ここはグリーン・ウッド

紙の本も地層のどこかに埋もれているのだけれど、Kindleで那須雪絵『ここはグリーン・ウッド』がセールになっていたので全6巻を買い求め、ほとんど30年ぶりに集中して読む。展開を忘れているのにページごとの内容を確かに思い出すのは、かなり繰り返し読んだからである。名作。固定電話の描写が時間の流れるを知るよすがというところはあるとして、古びたところのない面白さよ。

東京の新規感染確認は久しぶりに3,000人を下回り、このところ重症者数もプラトーに達していることがあって、うかうかと、ついにピークに達したのかと思うところだが、この状況にありながら都内の検査数は異常な減少で、重症者数に至っては人工呼吸器かECMO利用者であることと定義を変更した結果、人工呼吸器とECMOの数を上限として数が増えないという悪魔的なカラクリがある世紀末日本。

この状況を招いた政権と都知事が、コロナ患者の受け入れを医療機関に強要して病院名の開示をちらつかせる恫喝を行い、一方でパラリンピックの歓迎会をこっそり行うというニュースフローのおぞましさ。夏休み明けの学校再開に向け、文部科学省から「教室の机の間隔は2m以上」という通達が出ているという話で、もちろん教室に机が入りきらないという事態を生み、現実が虚構新聞化している。

パンデミックに際しての社会的介入でいちばん重要なのは学校という話は『最悪の予感』にも触れられていたけれど、中央と現場の乖離は太平洋戦争末期の逸話にも似て、デルタ株による子供への感染拡大が心配される状況でほとんど実効的な方針も対策もないまま、この国は夏休み明けを迎えることになる。

最悪の予感

マイケル=ルイス『最悪の予感 パンデミックとの戦い』を読む。アメリカ合衆国のCOVID-19感染拡大における対応は結果として優秀というわけにはいかないが、今あるを予見して準備をすすめていた人たちを通じその経緯をみることで、現在進行形の課題を浮き彫りにしようという本書の企図は高いレベルで達成されている。

2000年代にジョン=バリーが『グレート・インフルエンザ』で鳴らした警鐘を受けてブッシュ政権下でパンデミックの対応指針を策定し、CDCをはじめとする官僚システムに邪魔されながら苦闘する人たちの群像が語られるのだが、『マネー・ボール』の著者だけにもちろん書き振りも優れたものである。登場人物はおしなべてノンフィクションらしからぬキャラ立ちをもっている。第一部がいわば前日譚で、第二部以降ではCOVID-19への初期の対応と現時点につながる非常に新しい内容になっており、早川書房の翻訳出版の速度にも感心する。

政府が迅速に行える事柄はごく僅かしかなく、危機に直面した場合、あらかじめ持っているボタンしか押すことができないというのは全くその通りで、現下の本邦でこそ読むべき図書ではあるまいか。指数関数的な増加がまだ胎動でしかなくパンデミック全体の全体像は感染者数だけを手がかりとしてきわめて曖昧にしか把握できない状況で、「症状のある人だけを検査する」というのがCDCの初期の基準であったことも語られているのだが、この国ではいまだにその誤りすら正すことができずにいるのである。

結局のところ、もっとも避けるべきはチェンバレン的な宥和政策だということだろう。ウィズコロナといい、結果的に集団免疫をいまだに目指しているようにしか見えない本邦は、大局において手酷い敗北を喫することになる。なにしろ本書の内容が示唆するところを突き詰めると、デルタ株が登場した後の対応として望むべくは「封じ込め」ということになるからだ。

独ソ戦

長崎原爆の日。この日のハイライトは慰霊式典に出席した本邦の首相が式辞を「用意された原稿通りに読み終えました」と時事が伝えたあたりか。今回の中継では予定稿によるテロップも出されなかったという話で、もちろん読み間違いを指摘されないためだから、その能力の低さばかりでなく、姑息な影響力の発揮をみても総理大臣の器ではないのである。

岩波新書で大木毅『独ソ戦』を読み始める。近年の研究をもとにした書き振りが好ましく、これまでの定説を批判的に説明してくれるので勉強になる。「絶滅戦争の惨禍」という副題が著者の射程を語っているのだが、スターリングランド攻防戦の地理的イメージをセットするところから始まる説明は大変わかりやすい。

スターリンがドイツの侵攻意図について明らかな情報を得ていながら、自らの粛清によって弱体化した自軍の事情ゆえ、これを真正と認めなかったくだりは、このたびの感染拡大における政府の現実否認に通底する心理で、歴史は繰り返すという月並みな感想を抱いたものである。そしてこれを喜劇というには、付帯的被害が大き過ぎる。

