イカロス

『イカロス』を観る。ランス=アームストロングのドーピング事件のあと、アマチュア自転車選手のブライアン=フォーゲルがドーピング検査が無意味であることを証明しようと自らドーピングを開始する。『スーパーサイズ・ミー』のドーピング版のように始まるドキュメンタリーだが、ドーピングテスト通過の指南のためにロシアの反ドーピング機関の所長グレゴリーを紹介されたことで、話はあらぬ方向に転がり始める。ロシアにおける国家ぐるみのドーピング疑惑が持ち上がり、切り捨てられたグレゴリーが渡米して国の関与を暴露する後半は政治スリラーの様相となる。アカデミー賞のドキュメンタリー部門を受賞している本作だが、その巡り合わせの数奇には思わず観入る。

ことはロシアの闇の話に終わらない。ブライアンが最初に相談をもちかけるUCLAのオリンピック分析研究所の創始者は、反ドーピング機関所長の知識がその禁止に使われているだけではないということを明らかに認識している様子なのである。国ぐるみ組織ぐるみの不正とその隠蔽が、IOCとあらゆる関係者にとって骨絡みのものになっていることを疑わせずにはおかない状況の証拠が積み上がっていることは、既に我々の見知っている通り。グレゴリーの愛読書が『1984』であるというのも、事実は小説よりも奇なりという感慨を呼ぶけれど、むしろ我々が小説の予告した未来に生きているのである。

二重思考という用語を用いる場合とても、二重思考により行わねばならぬ。その言葉を用いるだけでも、現実を変造しているという事実を認めることになるからだ。そして二重思考の新たな行為を起こすことでこの認識を払拭する訳だ。かくて虚構は常に真実の一歩前に先行しながら、無限に繰り返される。

ジョージ=オーウェル『1984』

折りしも、ロシアのウクライナ侵攻が懸念されている時間帯にあるが、ソチオリンピック直後のクリミア併合とその後の支持率の回復という成功体験が、同じ道を選択させても不思議はない。今回の震度は、もっと激烈なものになる。

ストーリー・オブ・マイライフ

『ストーリー・オブ・マイライフ / わたしの若草物語』を観る。しっかり『若草物語』でありながら、モダンな価値観で全編を構築した監督・脚本のグレタ=ガーウィグの仕事は偉業という他なく、『若草物語』と『続 若草物語』を行き来しながらメタな構造までもち、しかも違和感なく繋がれた画面には感心する。演出の仕事も細部まで行き届いているのである。

シアーシャ=ローナンは『レディ・バード』に引き続きこの監督の作品を主演して名声を高めたが、その仕事ぶりは賞賛に値し、キャリアを積み重ねているのは嬉しい限り。エマ=ワトソンはもちろん、フローレンス=ビューもいい。キャストも旬揃いで見どころの多い映画なのである。135分の『若草物語』がこれほど面白いとは、己が不見識を恥じるほかない。ベートーヴェンのピアノ・ソナタ『悲愴』の第2楽章が使われるのはちょっとベタだけれど、他はないとも言える。

我らの罪を赦したまえ

『我らの罪を赦したまえ』をNetflixで観る。14分の掌編だが本格的に作り込まれた映画で、ナチスドイツにおけるT4プログラムを題材にする。障害者の虐殺政策として知られるT4を扱っていることは、社会的弱者を敵視する政党が本邦においても幅を効かせている状況であれば時節に適い、見応えがある。アテンションスパンが短くなっていると言われる当世であれば、こうした短編映画がもっとあってもいいし、配信サービスはプラットフォームとして最適だと思う。

冒頭、「社会の倫理観は子供の扱い方にあらわれる」というディートリッヒ=ボンヘッファーの言葉が引用される。物語としては、そのまま障害をもつ子供の運命を扱っているが、善を選ぶことが不可能な状況下において人間がどのように振る舞うべきかという主題をも射程に入れているということであろう、そのタイトルの通り。特に開巻5分の緊張感は居住まいを正すもので、間然するところがない。

