ミックステープ

『ミックステープ』を観る。西暦2000年前夜のワシントン州、両親の遺したミックステープに収録された曲を探すビバリーは、中古レコード屋の店主の助けを借りてブルーハーツの『リンダ リンダ』を聴く。日本語の歌詞の内容を知りたくて台湾出身の少女と知り合い、ミックステープの曲を追うことで自身の世界も広げていく。

死んだ両親のことを話そうとしない年若い祖母に実年齢でも50歳そこそこのジュリー=ボーウェン。主人公の少女たちがハイスクール前のドラマであれば、自分が歳をとったと感じざるを得ないが、青春ものとしては定石を上手く踏んだ佳作。ブルーハーツを使っているあたりは驚きがあって、実際、曲の使い方はうまい。そして中古レコード屋の店主を演じたニック=スーンは中堅の俳優らしいけれど、痩せたジャック=ブラックといった役回りでちょっといい。

荒れ野

『荒れ野』を観る。19世紀のスペイン。人里離れた荒野の一軒家に隠れ棲むように暮らす親子三人は厳しい生活を送っていたが、ある日、父親が家を出て母子が残される。困窮を極める日々を送るうち父の馬だけが帰還して、優しかった母の様子はいよいよおかしくなる。

19世紀から20世紀初頭のスペインを扱った映画は、生きるのが辛いという状況を扱うと一流の説得力があって、観る方も辛いという印象ではあるのだけれど、絵画的に作り込まれた画面がどの場面でも中世画のように美しいので、そのあたりが救いになっている。ゴヤ的な黒が全体を支配していて、母のドレスだけがアクセントのように深い赤であるのもその印象を強くする。暗い予感しかない物語ではあるけれど、タイトルからして『Wasteland』なのである。

大雪警報が東京にも発令されたこの日、全国の新規感染者は4,000人を超え、対数軸のグラフでさえ異常な立ち上がりを見せる状況となる。今すぐ全国的な行動抑制が必要であろう。

Mr. ノーバディ

『Mr. ノーバディ』を観る。平凡な家庭人が実は恐るべき経歴の持ち主という筋書きはアクション映画のやや使い古された定番といえるくらいで、トレイラーにちょっとコミカルで美味しいシーンが使われていたこともあってあまり期待はしていなかったのだけれど、この場合、トレイラーは正しく作られており、本編はその期待値を本格的な格闘という意表をつく領域で越えてくる。脚本のデレク=コルスタッドが『ジョン・ウィック』を書いていると聞けば、まず同じネタではあるのだけれど、自家薬籠中のものであり同じように面白いのである。

質量のあるアクションとオールディーズを要所のBGMに使う演出はテンポよく、カッコいいのでシビれる。主人公を演じるボブ=オデンカークも59歳とは思えない感じに頑張っていて、92分があっという間。新年早々これはアタリだと思うのである。

沖縄で600名を超える新規感染が確認されたこの日、東京でもそれを追うような急増がみられて指数関数的な増加そのままの垂直的な立ち上がりが現出する。この状況を緊張感をもって注視しているはずの政府は、ただ注視しているとして、特に策があるわけではないみたい。各国ではオミクロン株についてのデータが出始めているけれど、感染力の由来さえ定かでないこのウイルスを為すに任せることが得策でないことだけは確かだろう。

CALLS

Apple TV+で『CALLS コール』を観る。電話での会話を通して超常的な現象が語られ、画面ではオーディオスペクトラムが刻々、変化する風変わりな体裁のドラマで以前、途中まで聴いていたのだけれど、全9回を最後まで。異なる時空につながってしまった電話の結果、宇宙の整合性を保つ巨大な力の作用で登場人物は恐ろしい目に遭う。

9話にかけてそれぞれのエピソードが繋がりながら宇宙の構造が明らかにされていくのだけれど、語りだけで進行するから保持できる説得力というものがあって、なかなかよく出来た会話劇になっている。オーディオスペクトラムの演出もどんどん複雑になって、見始めると思わず見入ってしまい、全て観終えて昨年の宿題を片付けたような気分になる。