ライティングの哲学

Kindleのサイトで勧められて『ライティングの哲学』を読む。『書けない悩みのための執筆論』という副題が指し示す通り、Twitterやnote界隈で見かける書き手による座談会とアウトライナーを使った実践の記録が主たる内容となっている。執筆陣は皆Mac使いであるらしく、登場するツールは馴染みのあるものばかり。とにかくアウトプットするというあたりはナタリー=ゴールドバーグの指南に通じるところがあるけれど、こちらはそのための型に関心がある向きのための内容といったところ。かけがえのない存在だからこそ何を書いても意味があるという前者に対して、どうせ自分は何者でもないのだからたいしたものは書けないと諦めろと、東洋的ともいえる諦観が色濃いのは興味深い。そして、Tabula rasaを前に惑う人間そのものが読みものとしても面白いのはどうしてか。

今日から長い盆休みとなるひとも多いはずで、実質的なロックダウンのチャンスであったにもかかわらず、さほどのメッセージも出ないままこのまま成り行きまかせとなりかねない流れ。一方、自粛ベースの行動抑制だけで太刀打ちできないデルタ株の強力さには傍証が積み上がってきており、こんな状態ではどうにもならない。いや、そんなことよりこの日、BiSHのアイナとチッチの陽性が確認されるという大事件が起きているのである。

パンデミック日記

桜庭一樹の『東京ディストピア日記』は激動の2020年を思い返すためのよすがとして折りに触れて読み返しているのである。実際、愚行を繰り返しているだけのようで、あまりにも多くのことがあったので、読むたびに思い起こされることがあって飽きない。自分の日記を読んでそういえば、と思うことも多いのだが、酷い目に遭ったとしても、だいたい慣れてしまうというのは一面の真実である。

新潮の近刊に『パンデミック日記』というのがあって、52人の作家が1年52週の日記を書き継ぐという趣向で、いわゆる文壇の出来事など、以前のものは関心すらなかったのだけれど、この書名であれば読まないわけにはいかない。冒頭、正月を満喫している筒井康隆は呑気なものだが、徐々に高まる非日常の雰囲気は戦中日記に似て、この稗史も既に歴史的な価値がある。面白い。

そしてこの日、緊急事態宣言明けから1週間で東京はステージ4の水準に戻り、しかしオリンピックに向けてみて見ぬふりという思考停止の状況にある。対数軸の上昇は着実に進んでおり、やがて感染爆発の状況が到来するだろう。

死神永生

『三体III 死神永生』を読み終える。未読のひとは、これからこの本を読む楽しみがあるというわけである。羨ましい。トリロジーの第三作はとびきりハードな内容で、これまでと比較しても宇宙論的なスケールは桁違いに大きい。かつてこの宇宙から脱出する正体不明の異星文明というヴィジョンにSFの奥行きをみたものだが、その正系は中国大陸から出てきたのである。

この日、非常事態宣言が解除されたばかりであるにもかかわらず、東京の新規感染確認は早くも600人を超え、神奈川も200人を超える。悲観的な予測を凌ぐ急峻なリバウンドで、オリンピック開催に向けてのあれこれの議論は絵空事にしかみえない。あらゆる指標が高止まりした状況での解除であり、文脈的に妥当な対策がない状態で、ワクチンの分配すら滞ることが見通されているなかをオリンピック開催に向け突き進むことになる。正気ではない。

地球往時

『三体III 死神永生』を少しずつ読み進めているのだが、そろそろ読み終えるのが惜しい時間帯にきている。荒唐無稽でありながら、トリロジーを通じて小説世界のルールは一貫していて、これまで踏破してきた距離の遠さを考えると、まず大した仕事であると感心せざるを得ない。ホーガンが『巨人たちの星』までの三部作で至った境地にあると思うのである。冬眠から醒めるたびに新たな世界が現出する物語の仕掛けが楽しいけれど、『ガニメデの優しい巨人』で巨人がエアカーテンの技術に感心したシーンのオマージュがさりげなく編み込まれていたりするのである。

沖縄以外では非常事態宣言の最終日となったこの日、東京の新規感染確認は前週を大きく上回って再拡大の傾向が明らかになりつつあるのだが、当然のように各地での人出も増えているという。大阪の3月をスケールアップした状況が到来することは本日時点でほぼ確定した未来とみえる。