サイトレス

Netflixで『サイトレス』を観る。事件に遭って視力を失ったバイオリニストが知らぬ場所で回復期のケアを受けるうち自分の置かれた奇妙な状況に気づく。設定に工夫はあるとして、隣人系のサスペンスとしては想定をあまり出ない感じではあって全体としては微妙な感じ。盲目の主人公の心象が滲み出るシーンとか、少し面白いイメージもあるはある。

国会が始まり、まず現下の状況に対する気の利いた認識は聞けまいと思ってはいたものの、さすがに感染爆発に対する対応の遅れは全くないという首相の答弁には驚く。最高意思決定の段階において現実なるものはしばしば存在しない、戦争に負けているときは特にそうだという後藤隊長のセリフがそのままの世界が到来しようとは。そして、コロナに勝った証のオリンピックとかいう妄言が、負けを認めるわけにはいかないという因果の転倒によって、かえってオリンピックの強行につながる目すら出てきた。この者どもの不作為は故意によるものなのではないかという疑いさえ拭えないでいる。

Run on

引き続きNetflixで『それでも僕らは走り続ける』を観ている。まぁ、あれだ、韓国ドラマ鑑賞で培った熟練の文脈理解力がなくてもだいたい予想通りという話の運びで、最初からネタを割ったわかりやすいロマンスなのだけれど、イム=シワンの涼しい顔を拝むための70分というか。

COVID-19対応の現場はおそらくひどいことになっていて、大阪では死亡率が大幅に高い状況が続いているうえ、知事が無症状陽性者は感染者ではないみたいなことを口走っている。その論理では死亡率の水準は跳ね上がるが、どうやら公表される感染確認数の多さを自分の通知表と理解しているだけの小者だ。演繹的なロジックすら組み立てられないのでは、仮説をもとに帰納的に現実に対応することなどできるはずもないのである。指揮官の無能によって被害は拡大するだろう。

シライサン

一転して緊急事態宣言の検討をするという表明があったが、しかし学校は休校にならないことが早々に報じられて、圧迫される国民生活の保障についての言及もないので、またしてもほとんど自粛ベースの施策になるのではないかという疑いがある。英国では若年層の入院の急増が報じられたばかりだが、変異株を想定した対策でなければ状況は好転しないのではないか。

『シライサン』を観る。乙一こと安達寛高が脚本を書き、監督もしたホラー。最近『岸辺露伴は動かない』にも出演していた飯豊まりえが主演している。『リング』を想起させる連鎖する呪いの話で、そのままといえばそのままだし、特に気の利いた解明があるわけでも、白石晃士風のぶっ飛んだ展開があるわけでもないけれど、断片的な怪異のイメージとスプラッターの融合を怖がる趣向で、まぁ、水準作といえ雰囲気は悪くない。

谷村美月や染谷将太が特別出演というような雰囲気で顔を出していて、特に谷村美月の役回りは思わせぶりな背景と妙な存在感のわり素通りに近い感じで、これには何ごとかと思ったものである。

DEATH TO 2020

大晦日の夜、紅白を見始めたのだけれど早々に離脱し、Netflixで『DEATH TO 2020』を観る。最悪のこの1年の出来事を1月から振り返っていくという体裁のモキュメンタリーなのだけれど、2020年において全ては洒落になっておらず、風刺にしか見えない映像がほぼ現実そのものなのでちょっと笑えるようなものではない。モキュメンタリーでありドキュメンタリーでもある本作の、ドキュメンタリーの部分は空恐ろしい狂気に塗り込められていて、2020年が常軌を逸したここ数年の集大成であったことを再確認する内容になっている。いやはや。

ヒュー=グラントが狂言回しの歴史学者を演じていて、感じのいい老碩学という印象なのだが、そういえば彼も60歳なのである。

本編はワクチンの登場とそれでもあやしい世界の先行きに言及して閉じられるのだが、12月も半ばを過ぎて話題となった変異株には触れられておらず、現実はシニカルな笑いの一歩先をどうやら行っている。

その変異株の実効再生産数はロックダウン下のイギリスでも1を大きく上回っているということなので、COVID-19の従来株は都市封鎖によってかろうじて駆逐され一方、変異株はそれに代わって速やかに蔓延するといいうのがこの年の瀬に見えている現実の姿ということになる。

