AWAKE

『AWAKE』を観る。吉沢亮が陰キャそのものの大学生というところに、この映画の最大のチャレンジがあるのではなかろうか。言ってしまえば地味な題材だし、脚本は将棋そのものの勝ち負けにすらさほど関心がないような塩梅で、しかしヒーローでない吉沢亮もなかなかよくて、きちんと役者の仕事をしている。舞台は2010年代半ばなのだが、そういえば電王戦はその歴史的使命を終えたとして既になく、AI開発は完全情報ゲームに既に興味を失っているようにも見え、時の流れの速さに遠い目となる。

3回目の非常事態宣言初日、長野・北海道の補選は早くに当確が打たれ、いずれも野党が制す順当な流れといえようが、もちろんこの状況での当然の勝ちに浮かれているわけにはいかない。

ホムンクルス

『ホムンクルス』を観る。原作の漫画は未読。未読なので、ちょっと夢野久作のような話なのかと思っていたら、だいぶ違う。あまり細かいことを気にせずに雰囲気を楽しむべきものとは思いながら、始めと終わりの世界観が変わってしまったような居心地の悪さがあって、これは脚本の問題なのだろうかと思ってみたり。

大阪では非常事態宣言にあたってUSJに無観客で興行しろという行政からの要請があったそうだけれど、飲食店には酒の提供をやめるように言い、つまり「自主的な」休業に追い込んで休業補償を回避しようという遣り口で、徹頭徹尾、市民に関心なく、癒着と中抜きの構造にしか金を落とさない愚劣な政治の姿を見る。そうした酷薄な傾向は何も維新に限ったことではなく、同時多発で補償を後景化しようという流れだからこのシナリオを書いている人間が中央にいる。そ奴は新自由主義の思想をもって財政緊縮論を唱えているに違いない。

君は月夜に光り輝く

『君は月夜に光り輝く』を観る。Rebuildのhigeponさん回で最近、観た難病ものだけれど、ちょっとした捻りもあってなかなかいい、素直に高評価のものを観ておけば間違いないという話をしていたのだけれど、この映画自体はそれなりにストレートな難病もので、しかし発光病という架空の病を設定したことで、病気とそれに関わる人たちの経験を反復構造として物語に取り入れているあたりが目新しい。北村匠海の陰気すぎる雰囲気と、だいたい君、『君の膵臓をたべたい』でも同じ役回りだったじゃないかというあたりは、もうどうしようかと思ったのだけれど、永野芽郁の個人的ベストアクトだけでもお釣りが来るというものである。

邦画における難病ものも一時期の隆盛を誇った感があるけれど、2019年のこの作品が掉尾かも知れず、今となっては時節がこれを許さないであろう。優香と長谷川京子が出ているというのがかえって新鮮だったのだけれど、物語のラスト近くで長谷川京子が運転する車はシティ・カプリオレのように見え、あれは実際、稼働できる車両なのであろうか。

CURED

『CURED キュアード』を観る。ウイルスによる感染症が広がり、感染者がゾンビのように振る舞う事態から、治療法の発見により立ち直りつつあるアイルランドで、元感染者の社会復帰のプログラムが開始されるが、非常事態がもたらした社会の断絶のなかで、元感染者自身が当時の記憶によって苦しみ、一部は過激派となって社会に再び騒擾をもたらそうとする。

時節柄、社会の不寛容と感染者に対する差別の構造からはコンテンポラリな課題意識が惹起されるし、アイルランドだけに過激傾向をもつ地下抵抗組織が形成されていく文脈にも自然と現実が投射されてリアリティを感じざるを得ない。これは2017年の映画なのだけれど、ワクチンパスポートの是非が議論される世界ではそもそも公開が危ぶまれるところで、非常に普遍的なテーマを扱っているのである。改名前のエリオット=ペイジが主演している。

ワンダバ

『ゴジラ シンギュラポイント』の第3話を観る。このクールの筆頭を挙げるとすれば、このアニメになると思うのである。引き続き素晴らしい。BGMのモチーフに「ワンダバ」が使われている通り、あらゆる特撮と怪獣ものの美味しい要素が詰め込まれている。フチコマまで登場するのだから、もちろんアニメも。滾る。円城塔の恐るべき碩学と周到なプロットを堪能しているうち、いよいよゴジラの影が現れ、来週が待ちきれない。

TENET

『TENET』を観る。観よう観ようと思いつつ、随分と先送りしてきたものだが、腰を据えれば150分の長尺も期待通りの内容で、クリストファー=ノーラン監督らしい映画的な悦びが詰まっている。周到に練られたプロットも「エントロピーの減少」を正当化するほどのロジックはないので、どこかトニー=スコットの『デジャヴ』みたいな強引さはあるとして、「考えるな、感じろ」とブルース=リーを引いてくるのが企みの深さでもあって、もちろん映画ならばこれは有りなのである。ロバート=パティンソンがすっかりいい男になっていたのもうれしい。

そして実写原理主義のクリストファー=ノーランであれば『ダークナイト』ばりの冒頭の爆発も本物なら、ボーイング747の機体も実物ということになるので、それぞれのシーンでのスタッフの苦労はいかばかりかと思われて、背筋を伸ばして鑑賞しようとも思うわけである。このリアリティこそ、映画を映画たらしめているものであり、ニールの最後のセリフも実に味わい深い。What’s happened, happened.とは映画の構造でもあるからだ。

まなつおにまつり

『ゴジラ シンギュラポイント』の第2話を観る。初回にはなかったオープニングタイトルがまずカッコいい。しかも主題歌はBiSHである。本編も予兆としての怪獣現象をその後の報道の演出まで含めてお約束通りに描いて、あがる。「遠からん者は音にも聞け」と文字通りの名乗りをする脚本も好きである。あらゆる怪獣要素が詰まっており、押井守と伊藤和典の趣味的な影響がうかがわれる世界観が素晴らしい。2回観た。

兵庫県の新規感染確認は8割がイギリス変異株という調査があって、最近の急増はそれをよく説明しているのだけれど、「春休みの影響もあり、若者がコンパ」などと言っている分科会会長がいて驚く。この話法で魔女狩りを続ける限り、話は循環して建設的な取り組みには決して到達しないであろう。社会を分断によって操作しようという発想をこそ反社会的というのではないか。