DEATH TO 2021

Netflixで『DEATH TO 2021』を観る。去年の大晦日に2020年版を観たのが、パンデミックの始まりの年の締めくくりとなったわけだけれど、今回も同じ登場人物が相も変わらない分断と二極化、それが引き起こす絶え間ない対立と口論をほぼ事実のまま、しかし自ずから出来の悪いフィクションのように見せて乾いた笑いを誘う。結局のところ、2020年に人々が何も学ばなかったことが2021年の学びだということになっていて、大筋として合意せざるを得ない。やれやれ。

ヒュー=グラントの演じる歴史学者テニソン=フォス Officer of the British Empire はその隠しきれないレイシズムと階級意識によって英国王室さえ笑いものにしているわけだけれど、全編を通じこの世界からは中国の存在が消えており、シャレの通じない大国の影がその不在によって浮かび上がる。ブリティッシュ・ユーモアさえ扱いかねるのだから、画面の外の現実は一層、厳しい。

今年の出来事として、もちろん東京オリンピックも僅かに扱われているけれど、無観客の空疎なビジュアルでほぼスルー。これはだいたいこんなものだったかもしれない。

昨年は締め括りにコロナワクチンの登場を伝えてやや明るさもあったのだが、今年はその焼き直しとなって絶望感はいや増す。オミクロン株の登場にまで触れ、この年の瀬に編集は頑張っているにして、気候変動がじわじわと人類の生存を脅かす状況を基調として明るい展望はないというのが本年の結論でよろしいか。

静かなる海

Netflixで『静かなる海』を観る。主演級にペ=ドゥナとコン=ユを配した全8回のSFドラマ。水が希少資源となった近未来、放射能事故で閉鎖された月面基地から正体のわからないパッケージの回収ミッションを命じられた一隊が、シャトルの不時着という困難を乗り越えて基地に辿り着くが、想定していた状況とは様子が異なっている。

月面基地の謎や隊員を襲うアクシデントは、SFサスペンスに期待される水準をそこそこ満たしているとは思うけれど、韓流SFにありがちな雰囲気先行の感じは否めなくて、画面から月面の雰囲気を感じることはほぼない。言っても仕方のないことではあるけれど、考証としてはいろいろどうかと思うのである。時代の閉塞を反映してキャラクターは陰をまとい、最後までそんな感じ。やや中弛みはあるし、結末のつけ方もこれはどうなのか。年末年始に時間があれば観ればいいという感じで、積極的には勧めにくいシロモノではある。まず、『ドント・ルックアップ』を観るべきであろう。

ドント・ルックアップ

Netflixで配信の始まった『ドント・ルックアップ』を観る。ディカプリオも嫌いじゃないが、何しろジェニファー=ローレンスが好きである。すばる望遠鏡で地球に接近する彗星を発見したミシガン州立大学の大学院生とその教授が、Extinction Level Eventの予測をホワイトハウスに伝えるが無視され、テレビショーで訴えるがスルーされて、事態は政争の具とされていく。予告の段階から楽しみにして、143分をひと息に。

人類は滅びる。その具体的な警告に耳を貸さず、積極的に否認して陰謀論を唱えるのは何も本作に登場する女性版トランプといった設定の大統領ばかりではなく、地球を滅亡に導く彗星は無論のこと地球温暖化の現象そのものでもあるから、おもしろうてやがて悲しき話ではあるのだ。ここに描かれている人々が愚かであるのならば、それは我々の写しなのである。ほぼこの世界で起こっていることと同じである以上は、笑うに笑えないこの世の終わりではあるものの、大作というレベルの作り込みがされているので見応えがある。

誰にも言えない秘密

引き続き『その年、私たちは』を観ている。今週、第5話はウンの幼馴染ジウンのモノローグ回で、回想によって感情をドライブしていくこの物語のよさが全編に詰まっている。事件も騒動もないのに話の密度が濃くてじっと見入ってしまうのがこのドラマで、相変わらず振り幅の大きい時間軸を行きつ戻りつしながら、その経過をきっちり感じさせる演出と役者の仕事のレベルが高い。そして『街の上で』ではどうでもいいとまで言われた時間の概念が、ここでは中心的な主題となっていることについて考えている。

