劉慈欣の『白亜紀往事』を読む。例によって著者の社会的なシステムへの強い関心が窺える中編で、白亜紀に生まれた恐竜帝国と蟻帝国の共生と相剋というヘンな話。クセが強いが、たまにこういうのを読むと面白いのである。
最近、テキストの作成にはiA Writerを使っている。以前よりよくなくなっている気がするのだけど、実際にはほぼ変わっていないと思う。
劉慈欣の『白亜紀往事』を読む。例によって著者の社会的なシステムへの強い関心が窺える中編で、白亜紀に生まれた恐竜帝国と蟻帝国の共生と相剋というヘンな話。クセが強いが、たまにこういうのを読むと面白いのである。
最近、テキストの作成にはiA Writerを使っている。以前よりよくなくなっている気がするのだけど、実際にはほぼ変わっていないと思う。
Audibleオリジナルに『エイリアン 虚空の影』があったので、これを聴いてみる。朗読というわけではなく、演出や効果音の入ったサウンドノベルなのだけれど、リプリーが登場し、しかしエイリアンの世界と矛盾を生まない仕掛けが施されていて、最後になるほどという感じはあるけれど、かえってこぢんまりとなってしまった気がしなくもない。映画本編との整合など、今や誰も気にしないのではないかと思うけれど、そこを気にするのがファンノベルというものなのだろう。
しかし、主に通勤の車のなかで聴いたのだけれど、効果音がかなりしっかりと入っているので、走行中の異音かと思うこともたびたびで、この種のコンテンツは運転には合わないということを認識する。
昼過ぎから出張。車中でロン=フリードマンの『リバース思考』を読み終える。ひろゆき推薦と表紙にあるあたり、やや身構えてしまうところはあるのだけれど、実践的なプロダクティビティの指南書となっていて、近年わかっている認知と脳の仕組みにまで立ち入ったこういう話は嫌いではないのである。方法を選び、それを実践していくこと自体は避けようがない以上は。それに自覚的であることには、何がしか実利がある。
ヘイリーが大統領選からの撤退を表明する。3年前には想像もできなかったことだが、国家転覆さえ辞さない往生際の悪さを見せた元大統領が再び復権するというシナリオの確度が高まっている。そのこと自体は歴史において繰り返されてきたこととはいえ。
森見登美彦の新刊『シャーロック・ホームズの凱旋』を早速、買い求めて読んでいる。ヴィクトリア朝京都という発想で既に勝利していると思うのだけれど、予想以上にしっかりとしたヴィクトリア朝で翻案の雰囲気にしない、しっかりとしたホームズもの。そういや、ラノベには寺町三条あたりにホームズがいたと思うのだけれど、そういう趣向ではない、いつもの森見登美彦が楽しめる。
3日間の泊まり研修を終えて夜、帰宅。半年くらい続いたプログラムだけれど、次回にて終了の予定。それに向けて2万字程度のレポートが必要になるので、その準備をしているところ。締め切りは手前にないと、ほとんど機能しないと読んだが、まったくその通り。
劉慈欣の『超新星紀元』をようやく読み終えたのだが、何となく手こずっていたのには理由があって、この作家の特徴的な、どこかグロテスクな状況設定が、特に南極での戦争ゲームのくだりではどうしてこれを書きたいと思ったのかよく分からないくらいに物語を支配していて、何だか疲れてしまったのである。『三体』はあれでも、だいぶ洗練された結果なのだ。結末近くもだいぶ急いだ感じがあって、どこか習作という感じがする。2000年前後の中国で生まれた物語ということであれば、何か寓意が込められた結果なのだろうかと考えてみたのだが、そういうものでもないみたい。
風呂掃除のさなか、腰の側部に痛みが走り、いやこれはぎっくり腰の一形態だと突然、理解する。あわわ。
劉慈欣『超新星紀元』を読む。今から20年前、『三体』よりも前に書かれた作品で、劉慈欣の濃いところが詰まっている感じ。超新星の爆発により地球を襲ったエネルギーが大人を死滅させ、子供たちだけの世界が到来するというアイディアを描く筆致はこの作家ならではの念入りなもので感心する。その構築への執念はどこから来るのだろうか。後年よりも中国共産党のシステムを力強く礼賛する雰囲気があって、世界観そのものがSFっぽい。中国SFが面白いのは、このあたりにも理由がある。
『がん -4000年の歴史-』を読む。著者のシッダールタ=ムカジーは『遺伝子』を読んだことがあるけれど、執筆はこの本の方が先らしい。自身の家族史に始まる『遺伝子』には書かれるべき内容であるという気迫を感じたものだけれど、本作も医師でもある著者の専門分野を扱って筆は時空を往還し、がんにかかわるあらゆる歴史が詰め込まれている印象で非常に読み応えがある。単に博識である以上に饒舌な語り口に感心しているのだが、人類が試行錯誤してきた外科的医療の歴史には恐ろしいという感想が先に立つ。さして根拠のない拷問を可能にするのが医師という権威であれば、そのあたりには今日も大差ない可能性さえある。いやはや。