2020年に観た映画とドラマのこと

COVID-19による影響は生活のあらゆる側面におよび、当然のことながら2020年はパンデミックのはじめの年と記憶されることになる。煽りを喰らって大作映画の劇場公開延期が相次いだ今年、こちらの視聴習慣はますますネット配信にシフトし、しかも第4次といわれる韓流ブームにしっかり反応したこともあって、特に年の後半は欧米の映画よりも韓国のドラマシリーズに傾倒した年となった。

ハーフ・オブ・イット

アリス=ウー監督の『ハーフ・オブ・イット』は本邦での緊急事態宣言が解除される前の5月に観たNetflixオリジナル映画で、この作品自体にもトライベッカ映画祭でのプレミア上映がCOVID-19の感染拡大によって中止になった経緯があったみたい。

マイノリティの中のマイノリティである少女がアメリカの田舎町で生きていく姿を描いた鮮やかな映画で、脚本もよければ主演のリーア=ルイスの佇まいも素晴らしく、当時から通年のベストとなるだろう予感がしたものである。Netflixに好感度のかなりは、このように質の高いオリジナル映画によって象られている。

グレイハウンド

セシル=スコット・フォレスターの『駆逐艦キーリング』を原作としてトム=ハンクスが自ら脚本まで書いて映画化した『グレイハウンド』もパンデミックの影響で劇場公開の目処が立たなくなり、Appleが配給権を獲得してApple TV+でのプレミア公開となったのである。

第2次世界大戦のマニアックな作品では製作においても実績のあるトム=ハンクスが10年の時間をかけたというだけあって、艦対艦戦闘の描写は美味しいところしかないという密度で描かれ、あまりに面白かったので原作まで読み込んで映画もなかなかの出来と感嘆したものである。クリストファー=ノーラン監督と違ってCG前提の世界ではあるものの、これはこれで全く素晴らしい。

エノーラ・ホームズの事件簿

非常事態宣言と感染拡大の影響で劇場文化が風前の灯といわれる一方、配信前提作品のクオリティは上がっていくという対照の是非はともかく、『エノーラ・ホームズの事件簿』もCOVID-19の影響で劇場公開が断念されNetflixが配信権を獲得した作品だという。

『ゴジラ キンブ・オブ・モンスターズ』のミリー=ボビー・ブラウンがシャーロックとマイクロフトのホームズ兄弟の末妹という設定で、主にその輝きによって佳作というべき作品になっていた。今日的な価値観を体現して物語を牽引するキャラクターのよさに加え、逝く19世紀大英帝国の残照までスコープに入れて、立体的で面白い物語になっていたと思うのである。

ワンダーウォール 劇場版

『ワンダーウォール』は渡辺あや脚本のドラマで、初見は2018年のBSプレミアム。吉田寮をめぐる問題のその後の経緯を加えて劇場版としたディレクターズカット版が本年公開され、この時勢にわざわざ劇場版と銘打っていることには小劇場を守れという動きに呼応した心意気も感じたのだけれど、そもそも当地では小劇場そのものが死に絶えてしまっているので、これまた配信での鑑賞となったのだった。場の消滅というのが映画の扱っている題材だとすれば、映画自体が生み出す場にも同様の文脈があって、こうした多層のテーマ性に改めて奥行きを感じたものである。

1917、ゼイ・シャル・ノット・グロウ・オールド

サム=メンデス監督が第1次世界大戦を題材にした『1917』は大作らしいスペクタクルとサム=メンデス一流の絵画的な画作りが相俟って映画作品としての見応えに感心した。

ピーター=ジャクソンの『ゼイ・シャル・ノット・グロウ・オールド』は、それとほぼ同じ時間帯の西部戦線を撮影した実際のフッテージをAIでカラー処理し、おそろしく手をかけて構成して、ほぼ無駄死にしたはずの群像を甦らせたすごいドキュメンタリーで、この二つの作品は表裏のように印象が合わさって切り離せないでいる。

