなる仕組みで、年に数回出演するとニューヨークでの生活を賄うことができたという。歌詞は身も蓋もないものが多く、たとえばシリコンの歌は180もの用途を5分55秒の尺にすべて盛り込んだようなものだったけれど、それに一流の曲がついたわけである。

極北と目されるのが『Bathrooms are Coming!』で、アメリカン・スタンダード社が1960年代に制作し、洗面設備における革命の歌 “It’s Revolution”に始まってポール=リヴィアとサミュエル=アダムズが便器を求めデラウェア川を渡る歌が収録されたアルバムが残されているという。ヤングは、関係者へのインタビューを試み、当時の映像も入手することになる。このあたり、奇妙な情熱に感化されて、その発見には手に汗握るけれど、当人はあくまで落ち着いた話ぶりだったりするところが感動をさらに盛り上げる。この人柄は得難い。

そして、公然と評価されることは決してなかった企業ミュージカルの資料本をヤングが発行し、かつての再評価が行われるのを待っていたかのように関係者が物故していく終盤、自身の退職も重なってしんみりとしたところに、人生の賛歌となる本格ミュージカル風のクライマックスが用意されているのである。よく出来た構成で見どころが多い。高評価であるのも不思議はない出来栄えで大いに感心した。

ズーム 見えない参加者

『ズーム 見えない参加者』を観る。COVID-19によるロックダウンのさなか、Zoomで交霊会を行うことにした5人の女性が、悪巫山戯が過ぎて何ものかを呼び出してしまう。画面の中で次々と怪異が起きる趣向は、今やあまりめずらしくないけれど、回線品質の悪さとフィルターエフェクトをうまく使った演出はそれなりに手が込んでいるし、Zoomフリー版のタイムリミットにあわせて速やかに終了するコンパクトな印象も悪くない。おまけのように、メイキングの体裁のフッテージがついているのだけれど、これはあまり必要のない小細工というものではないだろうか。

この数日、Logseqというアプリを使っている。Personal Knowledge Managementの用途では以前、Roam Researchを使っていたことがあるのだけれど、Safariではうまく動かないサーバーサービスである以上に、過去に削除したデータベースと同じ名称のデータベースを作るとデータが復活するという仕様なのかバグなのかわからない動作があって遠ざかっていたのである。グラフビューの機能を持つエディタとしてはObsidianにも手を出したことがあるけれど、LogseqはずっとRoam Researchに近く、アウトラインのUIはWorkflowyにインスパイアされていることを公言しているだけあって軽快でシンプルな動作であり、何だか生産性さえ上がるような気がする。

PDFファイルをアップロードすると直接、マーカーを引いてブロックリファレンスで引用できる機能が秀逸で、サーバーアプリでは実現が難しいあたりは戦略的でもあって、ちょっと感心している。来るべきLogseq Proでは課金も予定されているとして、現在は無料というのもRoam Researchの行く末が心配になるほどで、例によってしばらく使ってみるつもり。

鳩の撃退法

『鳩の撃退法』を観る。佐藤正午の小説を原作とした映像化だけれど、藤原竜也が主人公の津田伸一を演じているというだけでサスペンスの濃度が高くなっている気がしなくもない。このキャスティングがどのようになされたのかという点に興味がある。そもそも、どうして映画にしようと思い立ったのであろうか。2時間の尺への圧縮はそれなりに成立しているとしても、どんでん返しみたいな話として扱うのは、やはりちょっと違うと思うのである。いいけど。

この日、ロシアがモルドバへの侵攻を試みようとしているとの情報が伝えられる。時間軸では5月9日近くをターゲットとして、プーチンによる戦争の宣言とともにこうした動きが起きるという観測には説得力がある。ウクライナの兵力を分散させることができる以上に、スケールの拡大は西側にとっても避けたいシナリオであるがゆえ。しかし、その意図が見え透いている以上は事態の一層の混迷と過激化しかもたらさないのではなかろうか。

ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結

『ザ・スーサイド・スクワッド “極”悪党、集結』を観る。2016年に同じくマーゴット=ロビーがハーレイ・クインを演じたデヴィッド=エアー監督版『スーサイド・スクワッド』のジェームズ=ガンによる容赦のない「やり直し」とみえて、いったん集結したスクワッドが上陸作戦のドタバタで全滅する開巻15分には笑う。生き残ったのはフラッグ大佐とハーレイだけという作品的暗喩から出発して、ドラマツルギーの常道を敢えて外してくる脚本が面白いのだけれど、 R15+にしてもかなり張り切った描写で派手なアクションが続き、さすがジェームズ=ガンと感心する。

しかし、たかだか数年前に大々的に売り出した前作を敢えて否定する企画でいこうというDCもひょっとしたら定見がないし、ここまでコケにするジェームズ=ガンも敵が多そうで、全員悪党を地で行く雰囲気の制作の裏側こそ興味深い。サメ人間のナナウエのCVにシルヴェスター=スタローンを当ててくるキャスティングにも悪意を感じてしまうから、正しい意図を明らかにするというのは大事なのである。

サマーフィルムにのって

『サマーフィルムにのって』を観る。監督が松本壮史で、脚本にロロの三浦直之と監督その人がクレジットされていて、主演が伊藤万理華という贅沢な映画である。しかも、文化祭に向けての映画づくりを題材にした映画であれば、こちらとしては好きの要素しかない。期待通りのストーリーから意想外の展開を経て、エンディングに流れるCody・Lee(李)の『異星人と熱帯夜』まで堪能し、素晴らしく形のよい青春映画を観た気がしている。

何しろこういう設定だから、伊藤万理華の『映像研』を観たいという根源的な欲求を代替的に満たすこともできるのだけれど、クライマックスにはさらに演劇的な面白さがあって、なかなかいい感じに盛り上がっていると思うのである。そしてやはり、伊藤万理華は素晴らしい。

そして『窓際のスパイ』の第6話を観る。シーズン1はこれにて完結だけれど、巻末には『死んだライオン』のシーズン予告があって喜んでいる。