シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇

『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』を観る。もちろん、2回観る必要がある。タイトル記号からしてループ説を肯定し、最後は監督自身の物語に回収していったとしても、四半世紀越し、きちんと完結する物語があるのだということを示してみせたことだけで偉業というほかない。直接には語られなかったあれこれの奥行きに、そして程よくアクの抜けた林原めぐみのボーカルによる『VOYAGER』が流れるクライマックスに、万感胸に迫る。

朝から雨。引き続き感染は拡大し悲惨な状況だというのに、九州地方から本州にかけて広範なエリアで大雨が続き、この地でも山間部では避難指示が出る。既に氾濫に近い状態となっている河川もあるのだが、この雨は長く続くというから全く難儀なことである。こうした天候では気象庁のナウキャストを眺めるのが好きなのだが、アクセスが集中してサーバーレスポンスが落ちているようなので利用を控える。

あらかた移動の終わった8月13日になって都知事が帰省を諦めろと言っているピントの外し方は批判されて当然というところだが、首相はコロナ対策の評価を問われ、自己評価は僭越だと言ったそうである。まず、日本語として何を言っているのかわからないが、よく出来ているとでも考えているとすれば自己認識の歪みは狂人のそれであろう。同時に、ロックダウンの効果を否定しつつワクチンだと言っているから、少なくともスイスチーズ戦略の概念も理解していない司令塔を抱えてこの先を生き延びねばならないということになる。負けに不思議の負けなしとはよく言ったものである。

デッド・ドント・ダイ

『デッド・ドント・ダイ』を観る。ジム=ジャームッシュが撮った正調のゾンビコメディで、仕立てはB級映画なのにビル=マーレイとアダム=ドライバーを配しているあたり、この監督が目前にいたら「お前、そういうとこだぞ」と言いたい。

夜間に墓場から蘇ってのっそりと動くロメロのゾンビであるのはいいし、きちんと設計された画面であるのも確かなのだけれど、ティルダ=スウィントンに『キル・ビル』をやらせ、ことさらタランティーノしてみせるこの男の動機はいったい何なのだ。メタなスクリプトを押し込んで、わざわざ俗物臭を出しているあたりも好きになれない。しかし、COVID-19の影響で公開が延期された作品のタイミングをみると期せずしてコロナ前世代ゾンビ映画の掉尾を飾ることになったようである。これ以降のゾンビ映画はパンデミックを経験したものとなり、当面は自分語りの道具になるようなこともあるまい。

この日、全国の新規感染確認は初めて2万人を超える。長野県も100人を上回り過去最多となり、なかでも県外からの来訪者が2割を占める。首都圏が医療崩壊の状態では、もちろん染み出すようにして周辺の医療体制も逼迫していくことになる。今ここで厳格な行動抑制に打って出ることが必要だが、盆休みによる移動が既に始まっているうえ、本邦の首相の空疎な会見をみるといかなる希望も持たないほうがいいようだ。指数関数的な増加が何もかもを圧倒する爆発的状況を経験しない限り日本人の自粛本能が再び起動することもないだろうが、その状況は検査抑制と自宅放置によって何重にも不可視化されているのである。

ゾンビランド ダブルタップ

『ゾンビランド ダブルタップ』を観る。『ゾンビランド』の10年ぶりの続編で、監督も同じルーベン=フライシャーなのだけれど、他の数多の二作目と同様、世界観の提示が新鮮だった初代に比べて印象としてはだいぶ平凡。当時、ゾンビ映画のルールをメタに楽しむ趣向が楽しかったけれど、ジャンル映画がジャンルそのものに言及するようになった時、その分野は衰退に向かっているという言説の妥当性を、10年後の本作をもって証明しているようにもみえる。特にパンデミックを経験した世界では、このジャンルの荒廃は一気にすすんでいて、ポストパンデミックの景色を更新するとびきりの一作が待望されているのではなかろうか。

東京都のモニタリング会議が状況を猛威災害レベルで制御不能としたうえ、市民と危機感が共有できていないと言い始める。そもそも本邦の首相は人流が減っているという認識だったし、ワクチンもすすんでいるから大丈夫だいう論を張っているのである。都知事もオリンピックがステイホームを促しているとさえ言っていたのだから、そもそも危機感がないのは当局ということになる。そのうえ、自分の身は自分で守る意識が必要とまで言うようでは、政治は機能していないとなっても仕方ないのではないか。次第に地方での感染確認が増加して、各地で過去最多を更新する事態にもなっていてるけれど、見通しは暗いと言わざるを得ない。そもそも猛威災害の状況にあって、パラリンピックをどのように開催しようというのか。