この日、ヒト脳オルガノイドに電極を繋げて壁あてのテニスゲームを学習させたという記事を読む。感覚野と運動野が連携して学習を行い、AIに比べてもその学習の速さが特徴ということなのだが、そのコンセプト自体に己が内面を震撼させる何かがある。これが禁忌というものではなかろうか。そして、人間の脳を模すことによってそれが可能であるならば、AIというものもますますヒト脳に近づいていくことになるだろう。

街の上で

『街の上で』を観る。下北沢の古着屋で店番をする荒川が、朝ドラのように限られた舞台を行きつ戻りつ暮す日常の中に、人間の関係性が妙に克明に浮かび上がってくる。登場人物のひとりが「いちばんどうでもいい、時間の概念」という通り、因果ではなく縁にこそ物語があって、それがもう妙に面白い。もちろん物語としての時間軸は存在するのだが、何週間か冷蔵庫にあったチョコレートケーキも、それを食べてしまったとしたら、誰かと食べたという関係性しか残らないというのがこの物語のルールであろう。同じようにして案外、論理的に話が編まれている。

さまざまな創作が連鎖して網目となり、地層のように積み重なってきた下北沢の街で、人の営みが同じように豊穣な網目を作り出す様子を描き、文化の構造そのものを指し示そうというのも目論見のひとつであろう。それは首尾よく成功して、繋がったノードも繋がらなかったノードも、全体としてはささやかなのに、それぞれが形良くいちいち腑に落ちるエピソードになっている。

主人公の荒川青を演じる若葉竜也の佇まいは秀逸で、先行きを読むことができないこの物語で、事件性を予感せずに観ることができることの功績はこの人にあると思う。

スワン・ソング

Apple TV+でApple Originalsの『スワン・ソング』を観る。Mahershalalhashbaz Ali改めマハーシャラ=アリが主演の近未来SF。タイトルの通り、美しく終わりを予感させる静かなリズムで物語はすすむ。美術もそれに応じて洗練されたもので、高度に設計された画面レイアウトと相俟って美学を感じさせる。正味な話、画面がいちいち美しいので、それだけでも観る価値があるが、全体の物悲しさとラストシーンがいい。

一線を画しているのはテクノロジーデザインで、身の回りの電子機器のデザインはフラットなミニマルデザインの極北とも見える完成度の高いもので、レイトレーシングをGUIに応用し巨大なGPUパワーを活用していく方向といいうのは結局、こういうことになるのではないかとさえ思わせる。『マイノリティ・リポート』がコンピューティングの未来像として参照されていたこともあったけれど、これは新たなリファレンスになるのではなかろうか。

僕が君を嫌いな10の理由

『その年、私たちは』のエピソード3を観る。第1話から第2話だけでも傑作だと思っていたけれど、第3話もまた素晴らしい出来で、この脚本と演出のクオリティで全16話を完走するとしたら大変なことだと思うのである。恋愛映画の濃いところをうまくコラージュしたところがあって、参照している映画の雰囲気も感じるけれど、役者の仕事とキャラクターの魅力はそれを立体にして目が離せない。ポテチとポッキーの組み合わせと同じく、しょっぱいと甘いの繰り返しで無限に食べられる美味の道理により画面はダレず、話に飽きない。重要な要素である時間の扱い方とその表現は絶妙で、全16話を完走したら大変なことだと思いつつ、しかしこの制作であればシリーズ構成も周到に考えられているに違いないので、全体として大変な傑作になるであろう。この年の瀬にしかも年跨ぎで、高評価となる作品が出たものである。最高だ。

先週末、竜巻の群れがアメリカ中西部で発生して甚大な被害を与えたけれど、これまで何度も触れてきた『デイ・アフター・トゥモロー』で描かれたような気候変動のひとつの表出だと思っている。新たな変異株の出現でパンデミックの先行きは見通せず、インドネシアでは火山活動に加えてM7クラスの地震が起きて、本邦の地震活動の活発化も傾向的に継続している。ロシアのウクライナ侵攻準備とそれを牽制する動きで国際政治の緊張も高まっていて、この年末、どちらかといえば世界は世紀末の様相を呈してきた。