ヒルコ / 妖怪ハンター

あけましておめでとうございます。

Netflixで元旦の配信となった『ヒルコ / 妖怪ハンター』を20年ぶりに観る。2021年に劇場公開もされたリマスター版で、フィルムからレストアされた画面のクオリティは驚くほど精細で、役者の毛穴が確認できるほどである。アナログフィルムのポテンシャルを引き出した作業の手柄であろう。劇場上映はおくとして、長らく鑑賞の唯一の手立てだったSDビデオの画質とは比べるべくもなく、再見の値打ちは非常に高くて、もはや文化的価値があるというべきだろう。

沢田研二の稗田礼二郎は、妖怪ハンターというよりはゴーストバスターズのノリで、オリジナルのイメージとは全く異なるものではあったけれど、一作限りというには惜しいほどにキャラが立っていて、ついに続編ということにはならなかったのを改めて残念に思う。二匹目のドジョウを獲るならここであったはずである。

2021年に観た映画のこと

前年の大河ドラマ『麒麟がくる』が2月まで続いたこの年、遅い開幕となった『青天を衝け』は、東京オリンピックの強行開催で放映スケジュールが中断されたにもかかわらず、年末に2回の60分拡大枠で帳尻を合わせて最終回に持ち込み、2022年にはどうあっても日常に回帰しようという気概を示した。

とはいえ、オミクロン株の出現によって年明けにはかなりのところまで押し返されるであろうというのが素直な見立てとなっており、事態はそう簡単に好転しないだろうとしか思えない年の暮れ。ワクチンによっていっときはこのパンデミックも収束かという雰囲気もあったからか、世間の半分は開き直っているような気がしなくもないのだが、それがどのような展開をもたらすか、この変異株についてわかっていることが少ないだけに、半年先さえ何人にも見通すことはできないだろう。2021年の終わりはだいたいそのような地点にある。

結局、映画館に足を運ぶことは一度もなく、引き続き配信だけで視聴生活が成り立っていたのだけれど、いつになく日本のテレビドラマを観ていた気がする。そして、Netflixに次いでApple TV+のオリジナルコンテンツもよく観た。オーソドックスな配給を支えるハリウッドのジャンル映画に充てる時間の減少が、いよいよ明らかになった年でもあったと思うのである。

逃げるは恥だが役に立つ ガンバレ人類!

年の初めは『逃げるは恥だが役に立つ』のスペシャルを正座して観て、もう思い残すことはないという感慨とともにTVerで繰り返し観て、ガンバレと言われれば人類として頑張ろうという気にさえなったものだが、年央でのガッキーの結婚発表である。星野源は呼び方としてガッキーというのはちょっと違う、自分は結衣ちゃんと呼ぶといっていたが、そこはそっとしておいてくれないか。

書けないツ!? ~脚本家 吉丸圭佑の筋書きのない生活~

そしてたまたまTVerで観た『書けないツ!? ~脚本家 吉丸圭佑の筋書きのない生活~』の初回が面白くてこれにハマり、生田斗真もいいけど、山田杏奈は素晴らしいなという流派を立ち上げ、実は長井短という個性を知ったことも収穫で、『武士スタント 逢坂くん!』でも変わらず存在感を放っているのを嬉しく思っていたのである。深夜帯のドラマは侮れない出来のものが多いと認識を新たにしたものである。

お耳に合いましたら。

深夜帯ドラマでは特にテレ東系列である。『お耳に合いましたら。』はポッドキャストという日本ではマイナーなジャンルを扱っている興味で観たのだけれど、それ以上に伊藤万理華という個性の再評価の契機となったことが大きい。松本壮史監督の仕事でもあって、これは好きで観たドラマ。

「僕の姉ちゃん」

Amazonプライム・ビデオで全10話が先行配信となった『「僕の姉ちゃん」』は、テレビ東京系列での地上波放送が2022年という話で、主従の逆転は今後も顕著になっていくのではなかろうか。そういう意味では、テレビドラマというカテゴリの消滅が始まった年として記憶することになるのかも知れない。万物は流転し、その形を変えていくが、黒木華は至高。

俺の家の話、大豆田とわ子と三人の元夫

メインストリームのテレビドラマとしては宮藤官九郎の『俺の家の話』と坂元裕二の『大豆田とわ子と三人の元夫』を挙げるべきであろう。前者は家族の介護という前景のテーマが伝統的な死生観そのものに繋がっていくあたり、特に話の落とし方の凄味に震えた。

