大崎善生のノンフィクションはこれを原作とした映画よりも人物の心情に入り込んでいて、事実として読ませる手続きが妥当であるかはわからないけれど、著者本人が立ち会った師匠 森信雄と村山の上福島北公園での場面は中盤のヤマ場で、どうしても涙腺が緩む。思えば、リリー=フランキーが森を演じていた映画の方は、さすがにここに交わされた温もりを表現することは叶わなかったようである。
本
3月のライオン 第13巻
『3月のライオン』の第13巻を読む。連載も10年を越えてますます好調というわけで今回も読みどころ満載であるのには感心する。実写映画版のストーリーに寄せていく香子のエピソードもあったりして話の幅は広く、二階堂がついに宗谷名人と対局するヤマ場も相変わらずよく出来た話になっている。映画で高橋一生が演じた林田先生のキャラクターもますます膨らんで、実写版との相互作用はかなり良い方に働いているみたい。あと10年続いてもおかしくない円熟の域に入ってきているけれど、モモが一向に成長しないサザエさん状態という問題は残るかもしれない。
Ank: a mirroring ape
このところ、KindleではなくiBooksで買い求める本が徐々に増えてきていて、何がいいかといえば組版がキレイなので心地がいいのである。この微妙な違いは案外、重要で、以前も書いたことだけれどノドアキが設定されているほうが読み易いのだから仕方がない。デザインに関してスキューモーフィズムの思想というのは宿命的に垢抜けないと思っているけれど、こればかりは実際の本を模しているというのがかなり重要なのではないか。綴じがないならノドアキも要らないというKindleのデザインもわかるけれど、1ページの分量は脳においてある種のバッチ単位になっていて、機能的な意味があると思うのである。
というわけで佐藤究の『Ank: a mirroring ape』をiBooksで読んでいる。もともとパニックものに目がないほうだし、なにしろ舞台が京都であれば何であれ跨いで通るわけにもいかない。ゾンビものやパンデミックものに通じる状況を重ねつつ、しかし『ワールドウォーZ』の洗練と奥行きは到底ないけれど、伊藤計劃というより瀬名秀明かというストーリーには90年代の雰囲気があって、妙に懐かしい気がしたものである。
iBooks
これまで電子書籍はKindleを中心に買い求めていたのだけれど、ファミリー共有ができるという一点でApple謹製のiBooksを使ってみたら、その読み心地が意外にいいのに驚く。Kindleのアプリとは違ってiBooksの画面には製本を模したノドアキが設定されていて、見開きになるiPadなどではこの効能が侮れないのである。スキューモーフィングデザインにはどちらかというと懐疑的だったのだけれど、こればかりは確かに本を模す意味があるみたい。長年、蓄積された製本のノウハウというものにはどうやら計り知れない奥行きがある。
パードレはそこにいる(読了)
『パードレはそこにいる』を最後まで。結末にかけてはなるほど意想外の展開で、ちょっと系統が違うんじゃないかと思うくらい。結局のところ主人公の異能よりはそのトラウマによって物語が駆動されているという気もするのだけれど、面白いことは面白い。そして結末のあからさまなヒキはいっそ清々しい。
パードレはそこにいる
サンドローネ=ダツィエーリの『パードレはそこにいる』を読んでいる。もともとは続編の『死の天使 ギルティネ』を読みたかったのだけれど、何ごとも順序を大切にするほうである。ヨーロッパのエンターテイメント小説は奥深さを感じさせて少なくとも邦訳が出るような作品のレベルは総じて高いと思うのだけれど、本作もぐいぐい読ませるところがあるし、爆弾テロの瞬間、居合わせた人たちが物理的に損壊していく流れを数ページにわたって描写してみせたシーンは本邦なら小林泰三の境地でその筆力には慄く。数秒を無数のコマに割ってみせる技に、この作者の力量が窺えると思うのである。
ケルトの水脈
講談社学術文庫の『興亡の世界史 ケルトの水脈』を読んでいる。何しろ文明が滅びる話が好きなので、このシリーズは好物揃いといってよい。キリスト教のひときわ強い影響の向こうに透ける固有文化の影は興味深く、人類があとの千年を生き延びたとして現在を振り返れば、グローバリズムの強烈な影響にかき消されつつ、土着の僅かな痕跡はやはり窺えることであろう。