まほり

高田大介の待望の新作は『図書館の魔女 霆ける塔』というアタマしかなくて、発売日たる令和元年吉日を首を長くして待っている状態だったので、この作者が民俗学ミステリーを世に問うという発刊予定を見て、すっかり虚を突かれた格好になっている。四六変形判で496ページといえばそれなりのボリュームで、そういえば『図書館の魔女』のシリーズも起こらなかった事件の解明というテーマを内包して優れたミステリーになっているので、読む前から傑作に違いあるまいとわかっている。

終わらざる夏

8月15日に向けて浅田次郎の『終わらざる夏』を読んでいる。終戦の後、千島列島東端の占守島で起きた帝国陸軍とソ連赤軍との戦闘を題材にした長編小説だけれど、本土決戦に向けた動員に関わる経緯とそれに翻弄される人々の人生から始まる物語は、いちいち泣かせる筆致で抜群にうまい。そんなわけで黙々と読んでいる。

逃げるは恥だが役に立つ 第10巻

発売なった『逃げるは恥だが役に立つ』の10巻を早速、読む。2016年の完結から2年半、ほぼ実時間と同じ経過を踏まえての続編で、テレビドラマで構築された物語の厚みもフルに援用してその後が描かれる。社会の呪縛と生きにくさを正面から扱うスタイルは健在できっちり地続きの話になっているのがうれしくて、何もかもが懐かしい。

ザ・プロフェッサー

ロバート=ベイリーの『ザ・プロフェッサー』を読んでいる。法廷ものであり、老境にあって復権をなそうという男の話であり、犬の物語でもあるというわけで、好きなことしか書かれていない。とはいえ、事件の経緯を語る第一部はちょっと陳腐な小説でどうかと思ったのだけれど、我慢しているうちぐいぐい面白くなってくる。

神は数学者か?

『神は数学者か? 数学の不可思議な歴史』を読んでいる。現実を説明する数学が、やがてシンプルな数式で世界を予想しはじめる不思議さを根底において、数学が発明されるものなのか発見されるものなのかという問いの角度からその歴史を語っていく。開巻、神は発見か発明かという問いになぞらえている時点で、ある意味、ネタを割っているような気がするのだけれど、新潮社文庫のScience&History Collectionにありそうな内容で好み。ハヤカワ・ノンフィクション文庫。

贅沢貧乏

森茉莉の『贅沢貧乏』を読んでいる。当人が魔利と書いてマリアという名前で登場する自伝的な連作エッセイで、森鴎外に溺愛された娘の、父の印税が入らなくなって以降の生活を垣間見ることができる。貴族とは、貧富の属性と関係なく、その精神性を指すのだと再認識した次第である。贅沢をして貧乏なのではなく、貧乏だけれど贅沢という話。妄想に傾きがちな美文は面白く、系統図を作れば森見登美彦も連なることになるであろう。

三体

劉慈欣の『三体』を読み終える。SFの名作は数あるが、J=P・ホーガンであり山田正紀でありカール=セーガンでありアシモフですらある小説はなかなかあるものではないし、何より劉慈欣という中国の作家にしか描き得ない切実な現実があって、先行作品を想起させつつ独特の世界を構築しているという点では、マニアにこそ嬉しい読み応えを提供している。面白い。

三部作の序盤が語られたに過ぎないこの段階で、既に話は11次元にまで達しているわけだけれど、前評判によればそのスケールはどんどん広がっていくようなので2020年刊行予定の次巻を刮目して待つ他ない。原著は既に完結しているという点が安心材料である一方、中国と本邦の間に10年以上のリードタイムが存在する点は両国の距離感を示して興味深い。翻訳に大森望が入っているところに工程の事情も垣間見え、しかしお陰でリーダビリティは十分に確保されている。