『大豆田とわ子と三人の元夫』は『Presence』という象徴的な楽曲の使い方も秀逸で、これは繰り返し聴いたものである。エンドロールを物語に被せる重層的なイメージは奥行きを作っていたし、美術についても細部まで作り込まれた良作だったと思う。

今ここにある危機とぼくの好感度について

名のある脚本家がきちんと重要な作品をものにし、NHKのドラマ制作がそれに応えるという流れはまだ生きている。『今ここにある危機とぼくの好感度について』は渡辺あや脚本の良さがよくわかるように増幅されたようなドラマで、まず役者のいいところもぎっしり詰まっていたと思うのである。現実世界の問題を射程に入れていることが明らかなストーリーが、シニカルでありながら、抑圧された当事者の痛みまで伝える絶妙なバランスと強度を持っているあたりは名人芸と言えるのではないか。

おかえりモネ、まともじゃないのは君も一緒

そして安達奈緒子脚本、清原果耶主演の朝ドラ『おかえりモネ』をNHKプラスで夜に観るという視聴習慣を5月から10月まで続けたのである。思えばこの物語のラストで予感されたコロナ後の世界を、再び見通せなくなった時間軸に我々はいる。成田凌とのダブル主演となった『まともじゃないのは君も一緒』も観て、清原果耶の演技の振り幅に感心したものである。

この茫漠たる荒野で

2月にNetflixで観た『この茫漠たる荒野で』はトム=ハンクス主演で、南北戦争後の変わりゆく時代を背景にしたロードムービー。ポール=グリーングラスが西部劇を撮るという期待に応える出来といえ、国民国家の分断という現代的なテーマを引き込んで非常に見応えのある作品になっていた。映画としては2021年のベストといえるかもしれない。

フィンチ

そして11月にApple TV+で観た『フィンチ』もトム=ハンクスによるロードムービーで、こちらは太陽フレアにより終末を迎えた世界を舞台にしたポストアポカリプスものだったけれど、気候変動と否応なしの行動抑制という今日的な話を内包し、何しろ犬の話でもあって泣く。

パーマー、オン・ザ・ロック

Apple Originalの映画では『パーマー』が再生の物語として、『オン・ザ・ロック』がいかにもA24という雰囲気のコメディとして、それぞれよく出来ていたと思うのである。佳作というべき作品が、まず配信に現れるというのは仕方のない流れではあろうけれど、これでは単館が成り立たなくなるのも不思議はない。パンデミックと巨大資本の挟み撃ちにあっては、いったいどうすればよいのか。

ファウンデーション

そしてAppleは今さら『ファウンデーション』の映像化にさえ取り組むというのである。アシモフには考慮外であったダイバーシティへの目配りも行き届かせて、それなりにクオリティの高い映像化ではあったけれど、物語の複雑さは如何ともし難く、既にして視聴者の多くが振り落とされているのではないという懸念もなきにしもあらず、Netflixでは『カウボーイ・ビバップ』実写版のセカンドシーズン制作中止というニュースもあったけれど、Apple TV+における制作姿勢の試金石になりそうな気がしている。

インベージョン

同じApple Originalの『インベージョン』は名の知れた俳優はサム=ニールだけで、しかも撒き餌のように第1話で退場という、地球が正体不明の生命体の侵略を受けるという壮大なテーマのわり、大作ではなくキャラクター志向の渋い物語で、タルコフスキーSFの雰囲気を汲むようなところもあって気に入った。忽那汐里が頑張っているので応援しなければならないと思っているのだが、『ファウンデーション』以上に続きが心配な感じでシーズン1完結となっている。

ゴジラ シンギュラポイント

SFの収穫として筆頭に挙げなければいけないのは、何といっても『ゴジラ シンギュラポイント』で、予告編で想像していたより数段上の出来栄えであったことは間違いなく、円城塔の脚本とボンズのアニメーション演出の幸福な融合に感嘆したものである。量子的な宇宙においてAIが人間原理を超越する特異点を超えたらどうなるかというテーマは、ゴジラが添え物にしか見えないほどに壮大で、実はこのあたりのバランスが絶妙に寄与していたのではなかろうか。円城塔のSF作家的野心の勝利という気がする。

ゴジラvsコング

レジェンダリー・ピクチャーズのモンスター・ヴァースはこれを支持する立場なのだが、『ゴジラvsコング』はちょっと微妙な線に来ていて、かつての東宝ゴジラと同じ轍を踏むのではないかと危惧するに至る。ゴジラは物語に位置づけると存在自体が特異点となり、それを上回る物語の強度が必要になることを『ゴジラ S.P』は示したのだけれど、定型を旨とするジャンル映画の方法ではこれに太刀打ちできないと思うのである。

