ハッピーログイン

『ハッピーログイン』を観る。2015年の韓国映画。謎という他ない邦題がついているけれど、通して観てもその意味はわからない。『Like for likes』という英題のほうがずっと洒落ていて、韓国版『ラブ・アクチュアリー』という感じの雰囲気をよく表している。内容にも呼応するところがあってよく出来たタイトルなのだが、そもそも中身を語ろうとしない本邦の悪癖はどうにかならないものか。

センターを張るヒロインは、イ=ミヨンなのかチェ=ジウなのか微妙なところはあるとして、実はイ=ソムとカン=ハヌルによるカップルのエピソードがちょっとよくて、結論はイ=ソムということでいいのではないか。カン=ハヌルは『椿の花咲く頃』に出演しているので、このドラマも観なければならないかとも考えている。全体として典型的なジャンル映画であることは間違いないのだけれど、よく出来ているので全然問題ない。

保健教師アン・ウニョン

Netflixで『保健教師アン・ウニョン』を観る。主人公にだけ見えるこの世ならざるものという設定はわりあい多いけれど、デッサンの狂った日常を描く手つきこそ秀逸であって、異形もVFXも脇にあるのがいい。不穏なのは映像であってクリーチャーではないのである。

1話50分程度と韓ドラにしては短いうえに、16話構成ではなく6話構成ということもあって密度が濃い。主人公を演じるチョン=ユミも存在感が素晴らしい。

スタートアップ

Netflixで配信の始まった『スタートアップ』を観る。今週末は韓国ドラマ全16話を一気に消化するという荒行はやるまいと、比較的にゆったりと過ごしていたのだが、初回配信84分のこれについ見入ってしまったのである。面白い。

第1話の時点でその面白さは起業ものというより、過去の因縁が現在につながる韓国ドラマ王道のそれであって、言ってしまえば実に泥臭い人情劇なのである。どう考えても、この先は正体を隠してヒロインを助ける王子様というモチーフが発動する。やはりこうでなくては。

一度に16話を見続けるというのもアレだが、毎週配信というのも実にもどかしい。

エノーラ・ホームズの事件簿

『エノーラ・ホームズの事件簿』を観る。マイクロフト=ホームズとシャーロック=ホームズの年の離れた妹エノーラ=ホームズは16歳となった朝、目覚めて母親の失踪を知る。状況を確認に訪れた兄たちは母親が戻らないつもりだと考え、マイクロフトはエノーラを寄宿学校に入れる算段をする。

Netflixオリジナル映画で『ストレンジャー・シングス』のミリー=ボビー・ブラウンが高名な兄弟の妹という役回り。ヘンリー=カヴィルがシャーロック=ホームズその人を演じていて、なかなか雰囲気がある。

語られることのなかったホームズ家の母親と娘の物語というアイディアに、父権的な帝国の没落と、しかし戦うことなしに手に入れることができなかった参政権をめぐる陰謀という横串を通して、全体としてよくできた冒険譚となっており、主人公を駆動する動機の変遷や伏線の回収がきちんと設計された脚本の出来にも感心する。少年期に観るべきウェルメイドなジュブナイルといえ、なかなかよろしいのではないだろうか。

彼女はキレイだった

なんだかパク=ソジュンの追っかけのようになっているのだけれど、この週末は『彼女はキレイだった』を観ている。ファン=ジョンウムがイケてないヒロインの設定で、物語のなかでの変貌への興味でついつい観続けてしまうという趣向なのだけれど、実際のところはパク=ソジュンのキャラクターが跡形もなくデレデレとなっていくあたりの衝撃のほうが大きい。この体たらくでは、実際のところ、チェ=シウォンが演じるシニョクのほうが数段、男前ということになるのではなかろうか。

ユ・ヨルの音楽アルバム

『ユ・ヨルの音楽アルバム』を観る。『トッケビ』のキム=ゴウンをヒロインとしたすれ違いの10年の物語。最低限の説明で機微を描く立ち上がりの雰囲気はすごくいいのだけれど、寡黙が過ぎて大きな事件があるわけでもない後半の展開を畳みきれなかったきらいがある。陳腐な感じのラストもイマイチ。一方、1994年から2000年代半ばにかけての舞台装置は結構、手が込んでいて、ガジェットの使い方も悪くない。しかし、タイトルのユ・ヨルはほとんど本編に関係ないとなれば、フィーチャーし過ぎではないか。

キム秘書はいったい、なぜ?

相変わらず韓国ドラマの沼にハマっているのだが、最近は『梨泰院クラス』のパク=ソジュンがナルシスティックな財閥御曹司を演じる『キム秘書はいったい、なぜ?』を観ていて、ストイックなパク=セロイのイメージが侵食されて困っている。後半、第10話では主人公キム=ミソの亡くなった母の役でチョン=ソミン、しかもその夫がイ=ミンギという『この恋は初めてだから』のカップルがそのまま登場して、韓国ドラマの文脈は蜘蛛の巣のように錯綜してある意味で創発的。この沼は深い。