ザ・ピーナッツバター・ファルコン

2020年に観た映画で、わけてもロードムービーのベストを挙げるとすれば『ザ・ピーナッツバター・ファルコン』ということになる。ダウン症の主人公ザックを演じるザック=ゴッサーゲン自身も設定と重なるプロファイルを持っているのだが、これを助ける役回りのシャイア=ラブーフが撮影のさなかに起こした泥酔事件と勾留中の人種差別発言で作品そのものを危うくし、ザックに詫びた上でアル中の治療に取り組むことを誓ったという話を聞くと、ほとんど現実の延長にあった作品なんじゃないかという気すらする。復権のテーマが幾重にもなっていて、とてもいい物語なのである。

A GHOST STORY

2017年のA24スタジオ作品を今さら観たのだけれど、『A GHOST STORY』は諸行無常を映像にしたらこうなるというような映画で、佇まいそのものがかなり好き。ケイシー=アフレックのシーツの幽霊はただ画面にあって、世界の移ろいを可視化するこのアイディアはありそうでなかったし、映像的であると同時に詩的だと思うのである。

梨泰院クラス

夏の終わりになって『愛の不時着』ではなく『梨泰院クラス』から韓流ブームに参入し挙句、まんまとハマった。今から考えると韓流ドラマとしての約束事をかなり忠実に抑えた作劇ではあるのだけれど、パク=ソジュンのパク=セロイ、キム=ダミのチョ=イソというメインキャラクターの造形が秀逸で、おかげで全16話をひたすら消化するという悪癖が身についてしまったのである。

スタートアップ

一方、同じくNetflix配信の『スタートアップ』は第1週からリアルタイムで視聴して、2ヶ月に亘り追っかけをしたものである。過日、記述の通り、本作はキム=ソンホの演じるパク=ジピョンの気高い精神についての物語であってそれに尽きるという総括で、見た目通りに人柄もいいのですっかりファンとなってキム=ソンホの新作の配信を心待ちにしている。

サーヴァント ターナー家の子守

Apple製品のロイヤルユーザーであることは間違いないのでApple TV+はサービス開始から1年のお試し期間が設定されていたし、Apple Oneに登録した今となってはサブスクメニューの一部に組み込まれているのだが、いくつかのドキュメンタリーと『グレイハウンド』を単発で観たほか、ドラマシリーズとしては『フォー・オール・マンカインド』と、M=ナイト・シャマランが製作総指揮で監督もしている『サーヴァント ターナー家の子守』を通しで観たくらい。サービスコンテンツの厚みとしてはまだまだであることは間違いないのだが、Catalinaまではアプリの完成度も相当にヘボかったので、あまり観る気にもならなかったのである。Netflixがそうであるように、インターフェイスはサービスの重要な部分を占めている。

Apple TV+のコンテンツ方針としては量より質ということだと思うのだけれど、確かに『サーヴァント』は導入からしばらくに非凡な雰囲気のあるドラマで、しばし熱中したものである。既にシーズン2の制作は決まっているということだが、シャマランによるとシーズン6までの構想があって、しかしシーズン1のラストはアメリカ製TVシリーズの悪しきフォーマットを感じる流れで、全60話になるとしてこれに付き合おうということになるかは微妙。

ダッシュ&リリー

ロマンチック・コメディという由緒正しいジャンルの成果としては、これまたNetflixの『ダッシュ&リリー』を挙げておくべきだろう。8話構成、各25分という配信に最適化されたフォーマットをうまく使っているのにも感心した。クリスマスから新年の時期に観るべき題材で、同時にCOVID-19以前のロマンスで、この現実が戻ってくることがあればいいのだが。

クイーンズ・ギャンビット

今さら言うまでもなく、Netflixでのビューポイントの記録を更新したという『クイーンズ・ギャンビット』は極めて質の高いドラマで、『マインド・ハンター』と同様のクオリティで1960年代を描いているし『3月のライオン』か『ちはやふる』かという題材でもあって、個人的にも好きな要素しかない。もちろん、アニャ=テイラー・ジョイの存在感も収穫のひとつ。

コタキ兄弟と四苦八苦

こちらは野木亜紀子脚本に惹かれたクチではあるけれど、古舘寛治と滝藤賢一のダブル主演による『コタキ兄弟と四苦八苦』はドラマとして期待通りに面白くて、全11話を楽しみにしていたものである。思えば1-3月期がパンデミック前の日常の終わりでもあった。

MIU404

そして同じく野木亜紀子脚本の『MIU404』は、綾野剛と星野源のこれもダブル主演で、しかし感染確認の煽りをくらって放送開始が4月から6月末に延期となり、14回の予定も全11話となって、COVID-19の影響を大きく受けたのだけれど、東京オリンピックの延期さえドラマの中に取り込んで2020年の状況と切り離せない作品になったと思うのである。

映像研に手を出すな!