気象庁の人々

Netflixで配信の始まった『気象庁の人々』の第1話を観る。一応、パク=ミニョンとソン=ガンの主演によるロマンスということなのだけれど、それぞれ恋人に裏切られる導入でラブストーリーとしてはよくある展開。パク=ミニョンは直径5mmくらいのヒールで床に穴を開けつつ機動しており、得意の憂い顔が主となる役回りで、しかし今のところいいとこなし。パク=ミニョンの不幸で話を転がそうという世の流れはどうかと思うけれど、それがまた合っているのである。

面白いのはロマンスよりお仕事ドラマとしての部分で、韓国気象庁の予報局を舞台として、各地の予報台を繋いだオンライン会議の場面は司令室ものが好きな向きにはたまらない山場。警報の発令とともに、社会のさまざまな場所でこれに対応した予防保全を行う描写がきちんとされているあたりは燃える。こういうシーンの挿入があるかどうかで物語の厚みは大いに変わると思うのだけれど、気象という題材の味を十分に引き出す演出で、かなり面白いドラマになるのではなかろうか。期待は高まる。

白頭山大噴火

『白頭山大噴火』を観る。タイトル通り、白頭山の噴火に始まるディザスター映画だけれど、核爆発で破局的な噴火を阻止するという2006年版の『日本沈没』みたいなミッションが主軸となり、そのために北朝鮮のICBMのウォーヘッドを奪うという話で、ハリウッドのアクション大作みたいなつくり。核兵器の情報を握るのがイ=ビョンホンの演じる北朝鮮工作員で、マ=ドンソクが田所教授の役回りなのでキャストもおごっている。ぺ=スジも出ているのである。128分の長尺とはいえ、いろいろと盛り沢山なのでかなり忙しい展開となり、もたもたしているところはないとして危機さえも早送りなのだけれど、ハリウッドタイプのストーリーをきちんと作れるのが韓国映画のすごいところである。

北への侵入作戦というデリケートな題材は、第1波の噴火で北朝鮮の政体が事実上、消滅したことにして消化しているのだけれど、米国と中国という二大国の横暴はきっちり描かれていて、ことに米軍の駐留基地に押しかける避難民に対して米国領への侵犯が警告されるシーンには『グエムル-漢江の怪物-』からこっち時々顔を出す政治的な独立についての意識の高さが窺え、今や幸福な奴隷という域にある本邦との差は大きい。

全体として貧乏くさいところはなく、SFXもそれなりで劇場鑑賞の価値を感じさせる画面なのだけれど、白頭山の描写にも2006年版『日本沈没』を想起させるところがあって、この風呂屋の書き割りがリスペクトだとすれば皮肉の意図も勘繰らざるを得ない。

あなたが眠っている間に

このところ韓ドラは新作の配信を中心に回していたのだけれど、2017年の『あなたが眠っている間に』を観始めている。イ=ジョンソクとペ=スジが主演のSF設定のドラマで、予知夢を題材にまぁまぁ自由な話が展開するのだけれど、イ=ジョンソクはコミカルな部分が多い役回りでちょっと楽しい。このスジも嫌味がなくていい。

制作では、ディレクターと脚本が『スタートアップ』と同じで、なるほどという感じ。しかし、夢を使って融通無碍に展開するこのフォーマットは、あまりに縛りがなさすぎるというものではなかろうか。

オールド

『オールド』を観る。M=ナイト・シャマラン監督が得意とする超常的な設定のスリラーで、例によって冒頭から、平凡な家族の様子にどこか不穏な影があって期待は高まる。観光に訪れたリゾートで人気のないビーチの時間を楽しもうとした人たちが異常な現象に見舞われる話なのだが、ホテルの送迎バスの運転手の役で監督自身が登場するところを含めて、いつも通りという雰囲気は悪くない。

とはいえ、結末のつけかたは意外に強引で嫌う向きも多いのではなかろうか。スクリーンテストの結果として取って付けたような勧善懲悪バージョンにラストが差し替えられたみたい感じなのである。異常な状況が明らかになっていくあたりの異様なテンションでのやりとりには十分なシャマラン風味があって楽しめたものの。画面のレイアウトや撮影も全体的に実験的で面白い。

特に驚くべきことでもないのだが、本作のトレーラーは結局のところネタをあらかた割っているもので、未見の向きはこれを観ずに鑑賞した方が絶対いい。