ミス・アメリカーナ

Netflixで『ミス・アメリカーナ』を観る。混乱を極めていた2018年のアメリカの政治状況において、もう黙っていられないとばかり明確な政治的立場の表明を行ったテイラー=スウィフトのこれまでに密着したドキュメンタリー。思えば中間選挙の結果は厳しいもので、そこから延長線上の世界というのもあり得たのである。彼女に勇気づけられた人も多かったに違いない。アメリカを象徴する成功者の、大衆に取り囲まれた人生の険しさはかつてどこかで見たことがあるものだけれど、カニエ=ウェストが呼ばれもしないのに割り込んでくるヴィランの役回りで異彩を放っている。下衆なのである。

全体としては新規の感染確認が減少する月曜日、神奈川県は前週に比べて増えていて、緊急事態宣言下の人流の増加が早くも再拡大をもたらしたと見えなくもない。変異株のなかでもひときわ感染力の高いデルタ株の症例が見つかっていることも心配材料で、ここで第5波となれば、もちろん東京も後を追うことになる。

そうした状況にもかかわらず、政権とそれを取り巻く政商竹中の強行姿勢は相変わらずで、開催に慎重な専門家の意見に食ってかかる傍若無人で恥を知らないところを曝け出している。この日、JOCの経理部長というひとの自死が伝えられて、またしても汚い利権の横車によって追い込まれた人間が犠牲になったということではないのか。

ブラックホール

Netflixで『ブラックホール 知識の境界線に挑む』を観る。地球上の8箇所の天文台を連携させた Event Horizon Telescope によるブラックホールの撮影と画像化に取り組むEHTチームと、ホーキング放射がもたらす情報パラドックスの研究のさなか、スティーヴン=ホーキングその人の訃報を知る理論物理学者のグループを追ったドキュメンタリー。どうしてか今やその存在を疑う人もいないだろうほどにメジャーとなったブラックホールだけれど、アインシュタインの理論が示した存在を実際に確かめたといえる初めての成果で、100年がかりの実証だとすれば当事者の興奮もよくわかる。重力波の観測とあわせ、一般相対性理論の確かさを証明する証拠は積み上がっているけれど、これまでの苦闘そのものが宇宙の深淵の深さを想像させるのである。

事故物件

『事故物件 恐い間取り』を観る。亀梨和也主演、中田秀夫監督で、コロナ禍の2020年にあってもそこそこのヒットとなったホラー。10年続けたコンビを解散し途方に暮れる山野ヤマメは、事故物件に住む芸人として業界での生き残りをはかる。今だと『コントが始まる』と重なる文脈があって、春斗がマクベス解散後、やむに止まれず事故物件に住む未来だと思えば暗然とするわけである。いやぁ。

この映画の原作は、実在する事故物件芸人の本だそうである。お笑いにそうしたジャンルが存在すること知らなかったのだけれど、映画は状況設定だけ拝借しているとみえて、かなり極端な怪異が登場する。まさか、現実にインスピレーションを受けたというわけではなかろうが、ラスボスの形態があのようになったのはどうしてなのかは少し興味がある。そして江口のりこは中田監督の世界観を全うする立派な仕事をしている。

りふじんながくふ

『ゴジラ S.P』の第11話を観る。1話23分の尺に結晶のように緻密で濃密な物語が構成されているのは毎度のこととして、フラッシュバックによる語り直しや結末に向けて旋回が始まった雰囲気もあって、話はますます分厚い。ジェットジャガーのデザインを見た時にはここまで重要な役割が振られているとは全く思わなかったけれど、再起動を繰り返して辿り着いた地平から振り返れば、この線もまた綺麗な軌跡を描いている。素晴らしい。

非常事態宣言下にしては減り方のペースが遅いようにもみえるCOVID-19の新規感染状況だが、インド株あらためデルタ株は市中において感染の増加が確認されており、しかしこれに取り立てて対応しようという動きはなくて、実態としては成り行き任せが続いている。驚くべきことに、オリンピックはなりふり構わず実施という構えを崩していないのだが、衝突コースにあるという認識がないこと自体にまず驚く。

りきがくのげんり

『ゴジラ S.P』の第10話を観る。物語はいよいよ佳境。時空や宇宙そのものがテーマとなり、平行宇宙を示唆しているこの物語があらゆる怪獣もののコラージュでもあるのは胸熱。そして情報が時間軸で組み替えられて情報となる曲芸を、アニメで実現しようとは。すげえよ。

オリンピックはIOCの面々が登場して、歴史に残るセリフが次々、報道されている。「総理大臣が拒否しても五輪は行われる」「アルマゲドンが起きない限り五輪は止まらない」は「誰もが犠牲を払わなければならない」と同様に悪の結社の体質を露わにして、まるで進駐軍かのような尊大さを示している。自称保守や国家権力がこれに激怒しないのは、共謀共同正犯を自認しているからに相違ない。オリンピックは全体として歴史的使命を終えたということでいいのではないか。

ムーブ・トゥ・ヘブン

Netflixで『ムーブ・トゥ・ヘブン』を観る。このところ韓国ドラマから遠ざかっていたのだけれど、遺品整理士という職業を題材にして、残された故人の遺志を汲んで想いを届けるという物語にすっかりハマる。役者も立派なのだが、脚本がまず巧緻で人情噺としてよくできている。共感ではなく、洞察で物語を駆動していくための仕掛けにアスペルガー症候群を使うことの是非は論じられてもいいとは思うけれど、この上なくうまく機能しているのも確かなのである。Netflixオリジナルということもあってか、1話50分くらいで、ほどほどというのもいい。

アーミー・オブ・ザ・デッド

Netflixで『アーミー・オブ・ザ・デッド』を観る。ゾンビ映画を148分もの尺で作ってしまうとは、さすがザック=スナイダー。エリア51から搬出された怪物がラスベガスをゾンビの街に変え、いろいろあってエリアごと隔離されるまでがオープニングタイトルの中で語られる。本編はつわもの達が集って、この街への潜入脱出作戦を決行するというストーリーで、派手だけどもちろん長いし、こいつはどういう死に方をするのかという興味だけで観る映画と言えなくもない。『エイリアン2』へのオマージュがいろいろ入っているのは、どういうことなんだろう。

IOCは感染の状態がどうであれ、オリンピックの開催を強行する構えを改めて示している。緊急事態宣言下の開催といえば、そもそも招致からしてそうであり、この国は10年来、原子力緊急事態宣言の下にあるのだ。COVID-19は政府と五輪の醜悪な側面を可視化しているに過ぎず、その性根はあまりにも腐っているので自ら腐臭を放たずにはおかない。徹底検査で安全なオリンピックが保障されるのであれば、無論のこと国民の生活もそうなのだ。