TENET

伝統的なハリウッドの大作では、本当のところ劇場に足を運びたかった『TENET』をしかし配信で何回か観て、さまざまな作家と世界観の多様性が、実に人生を豊かにしていると当たり前のことに感動したのである。この描写をCG抜きで表現したいという価値観が、いよいよ意味をもつほどにコンピューターグラフィクスの技術も進化しているがゆえに、この作家性は尊い。

シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇

『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』は劇場公開の終了と同時にAmazonプライム・ビデオで配信ということになって、配信優位どころか、その新たな経済性の文脈すらよく理解できないでいる。

作品としては、この完結編は当方には満足なもので、四半世紀ぶりくらいに『VOYAGER』を聴いたし、庵野秀明を追った『さようなら、全てのエヴァンゲリオン』も観て、結局はこの監督自身への関心が大きいのではないかとすら思ったものだが、偉大な作品とはそういうものであろう。

グリーンランド、ドント・ルックアップ

巨大隕石の落下が文明の終焉をもたらす映画が好きである。今年はやや当たり年となって、一方の『グリーンランド』は実態としてはロードムービーだったとしてもその終末の雰囲気を楽しんだ。年末に来ての『ドント・ルックアップ』はその不足を埋めるかのように地殻津波の到来まできっちり描き、今ここにある危機のイメージまでコラージュすることで、現在進行形の滅亡を想起させる秀作だった。たぶん、制作が意図するほどスラップスティックに見えてこないのは、リアル世界の状況がシャレになっていないからである。

明日への地図を探して

タイムループものというのも既に手垢のついたテーマとなってしまっている気がするけれど、どんなジャンル映画にもときおり佳作が現れるものである。『明日への地図を探して』は感じのよいロマンスで、こうした拾いものが時々あるから映画探求にも果てがない。

海街チャチャチャ

韓流ドラマは既に継続的に観るべきものとなっていて、キム=ソンホとシン=ミナの『海街チャチャチャ』はこの秋の楽しみとなっていたのである。『イカゲーム』も一応、観たけれど、このデスゲームものが各国で大ヒットというのはちょっと理解を越えた話で、正統のツンデレ展開である本作の方がわかりやすくないですか。そうですか。

その年、私たちは

そして目下、プロダクションのレベルの高さに唸りつつ、年跨ぎで『その年、私たちは』をの配信を心待ちにしている。映画へのオマージュや作中作の構造もある本作には、好きの要素がぎっしり詰まっていて尊く、2022年を代表する韓国のドラマにもなると思っている。

DEATH TO 2021

そして今年の締めくくりも『DEATH TO 2021』で分断と対立、パンデミックと気候変動の深刻さを再確認して事態は来年に続く。

返校

『返校』を観る。ヒットを記録した台湾製のホラーゲームをもとにした実写映画。1962年、戒厳令下の台湾での国家による言論への弾圧を題材にしている。当のゲームはiOS版をやったことがあるけれど、封鎖された学校という異様な舞台装置をよく再現して作り出されたダークファンタジーっぽい画面はかなりよくできている。全体に美術のレベルが高い。

息苦しい日常を導入として、始めから暗い予感しかない物語ではあるのだけれど、前半は怪異と異様な状況によって駆動される話が、嫉妬や裏切りへの疑心といった人間性の内なる恐ろしさに自然とつながっていく物語の展開は見事。顔のない怪物に呼応する憲兵はバイ教官を除いて個性が書き込まれないものとして描かれているあたりにみられる細かい演出がよく機能しており、全体のかたちのよさを作り出している。映像のイメージは芳醇だし、メッセージは明確で、ジャンルとしてはどこまでもホラーでありながら、名作というべき奥行きがあるといえるのではないか。ラストシーンでの物語の閉じ方もいい。

耳を塞ぎ、何も考えず、忘れることで生きろと国家が仕向ける状況は、例えば今の香港が顕著な表現型であるけれど、腐敗政治とジャーナリズムの堕落もまた白色テロルに至る過程にあるというのは歴史の教えるところである。本邦の現状はだいたい、その終盤に差し掛かっているのではないか。