Mr. コーマン

Apple TV+で配信の始まった『Mr. コーマン』を観る。これもA24制作のドラマ。ジョセフ=ゴードン・レヴィットが制作総指揮・監督・主演で、音楽に夢を残しつつ中年の危機にある小学校の教師を演じている。『(500)日のサマー』からさほど時間が経った気もしないのだけれど、あの繊細さは剣呑な感じに転じて人生も厳しいものだという感慨ばかり。確かにA24は、笑いどころもないこのような映画を観る層を掘り起こすのが得意そうではある。

広島原爆の日のこの日、状況は反転の兆しなく、本邦の首相は追悼式典での失態は原稿を糊付けした事務方のせいであると述べて顰蹙を買う。いや、正気か。

いちごの唄

『いちごの唄』を観る。岡田惠和が銀杏BOYZの楽曲にインスパイアされて書いた連作短編小説の映画化。峯田和伸がイラストを描いて共著となっているこの原作の映像化に投入された女優陣の分厚さにまず驚く。2019年の映画だが、石橋静河、清原果耶、岸井ゆきの、蒔田彩珠、恒松祐里を今キャスティングするとなったら、盛り過ぎといわれるのではなかろうか。

七夕の日に年に一度だけ会うことになった二人の物語のなかで、舞台となる環七通りは天の川に擬えて撮られているのだが、銀杏BOYZの歌と同じくその美には実存と手触りがある。主人公を演じる古舘佑太郎のキャラクターは峯田和伸に当て書きしたようにちょっと極端なのだけれど、この世界観において悪くない。

この日、日曜日の各地の新たな感染確認数は、これまで曜日によって生じていたアノマリーを無視して振る舞い始める。これがヤバいと感じられないとすれば、そもそも危機管理のアンテナが立っていないか、アタマのネジが飛んでいるのであろう。

百貨店の食品売り場を中心としたクラスターではこれまでと全く異なるレベルで感染の広がりが確認され、デルタ株の異質な感染力を可視化する。そもそも水疱瘡と同じ程度の基本再生産数であるとするならば、誰もが子供のうちに一度はかかるくらいの威力があるということだ。店舗に自主休業を求めるタイミングがあるとすれば今だが、そうした動きにならないのもオリンピックの弊害であるには違いない。知事会は県境を跨いだ移動、帰省の自粛を求める国民向けのメッセージを検討しているそうだが、したがって通勤を行うなという強さになければ、この感染爆発が収束する見通しは立たないだろう。

まともじゃないのは君も一緒

『まともじゃないのは君も一緒』を観る。『おかえりモネ』も毎日、楽しみにしているので、もう清原果耶のファンといってもいいのではないかと思う。成田凌とのダブル主演で旬の映画という感じだけれど、ストーリー自体はシンプルで演出もどちらかといえばストイックなので、ことの成否は役者の仕事にかかってくる。そしてもちろん、いい仕事をしているのである。特に清原果耶が。主人公の秋本香住が恋に落ちる瞬間はちょっとした見どころで、その後の展開を茶番にしていないのは演技の説得力ゆえであろう。成田凌もいい役回り。

この日、東京の感染確認は4,000人を超える。無論のこと東京にとどまらず各地で過去最多を記録する流れだが、非常事態宣言はただ状況が非常事態であることを言立てるためだけにあって、その収拾に役立っていないのは今や明らかとなっている。アナウンスメント効果を考えれば、オリンピック中止というのが最善手ということでよろしいか。

オン・ザ・ロック

『オン・ザ・ロック』を観る。ソフィア=コッポラの監督・脚本で、AppleとA24の共同制作というだけで本作の雰囲気は伝わるというものだが、実際にだいたいそんな感じである。ビル=マーレイが娘の抱える夫の不倫疑惑に首を突っ込んでくる老父の役。ニューヨークを舞台に、どこか『ロスト・イン・トランスレーション』を想起せざるを得ないこの物語を、かつてよりも楽しそうに演じている。ほとんど会話劇で、それは自家薬籠中のものである。基本的にはコメディなので、読後感も悪くない。

Apple TV+では『テッド・ラッソ』の第2シーズンも始まっていて、その稼働率も上がっているのだけれど、相変わらずmacOSのクライアントは全然駄目で、40分おきに異常終了している。iPadOSでは悪くないだけに、Montereyで改善しているといいのだけれど。

東京の感染確認は日曜日で過去最多となり1,763人を数える。見かけの陽性率はちょっと異様なくらいに上昇し、一都三県の病床もほぼ満杯という状況で、この国の報道はオリンピックが先に来るのである。さすがにどうかしている。