インベージョン #9

『インベージョン』の第9話を観る。シーズン1もあと1話となり、これまで引っ張ってきたあれこれの関係性がついにかたちを変え、サバイバルも本格化する。謎を撒き散らしながら最終話に雪崩込むラストは、これまでのハードSF路線を飛び越えていくイメージで、想像力を掻き立てる。ここに来て世界観を変えるデヴィット=ボウイと『Space Oddity』の使い方は好き。

そして天から降ってくる火の玉とパラボラアンテナのビジュアルは素晴らしく、ジェイムス=ブレイクの『Retrograde』のMVを思い出したものである。次回、刮目して待て。

この日、深夜に山梨県で震度4、引き続いて朝方に震度5弱、ほどなく和歌山県北部でも震度5弱と各地で地震が続く。人間の物語であれば次の展開を待ち構えるところだが、無論のこと、そうした尺度とは一切関わりなく大地は蠢くだろう。気象庁は富士山の噴火や南海トラフとの直接の関係はないというコメントを出しているけれど、もちろん本来その見通しは人知を超えた領域に属する事柄であるはずである。

仮面病棟

『仮面病棟』を観る。坂口健太郎は嫌いじゃないのだけれど、出演作を選ばないというイメージがあって、アタリハズレが結構あると考えている。本作はいいとこなしというべき内容で、おそらく原作となっている小説からして、どうでもいいようなストーリーをグダグダに展開しているのだろうけれど、雰囲気だけで支離滅裂な話でも、それなりに演じようとしているのは偉い。しかし、逃げ出そうというシーンで「逃げろー」などという脚本でいったいどうしろというのか。永野芽郁が怪我をして苦しんでいる場面が仮病にしか見えないのも、半分程度は演出の出来に由来すると思うのである。全体として、ある種のキワモノ感があるのが面白味といえなくもないが、感心するようなものではない。

オミクロン株への対応ではこの日、日本到着便を規制しようとする動きが取り下げられる。日本国民が帰国しようとすることも難しくなるという判断もわからないではないとして今回、世界の動きに呼応して早々にいわゆる水際対策を強化しようとしているのをみると、早期の対応の必要が明らかであったデルタ株への対応が後手後手でしかなかったのは、やはり東京オリンピック開催への忖度があったということだと思うのである。そのために一体、何人が犠牲となったのか。

ゾンビが来たから人生見つめ直した件

『ゾンビが来たから人生見つめ直した件』を観る。NHKのよるドラ枠でやっていたときに少しだけ観たことがあるのだけれど、今にして振り返ると石橋菜津美や土村芳が彼女たちの最も濃い部分で演じていて、ちょっと素晴らしい。セリフ回しの秀逸な会話劇だし、狂言回しとなるYouTuber”尾崎乏しい”が物語をドライブしつつ、キャラクターが端から立っていて、いや面白い。

ヨハネスブルクのあるハウテン州でのオミクロン株による感染拡大が、過去の変異株と比べてどういう傾向を持っているのかを検討しているグラフを見る。オミクロン株については、まだ2週間程度をプロットしているに過ぎないけれど、感染の立ち上がりは数値の異常を疑うほどに急峻で、一方、入院者数はデルタ株とほぼ同じラインを辿っている。ウイルスの毒性が同じだとすれば、入院者数の増加はもう少し早く積み上がってもおかしくないが、少なくともこの変異株が医療機関に与える圧迫は、以前のものと同程度であるということになる。

ワクチンの効果がそれほど期待できない状況で、季節的には増加傾向となることがわかっている冬にデルタ株が流行する事態を想像すると、それがいわゆる第6波のイメージということになるのかも知れない。

騙し絵の牙

『騙し絵の牙』を観る。『罪の声』の塩田武士が、はじめから大泉洋を主役とするイメージで書き上げた小説を原作とした映画。その原作小説は未読。映画としての主人公は松岡茉優が演じていて、大泉洋は真意をみせずに状況を操る編集長の役回りを振られており、ストーリーは字義通りのコンゲームではないのだけれど、妙にそれっぽい雰囲気を醸している。その実、主に会社の派閥争いの話なのである。

出版業界の苦境を題材にして、その旧弊もあわせて描かれるわけだけれど、大作家を演じる國村隼が筒井康隆に似すぎていて笑う。全体に話の筋というよりは、登場人物のそれっぽいキャラクターを楽しむ物語という感じ。松岡茉優はもちろんいいので、そういえばもっと活躍の幅を見ることができていもいいはずだという気分になる。主演映画がもっとあってもいいのではないだろうか。

