第16話

『二十五、二十一』と『気象庁の人々』がともに最終話を迎える。『二十五、二十一』はラスト前に公式のアカウントが微妙に期待値を調整しに来ていた通りのサッドエンドで、この数週、無理な解釈を重ねてハッピーエンドに向けたTheoriesを積み重ねてきたファンの努力がただ愛おしい。主人公ヒドの母親は認知症を患っておりペク=イジンを娘の夫だと認識できていないというトリッキーな伏線解釈などがその極北で、まぁ、そのあたりは楽しくもあったのでよしとする。

一方、『気象庁の人々』はオーソドックスなハッピーエンドに向かう。お仕事ドラマとしての雰囲気で形よく締めるあたりは、定型というもののよさを弁えたつくりで、ずいぶんと安心して観られると思ったものである。終盤にきて急速に株をあげたチン課長の母親の「この世で一番バカなセリフは、愛しているのに別れた」だという指摘は、この日、『二十五、二十一』の最終話を観たファンの支持を広範に集めたに違いない。

そして失地回復は不可能であろうと思われたハン=ギジュンの最終的な評価が、そう悪い奴でもないというところに落ち着くのだから、いろいろと幸せな物語だったというべきなのである。

リトル・フォレスト 春夏秋冬

『リトル・フォレスト 春夏秋冬』を観る。橋本愛の日本版の映画ではなく、キム=テリ主演の2018年の韓国映画。『二十五、二十一』も最終回を迎えるこの週末、キム=テリ成分を積極的に補っておこうという目論見だが、この”いち子”(役名はソン=ヘウォン)もなかなか魅力的な造形となっている。もちろん、出てくる料理も風俗も韓国のものにアレンジされているとして、この寒村での生活はどこか余裕があって、日本映画にはあったサバイバル一歩手間の切実さはやや希薄。やはりキム=テリのための作品であるには違いなく、しかしもちろんこれはこれでよいものである。

この日、北部でのロシアの退却につれ、占領下で行われた暴虐が明らかとなり伝えられる。ウクライナのみならず、チェチェンであれシリアであれ、なお支配にある町では現在進行形で起きている戦争犯罪の実相だが、またも事態を一歩進めるだろう重さがある。サハリンの権益を維持するというのが本邦の国益というのなら、その姿勢を許さない世界の流れも出てくるのではないか。

ちょこっと京都に住んでみた。

Amazonプライムで『ちょこっと京都に住んでみた。』を観る。数年前の年末にやっていたドラマだと思うのだけれど、見逃したままになっていたのである。言ってしまえば『京都人の密かな愉しみ』のフォーマットと同じドキュメンタリードラマなので、好きに決まっているのだが、京都は遥か遠く、どうしたって出町柳で洋食を食べたくなる。ぐぅ。

当地は7年に一度という祭の季節だけれど、山から切り出した大木の曳行はパンデミックの影響でトレーラーでの運搬に変更されている。いわゆる人流の抑制が目的のはずではあるけれど、沿道には結構な人が見物に出かけていて、このところ増加の傾向にあった市内の感染拡大に拍車をかけるのは間違いなかろうという気がする。

窓際のスパイ

Apple TV+で『窓際のスパイ』を観る。ミック=ヘロンの『SLOW HORSES』の映像化で、首魁のジャクソン=ラムをゲイリー=オールドマンが演じており、オープニングタイトルにはミック=ジャガーの新曲『Strange Game』が流れるという贅沢なつくり。英国のスパイスリラーに期待される全てがあって、第1話から傑作じゃなかろうかと期待は高まる。

画面はル・カレ映画風に細部まで行き届いたもので、しかし原作のアイテムが律義に配置されている。その上にビル=ナイ、フィリップ=シーモア・ホフマンの流れを継ぐゲイリー=オールドマンのキャラクターがあるとすれば、ヘロンには悪いが、我々が読みたいのはこういう小説なんやで、と思わざるを得ない。この映像化の文体は、オリジナルのそれを上回っていると思うのである。素晴らしい。

全体では6話構成のようだけれど、初回配信は第2話まで。例によって次回金曜日を、刮目して待て。

第14話

出遅れどころではない状況だった『二十五、二十一』を急速に巻き返し、今週末の最終15-16話配信を前に第14話に辿り着いてしまう。その第14話は冒頭から驚愕の展開で、いや、この状況であと二日をどうすればいいのかというリアタイ勢の困惑を味わう。これは視聴者を動揺させるための仕掛けだとわかってはいるものの。

同じ日、『カムカムエヴリバディ』ではBun Igarashiが視聴者の顰蹙を買って退場する。どちらも最終回近く、この結末を見届けるまでは。

この日、新規感染確認の拡大傾向はいよいよ明確となる。一方、ブースター接種の副反応はそこそこ出ていて、これを何度も続けるというニューノーマルの実相にはどうも現実味がないみたい。

二十五、二十一

後れ馳せながらNetflixで『二十五、二十一』を観始めている。韓国のIMF危機といえばリアルタイムで見知った歴史的事件ではあるけれど、もう20年以上前の話と思えば時の経つのはあまりにも速い。社会的にも大きな傷跡を残したこの経済危機は、無論のこと、さまざまな物語の題材になっているはずだけれど、キム=テリを主演にしたこのドラマでの扱い方には韓国ドラマの成熟を感じる。歴史の修正にならないように近代を描くというのは、なかなか骨の折れることではないかと思うのである。

ウクライナ危機もあってCOVID-19の報道は何となく影が薄くなってきているけれど、この数日が再び感染の拡大に向かう転換点になっていくのではないかという感じがしている。

一方、ウクライナの情勢はポーランドを訪問しているバイデン大統領がPutin cannot remain in power.という踏み込んだ発言をして、ホワイトハウスが軌道修正を行う事態となっている。妙手とはいえないこうした積み重ねの果て、どのような回避不能事態が出来するか予想がつかない。

エターナルズ

『エターナルズ』を観る。クロエ=ジャオ監督・脚本によるマーベル・シネマティック・ユニバース第26作。『アベンジャーズ エンドゲーム』のあとの世界、サノスとの戦いには力を貸してくれなかった浪人中の超人たちが突如復活したかつての敵ディヴィアンツと再び戦うことになる。7000年以上、生きているという設定なので身内にもいろんな経緯と葛藤があって、ストーリーの6割はそれぞれの生活を送っていたチームが再集結するまでの流れ。まるで『サイボーグ009』の新章再開みたいと思ったら、類似はそればかりではなかったのである。メンバーの多様性もみるに、コミックの原作は石ノ森章太郎の影響をだいぶ受けているのではなかろうか。

クロエ=ジャオのロケ重視の画作りと光の描写は、これまでのMCUとちょっと異なる雰囲気の映画を生み出したけれど、CGとの相性がいまひとつの画面もあって勉強になる。技術にはまだまだ限界とみえるところがあるようだ。