アニメでは『映像研に手を出すな!』を挙げる。浅草みどりを齋藤飛鳥が演じた実写ドラマの方は梅澤美波の金森さやかがあまりにもいいので思ったほどの惨事にはならなかったけれど、やはりCV 伊藤沙莉の浅草みどりの前に全ては霞む。アニメ制作を描いたアニメというメタ構造はもとより好物でしかないのだが、湯浅正明監督の作品では『四畳半神話大系』か『映像研には手を出すな!』かの二択といってもいいくらいの傑作で、比べると『日本沈没2020』は(略)

12人の優しい日本人 を読む会

感染拡大を受けた非常事態宣言がなければ存在することはなかったであろうオンラインでの読み合わせの前半後半をそれぞれきっちり視聴して、持ち寄りの機材とZoomのロゴの入った無料ミーティングでも舞台として十分、成立していることに感銘を受けたものである。

5月連休さなかの状況で行われたこういうぎりぎりの工夫には時代精神というようなものすら宿っていた気がしたのだけれど、当時を大幅に上回る感染状況となっている現在地で、経済回せの大号令に紛れ素知らぬ顔で日常が再開されているとすれば、なんだかずいぶん違う世界線に来てしまったような気すらするのである。

ベビー・シッターズ・クラブ

Netflixもえげつない米国企業であることは間違いないだろうが、全方位に比較的、質の高い作品を作っていることは疑いなく、キッズ向けであろうと結構、面白い。『ベビー・シッターズ・クラブ』を観る。

1980年代から1990年代のヤングアダルト小説が原作のようだけれど、現代的にチューンされていて全体にバランスの良いドラマになっている。『ダッシュ&リリー』に続いて日系のキャラクターとその家族が配置されているのも見どころ。クラウディア=キシはオリジナル小説の人気キャラクターだということだけれど、ダイバーシティの設定では日系と韓国系あたりがエッジで中国系の影がふたたび薄くなった時間帯に我々はいる。

そして、もう、殺伐としていない、こういう長閑なのがいいよという感じになっているパンデミックの年の暮れ。東京は日曜日の感染確認での最多を更新し、市中でも変異株での感染があったことが判明したということである。つまり、先行きの予想は上振れを見込むべきということなのだが、現在の見通しでも十分に暗然とする状況になっている。

ミッドナイト・スカイ

Netflixで『ミッドナイト・スカイ』を観る。リリー=ブルックス・ダルトンの『世界の終わりの天文台』が原作で、ジョージ=クルーニーが監督して主演も務めている。原作の原題が『Good Morning, Midnight』だからか、ちょっとジョージ=クルーニー的にかっこいいタイトルだけれど、イメージとしては邦題の方が合っているし、主人公は人生の黄昏にあるのでアクションの要素はほぼ存在せず、どちらかといえば来し方の回想が結末につながっていく種類の物語なので、少しは前提知識がないとギャップを感じるかもしれない。

『ゼロ・グラビティ』と『レヴェナント』を足し合わせた映画として構想され、脚本も『レヴェナント』のマーク=L・スミスであると聞いただけでは訳がわからないが、そう思ってみるとたしかに両者の雰囲気はあって、何故そんな映画が作られねばならないのかという疑問だけが残る。作品の評価自体は今のところパッとしないようだけれど、大方に残るのはそのあたりの不思議であろう。

監督としてのジョージ=クルーニーは過去の回想シーンに別の役者を起用したり、難しめの語りをそれなりにうまくこなしているけれど、アイリスという少女の不思議は、子役のケイスリン=スプリンゴールの存在感への驚きはあっても、もともと映像での表現に向いていない気がする。