グリーンランド

『グリーンランド』を観る。クラークと呼ばれる巨大彗星の通過を人々が見物気分で眺めていると、フロリダに落下した一部がタンパを壊滅させる。選ばれし民間人にはシェルターを目指した脱出が指示される展開で、どうやら当局はこの事態を予期していた様子があるけれど委細はわからない。『ディープ・インパクト』なら政府側の隠密計画からExtinction Level Eventの可能性が露見するところを、主人公は夫婦の間に入った亀裂を修復できずにいる民間の建築技師なので、よくわからないまま指示に従って空軍基地を目指し、さまざまな困難に遭遇する。

ジェラルド=バトラーを主人公に配しながらアクション映画というわけではなく、生き残りのためにシェルターのあるグリーンランドを目指すオーソドックスなロードムービーというのがこの映画の正体なのである。『ディープ・インパクト』が『アルマゲドン』に比べると人間ドラマ寄りのパニック大作と評された日々は遠く、同じ事象を扱いながらもはやパニック大作という感じでもなくて、よくわからない事態の進行に戸惑うばかりという気分を扱っているのがパンデミック下のリアリティというものかも知れない。

恐竜を絶滅させた隕石の衝突よりも大きなイベントだというから、地殻津波によって結局は生き残るものはなしという結末を予想していたのだけれど、そこはそれ、ジェラルド=バトラーの映画である。監督は『エンド・オブ・ステイツ』でも組んでいるリック=ローマン・ウォーで、エンターテイメントの定石を踏んだ脚本ではあって、あからさまな伏線は必ず回収されると期待していい。

インベージョン #8

『インベージョン』の第8話を観る。ロンドンの壊滅状況が描写されるこの回は、しかし話としてちょっと停滞してエイリアンが捉えたと考えられるホシ12との交信の試みが続く。相変わらず不思議な雰囲気の日本パートになっていて事実上、米軍の占領下にある様子で、忽那汐里の日本語もやや怪しいトーンになっている。だが、そこがいい。

アフガニスタンから飛来したトレヴァンテはミッキーとジャミラと邂逅することになる。イギリスに渡っても傲慢なアメリカ人そのものというこのキャラクターは謎の導きによって、ようやくストーリーに貢献しそうな雰囲気だけれど、おそらくシーズン1もあと2話ほどしか残っていないと思うのである。

サイダーのように言葉が湧き上がる

『サイダーのように言葉が湧き上がる』を観る。郊外のショッピングモールを舞台にしたオーソドックスな青春映画だけれど、今風のスマートなキャラクターデザインと、わたせせいぞうか鈴木英人かという背景画が相俟って醸す世界観が、アニメーションの表現にはまだまだ新しい境地があるのだと思わせる。レイアウトも練られた画面は非常に完成度が高く、思春期のコンプレックスやコミュニケーションの難度を、SNSや俳句を使って表現していく脚本もうまい。自由律のリズムがセリフをドライブしてダイアログをつくっていく心地よさがあるのだけれど、これがラップにによって実現されていたとすれば、物語の印象はまるで違ったものになったはずである。俳句という題材の勝利であろう。

主人公の行き場のない言葉が街なかの落書きとして表現されている演出も秀逸ではあるのだけれど、これが心象風景ではなく、タギング行為の結果として設定されているアナーキーぶりはちょっと笑う。エンドロールに落書きは犯罪だから真似しないようにというようなキャプションが出るのだけれど、これが実写であれば、とんだ世紀末風景と映ったはずである。その点でもアニメーションという手法が正しく選択されている。佳作といえるのではなかろうか。

この日、東京都が情報公開で非開示となる内容を、これまでの黒塗りではなく、白塗りの枠付きとするように情報公開要綱を改定していたというニュースを知る。一見すると試験問題のような体裁の検閲済み書類は、しかし非開示部分が多すぎて論文用紙のようにもみえる始末。姑息といえば恥じ入るほどに姑息で、自分の子供には話せない仕事をしている都職員も気の毒だが、これを為す官僚とそのシステムが状況におかれれば、非人間的な振る舞いを平気で行うであろうことは想像に難くない。戦前というのはちょうどこんな風から始まったのではあるまいか。